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伝統文化をよみがえらせる異端児 ――ピチェ・クランチェンインタビュー

Interview / Asia Hundreds

国際的な共同作業と「アジア」

――『Black & White』では照明に三浦あさ子さんが入っていますし、作品をいろいろな国のスタッフでつくっていますね。国際的な共同作業に関心があるのですか?

ピチェ:もちろん、とてもあります。タイには友だちがいませんから(笑)。

――そういう事情もあるのかもしれませんが(笑)、国際的につくることの利点は何でしょう。

ピチェ:私はタイの伝統舞踊や文化を理解していない人に惹かれるんです。理解していないということは、新しいタイプのものにつくり替えられるということですから。新しいものを創造できる、新しい知識や方法を教えてもらえる。つまり私には勇気がなくてできなかったことが、できるようになります。タイの古典舞踊や伝統文化が身近な人は一定の考え方しかできないので、新しいことをされると、つい抵抗を感じてしまう。『Black & White』の演奏をしてくれているウ・ナさんに出会った時も同様です。ウ・ナさんが使うのは中国のグーシンという弦楽器で5本しか弦がないのですが、それにタイ舞踊を合わせると、あっという間に新しいものが生まれたんです。コーンは普通、弦楽器ではなく打楽器と合わせるんです。だから新しい感覚が生まれましたし、動き自体も変わりました。

――韓国でもシンガポールでも、アジアにおける国際共同製作の可能性が注目されていますが、どう思いますか?

ピチェ:正直にいうと、なぜ「アジア」という枠組に注目するのか、あまり……。もしそこに線を引いて、アジア内での共同製作に優先的に予算を出すというようなことになれば、「西洋」と「アジア」の間に争いを生んでしまうんじゃないでしょうか。いま芸術は経済のなかに組み込まれていて、いろいろな問題もあるわけですが、これは一体何なのだろうと。私自身は、ジェローム・ベルと一緒にやりましたが、あとはさまざまなアジアのアーティストと一緒にやっていますからね。

――これまでアジアの人間は欧米にばかり目を向けすぎて、隣の国のこともよくわからない状態になっていたと思うんです。そこからの揺り戻しで、もっと他にもいろいろな可能性があるんじゃないかということでは。

インタビュー中の武藤氏の写真
写真:山本尚明

ピチェ:たとえば、大まかにいってタイ、ラオス、カンボジアはすごく似ていて、1000年くらい遡ると1つの国のようなものです。お互いに近すぎて、一緒に何かするというのはあまり魅力を感じませんね。考え方も身体的特徴も似すぎている。似ているから良いという人もいますが。アジアの協働といっても各国にそれぞれ特徴があります。タイ、インドネシア、カンボジア、インドは、訓練も身体の使い方も物語もすごく似ている。こうした国々のアーティストは伝統芸能を素材にして作品をつくっています。それに比べると日本のアーティストは、身体の使い方が他のアジア諸国とはかなり違いますね。能や歌舞伎など伝統芸能との関係が非常に薄く、まったく新しい身体の使い方をしています。香港や台湾はアメリカの影響がとても大きい。韓国はモダンダンスと、エンターテインメント。私の理解ではこういう風に分類できます。一言でアジアといっても多様ですよね。

――「アジアらしさ」などというものはないと私も思います。

ピチェ:うーん…いや、ありますよ。ヨーロッパはどこでも芸術の形式がほぼ同一ですが、アジアでは伝統芸能と、それに対してモダンなものがある。伝統的なものからモダンなものへ、というひとつの流れをイメージできます。この流れでいうと、さっきの4カ国はとても伝統的で、日本や韓国はモダンです。香港、シンガポール、台湾は少しはみ出たところにあるように思います。ヨーロッパが均質な塊に見えるのに対し、アジアはつながっているけれども均質ではない。

――あなたにとって「モダン」とはどういうことでしょう?

ピチェ:私の考える「モダンアート」とは、社会が民主主義であること、考え方が自由であること、身体の動きの技術がその社会を反映していること、社会が身体の動きに関心を持っていること、ですね。ちなみに日本の女性ダンサーで最初に舞台で裸になった人は誰ですか?

――たぶん舞踏の人じゃないでしょうか。

ピチェ:何年前ですか?

――正確にはわかりませんが、40年前といったところではないかと思います。

ピチェ:タイ、ラオス、カンボジア、インドネシアなどでは、それができた人はまだいませんよ。伝統芸能とその身体、現代芸術とその身体、この違いがここからよくわかると思います。

インタビュー中のピチェ・クランチェン氏の写真
写真:山本尚明

今後の活動について

――現在はどんなことに取り組んでいますか?

ピチェ:新作を制作しています。たとえば今日のTPAM2015のプレゼンテーションで、10の異なる分野の人たちに、死・生・美について聞くという作業の話をしました。エンジニアの業界において死とは何か。生とは何か。美とは何か。経理業界においてはどう考えられているか。これがいま、自分が興味のあるテーマです。

――そうなるともうコーンというバックグラウンドはあまり関係ない?

ピチェ:最終的には関わってくるんですが、リサーチの段階では社会に実在する事柄を扱っています。この作品のテーマは、死、生、そして美です。人間の生は、いうまでもなく、死と切り離すことはできません。そこで私は、死は美しいものだということを示したいわけです。死とその美しさを舞台で表現するにはどうしたらいいかと考え、ピー・ター・コーン祭に見られる踊りやイメージを用いることにしました。 この祭はヴェッサンタラ・ジャータカ(布施太子本生譚)の説話に由来するものとされています。ブッダが前世において王子として長い旅に出て、亡くなったものと思われていたのが、再び帰って来ます。それを祝う騒ぎは死者をも目覚めさせるほどの賑やかさだったといいます。

ピー・ター・コーン祭にあたっては、ルーイ県(タイ北東部)の人々は集って行事を祝い、民俗舞踊を踊ります。非常にいきいきとした、エネルギーに満ちた踊りです。作品で用いるダンス・テクニックは前の『Black & White』と同様で、動きもエネルギーの使い方もコーンから発展させたものです。しかし表現としては、ダンサーたちが動きにおいて自らの創造性を発揮しなくてはなりません。そこは『Tam Kai』と同じで、一人ひとりが自由に動くことを許されているなかで、自分の創造性と個性を発揮することを求められるのです。 作品は2 つの部分に分かれています。すなわち、

1)「生」では、ダンサーたちが、一人一人異なった個性ある人間として、精神、身体、そして動きの上での自由を表現します。
2)「死」では、動きとエネルギーは統一され、調和します。

――個と伝統が対立することなく、共存するわけですね。

ピチェ:そうです。私は伝統とモダンという2つの過程に同時に関わっています。物語とキャラクターは伝統的なものですが、その語り方、見せ方がモダンなわけです。そして素材は普通の人のインタビューです。普通の人の考え方を使うことが、観客の幅を広げることにつながるのではないかと思います。

――今はその作品に集中しているのですか。

ピチェ: ほかにももうひとつ、料理人とコラボレーションする構想があります。動きはどんな味がするのか、問うてみたいのです。ある動きを目にした時、エネルギーや力も感じるし、ダンサーの身体は香りも発します。でもどんな味がするかはわかりません。どんな味なのか。それが知りたい。観客にも教えたい。だから料理人と一緒に作業するのです。たとえば私が料理人にある動きを見せます。彼はそれがどんな味だかを考え、観客に伝えるわけです。

――インドの古典美学でいう「ラサ(味)」ですね。インドでは古来、音楽や踊りを「辛い」とか「甘い」という風に表現するわけですよね。

ピチェ:そうですね。

――あなたの作品を通じて、新しいことに対する刺激も、古いことに対する刺激も受ける。観客は両方のベクトルに同時に開かれていくことになりますね。

ピチェ:それこそがアジアの強さではないでしょうか。しっかりした伝統文化を持っているということがアジア人の強みでは。

――ちなみに舞踏についてはどう思っていますか。

ピチェ:大きな成功だと思っています。新しい言語をつくりあげ、立体的な意味を持たせました。伝統文化ともつながっていますし。

――現代のアジアのアーティストとは伝統との接し方が違うと思うんですが……つまり舞踏は伝統文化に誇りを抱くことができなくなった戦後の日本人がつくり出したものだと思うんです。

ピチェ:好きか嫌いかは別にして、ともかく新しいものが生まれるということは良いことなんじゃないかと単純に思います。好きでも嫌いでも、新しい知を創造することができるじゃないですか。私にしても別にタイ舞踊が好きなわけではありません。作品をつくっているのは、むしろタイ舞踊が好きではないからですよ(笑)。好きではないけど、結果的に後押しする格好になっているというか。大学では舞踏は能の影響を受けていると習いましたよ? どちらにしろ良い効果をあげていると思います。

――日本人はなかなかそう明快に言えません。

ピチェ:どうしてですか?

――舞踏は伝統芸能を発展させたのではなく、いわば「廃墟」として見せているわけです。

ピチェ:続いているのではなくて、切断している?

――だから現代のアジアの人たちのようにはポジティブではないです。ストレートに発展していくイメージではないです。

ピチェ:なるほど。それもまたひとつの文化に由来する考え方ではないでしょうか。

――本日はお忙しいなか、お話を聞かせていただき、ありがとうございました。新作も楽しみにしています。

インタビュー中のクランチェン氏、武藤氏、通訳の高杉氏の写真
写真:山本尚明

【2015年2月11日、KAAT神奈川芸術劇場にて】


聞き手・文: 武藤大祐 (むとう・だいすけ)

群馬県立女子大学文学部准教授、ダンス批評家。20世紀のアジアを軸とするダンスのグローバル・ヒストリー、および、それをふまえた新しい振付の理論を研究。共著『RELAY: Theories in Motion』(Palgrave、2016年近刊)、『バレエとダンスの歴史』(平凡社、2012年)、論文「大野一雄の1980年」(同33号、2012年)など。振付作品に『来る、きっと来る』(2013)がある。

通訳:高杉美和(たかすぎ・みわ)