ASIA center | JAPAN FOUNDATION

国際交流基金アジアセンターは、アジアの人々の間に共感や
共生の心を育むため、様々な分野で文化交流事業を実施しています。

MENU

コンテンポラリー・ダンスでカンボジア舞台芸術の新たな地平をひらく ――アムリタ・パフォーミング・アーツの挑戦

Interview/Asia Hundreds

伝統からコンテンポラリーへ、理解にいたる道のり

―伝統舞踊のアーティストが、コンテンポラリーの世界にすぐになじめるものなのでしょうか?

RK:やはりアーティストにとって、同時代の表現はそう簡単にたどり着けるものではありません。たとえば、ピチェはコラボレーションのプロセスで、ひとりのパフォーマーにシャツを脱いで踊るように言いました。彼はこれを受け入れませんでした。伝統舞踊の教育を受けてきた彼には、シャツを脱いで踊ることに強い抵抗があったのです。結局シャツは脱がず、それでも特に問題はなくピチェの作品は成立し、すばらしいものになりました。踊り手全員がそれぞれ衣装をつけていました。
このダンサーは1年後、インドネシアの「スラバヤ若手振付家ワークショップ」に参加しました。そこには若いアーティストが大勢集まり、教師もファシリテーターもいて、指示が出され、なんらかのショーイングをします。彼はかなり緊張しながら参加したのですが、少年のころから使っていてその後いったん手放し、5年、10年を経て再び手にすることになった伝統舞踊の猿の仮面を持参していました。アーティストの彼にはとても大切な、大事な仮面に関する新しい作品を創作しました。結局これが、他の2作品とともに最優秀作品に選ばれ、ジャカルタでも上演されることになります。カンボジアから彼を送り出したことが実を結んだと思いました。
この作品では彼はなんと衣装を脱ぎ、顔と身体にペイントして出演しました。1年前にはシャツを脱いで踊ることをかたくなに拒否した彼が、です。
1年の間に彼は多くのことを目にし、ピチェとともに海外公演にも参加して、一度カンボジアの外に出た。つまり、彼の精神と身体が外部と接することになって多くを吸収し、さまざまな若いダンサーたちと交流し、コンテンポラリー作品創作への思いを深めながら新しいアイディアを得たのです。

国際コラボレーションのプロセス

―外国から振付家を招いての創作は、ピチェの後も続けたのでしょうか?

RK:その後も演出家や振付家を招いてワークショップを行いました。重要なのは、その人自身がカンボジアのアーティストと創作することを本当に望むかどうかということです。というのも、カンボジアのアーティストはいわゆるコンテンポラリーな作品創作には慣れていないからです。そこに至るには実に長い長い対話が必要で、1年から1年半はかかります。フレッドはIETM(International Network for Contemporary Performing Arts)やTPAM(国際舞台芸術ミーティングin 横浜、当時東京芸術見本市)などに参加してさまざまな人に会い、何度も対話を繰り返し、その結果を持ち帰り、また検討する、この繰り返しでした。
カンボジアの若いアーティストを大切に育て、彼らが自分の声を見つけられるようにする、その意欲がある振付家を招いてきました。つまり、アーティストを作品上演の道具として使わないだけでなく、作品創作のプロセスのなかで創造的な提案を互いに、非常に積極的に交換していく。そのためには何度もアーティストと対話を重ね、自らの声、考えを見つけられるようにする。こういった人を探すのはそう簡単なことではありません。
あなたもご存知のベルギーを拠点に活躍する振付家のアルコ・レンツ(Arco Renz)は、何度も何度もカンボジアを訪れました。1~2週間の単位で何度か行き来し、実に長い時間をかけました。インドネシアのエコ・スプリヤント(Eko Supriyanto)も1週間単位で滞在し、そのたびに話し合いを重ね、その上で作品創作を決心したのです。アルコ・レンツの『CRACK』にはドラマトゥルグとしてシンガポールのタン・フクエン(Tang Fu Kuen)が参加していますが、彼も同様です。『CRACK』はベルギーでも上演され、その後オランダのフローニンゲン、ベルリン、そしてチューリヒの「テアター・シュペクターケル」(国際舞台芸術フェスティバル)に招かれました。

―『CRACK』は同フェスティバルで賞をとりましたね。

RK:はい、2012年の「ZKB Förderpreis 2012」(チューリヒ州立銀行奨励賞)を受賞しました。これは作品としての価値とともに、カンボジアの若いアーティストの力が国際的に認められたものだと考えています。
アムリタの第1ステージは、まず地元の伝統作品に注力することでした。第2ステージは、国際コラボレーションを通して、コンテンポラリー作品を追い求めることでした。現在アムリタは第3ステージにあります。ただし第2ステージが終了したわけではありません。さらにもうひとつ新しいフェーズが生まれたという意味です。こういった国際コラボレーションを数年にわたって行った結果、若いアーティストたちは多くのスキルを身に着け、自らクリエーションを行う、新しい世界へ進みつつあります。
私は2013年9月、エクゼクティブ・ディレクターに就任し、「コンテンポラリー・ダンス・プラットフォーム」を立ち上げました。3人のアーティストに作品を委嘱し、それぞれ6週間かけて作品をつくることができるようにしました。出演者も自分で選び、作品のコンセプトも自分たちで考えます。
小規模な作品をつくり、200席の小劇場でショーイングをします。これがいわば、ショーケースとなります。発表した作品について観客と対話も行います。創作の過程では、プロデュースする私たちともディスカッションをしますし、東南アジアのダンス実践者・専門家を招いてのディスカッションも行います。これらを通してアーティストは、自分たちの作品や振付のアイディアをさらに探求することができます。カンボジアのアーティストにとっては、振付という世界へ旅立つことを意味します。

コンテンポラリー・ダンス・プラットフォームで創作された作品
『Bach Cello Suites』 (振付 Belle (Sodachivy Chumvan)/Nam Narim) © Anders Jiras

―とてもよい機会ですね。

RK:はい。すでに3度、プラットフォームを実施しました。年に2回、5月と11月に開催します。最初はなかなか難しかったですが、そこから多くを学びました。こういったプラットフォームがあると試行錯誤できますし、フィードバックがもらえることで若いアーティストたちの振付の可能性が広がります。年2回のプラットフォーム、国際コラボレーション、ワークショップ等を通して、伝統舞踊については十分なトレーニングを受けたマスターでもある彼らが、コンテンポラリー・ダンスの世界に入っていき、自分たちの作品の創作を試みるのです。このプラットフォームは、国際コラボレーションとも連動しています。5月と11月にプラットフォーム、その他の期間にはコラボレーションのプロジェクトが進行し、ワークショップも行います。すべて、アーティストの育成のためです。リム・ハウ・ニェン(Lim How Ngean)を知っていますか?

―マレーシアのドラマトゥルクですね。もう20年以上、アジアのパフォーミング・アーツのコラボレーションに関わっているとか。

RK:そうです。彼は3週間カンボジアに滞在しドラマトゥルギーのマスタークラスを開きました。彼はカンボジアの状況をよく知り、理解しています。そういえば、今度カンボジア、マレーシア、日本のアーティストとの協働作品を手がけますよ。

国際コラボレーションにおける難しさ

―いいですね。ところで国際コラボレーションについて、たとえば困難などはありませんか?

RK:アルコ・レンツの場合は、彼はドイツ出身でベルギーに拠点を置いていますが、とても特別な人です。非常に知識の豊富な振付家ですし、アジアに対し真摯で深い関心を抱いています。フィリピン、ヴェトナム、インドネシア、カンボジアにも滞在し、作品をつくっています。
アジアで作品をつくりたい人は結構多いのですが、たいてい短期間滞在し、ワークショップなどして帰国します。これはこれでいいのです、お互いを知るためにはなりますから。とはいえ、そこから何かが生まれるということはなかなかありません。アルコのように現地に溶け込んで普通に生活をし、そこに住む人々と交流する人は少ないですね。
アルコは、プノンペンで一般の人と同じようにバイクに乗り、街中をくまなく歩き回ります。その国に住む人々を知るために実に長い時間をかけますし、カンボジアを訪れてアーティストに会うことにとても熱心です。アーティストたちと生活をともにし、展覧会や公演をともに訪れます。
でも、それだけじっくりと時間をかけて努力をしても、カンボジアの踊り手にとってアルコとともに作品をつくることは決して簡単ではなかったですね。

―そうでしょうね。

RK:カンボジアのアーティストたちにとってはまったく新しいこと、つまりアルコのスタイル、考え方に向き合うことになります。これを用いて彼らが自らの身体を使って動きを生み出していく。そのためのテクニックも必要です。彼らにとってはいわば長い旅であり、彼らから最高のものを引き出すという点において、アルコにとっても大きな挑戦です。でもアルコはこの点について実に深くコミットしていて、最高のものが出てきたと思います。

―困難が生じたときには、あなたがケアするのですか?

RK:以前はフレッドで、その後は私がその役目を担っていました。実は2014年8月、アムリタに初の芸術監督、チェイ・チャンケトヤ(Chey Chankethya)を迎えました。アムリタとともに活動していたアーティストのひとりで、その後フルブライト奨学金とACCの助成を得てUCLAでコンテンポラリー・ダンスの振付に関する修士を取り、戻ってきました。彼女は国際コラボレーションにおけるファシリテーターの役割を果たします。プラットフォームにおいても、アーティストにクリティカルな質問をして気づきや思考を促し、6週間のクリエーションのプロセスをより豊かなものにします。

―ではあなたは今後マネジメントのほうに専念するのですか?

RK:マネジメント、ファンドレイジング、ツアーの実現などを担当します。正直にいいますと、私はツアーをまだ実現していません。この職についてまだ1年、もっとネットワークを広げていかないといけません。その意味でも、今回TPAMに再び来られたことをとてもうれしく思っています。3年前に初めてTPAMに参加したときは、公演はみましたが、右も左もわからず、知り合いもほとんどいなくて、誰とどうつながればいいかもよくわかりませんでした。今回はより明確な目的意識のもと、とりわけピチェやフィリピンのアイサ・ホクソン(Eisa Jocson)等のアジアのアーティストの作品をはじめ、できるだけ多くの公演を観たいと思いますし、いろいろな人々と出会いたい、キーパーソンたちとつながりを持ちたいと考えています。近いうちにまたツアーに出られればと願っています。1年のうち、ダンスプラットフォームを2回、国際コラボレーションを2作品、新芸術監督の新作1作、ツアー2回を実現できればいうことないですね。