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コンテンポラリー・ダンスでカンボジア舞台芸術の新たな地平をひらく ――アムリタ・パフォーミング・アーツの挑戦

Interview/Asia Hundreds

アムリタのファンドレイジングとカンボジアの助成制度

RK:私たちはコンテンポラリー・ダンス・カンパニーとなりました。専属ではありませんが現在15名のダンサーがいます。公演芸術局に所属している人もいます。

―新たに芸術監督を迎え、コンテンポラリー・ダンス・カンパニーとしての活動を明確に打ち出していくということでしょうか。

RK:そうです。アムリタのダンスカンパニーは私たちの活動の中核をなしています。もうひとつは、プロダクション・マネジメントです。お話しした通り、フレッドは演劇実践者としてカンボジアに来て、この分野でのキャパシティを非常に高めてくれました。この方面の知識やスキルはカンボジアにはほとんどありませんので、他の団体が作品をプロデュースやツアー、フェスティバルなどを企画する際、私たちに依頼をしてくることが多いのです。もちろんそれに応じ、プロダクションに協力します。アムリタの主な収入は米国などからの助成金ですが、加えてプロダクション・マネジメントによる収入がダンスカンパニーの活動を支えています。カンボジア国内の公的支援は、前述のように、政府アーティストおよび文化芸術省の3組織に対するものに限られています。

―公的な助成金制度はないのでしょうか?

RKその必要性を常々主張しているのですが、まだありません。特にモビリティに対する助成金がまだないことを残念に思います。アーティストを直接雇用し、また教育機関などのサポートに助成を限定するという考え方は、やはりカンボジアの歴史や文脈と無関係ではありません。クメール・ルージュ体制が崩壊した後、当時のカンボジアはゼロ年でした、とにかく何もなかったのです。その際、カンボジアに入ってきたのは当時の東ドイツなどの共産主義体制の国の団体でした。カンボジアは共産主義国でしたから。アーティストの留学先もソビエト連邦が多かったですね。1993年に総選挙が行われ立憲君主国になってからも、その考え方は受け継がれ、現在も政府が直接アーティストを雇い、学校や組織の運営に予算をつける方式がとられているのです。
共産主義国時代は上演の機会もあり、月給を得て、米、干魚、しょうゆ、その他の食料雑貨など、すべて政府から支給されていました。経済的な条件からいうと、アーティストの生活は当時よかったのです。
国制が変わり、政治も経済も変わると、その変化は芸術文化にもおよび、パフォーミング・アーツへの支援も例外ではありませんでした。国が開かれると、タイやアメリカの映画文化がどっと流入してきました。

若い観客の関心と変化

―なるほど、映画の影響は大きかったでしょうね。

RK:若いカンボジア人はいっせいに西洋に目を奪われました。私自身は伝統舞踊をみて育ちましたが、私の次の世代は、インドの映画など含め、とにかく非カンボジアの文化で育ってきました。

―アムリタの公演を観にくる観客はどのような人たちですか?

RK:コンテンポラリー作品に取り組んでいるなか、かつてはカンボジア在住の外国人の観客が多く、カンボジア人は少なかったですね。徐々にカンボジアの観客層が拡大して、現在は半分以上がカンボジア人で特に若い人たちが目立ちます。ソーシャルメディアの影響もあるかもしれませんし、作品をつくる側が若者であることも、関係しているでしょう。つくる側と観る側に、共通の理解、共通の意識があるように思います。

コンテンポラリー・ダンス・プラットフォームで創作された作品
『Rank 21』 (振付 Belle ( Sodhachivy Chumvan) © Anders Jiras

―共通の関心事があるのでしょうね。

RK:同じことに関心を持ち、それについて話したいと思っているようですね。一度、こんなことがありました。ある回のプラットフォームで3作品を上演するにあたり、文化大臣を招きました。メールを出したのです。もしかしたら来ないかもしれないと思ったのですが、実際来場しました、それも結構早めに到着したのです。

―女性の大臣と聞いています。

RK:そうです。大臣を席に案内したのですが、前の列に座っていたのは全員若いカンボジア人、多分学生だったと思いますが、とても生き生きとしていて、狭いところにぎゅうぎゅうに座り、椅子だけでなく桟敷席も満席でした。大臣は、公演だけではなくてその若い観客の様子もみていました。彼らは公演中、舞台上でおきていることにとても夢中でした。私は文化大臣の隣に座っていたのですが、とても珍しい瞬間だと思いました。コンテンポラリー・ダンス作品がこれほどまでに彼らに直接語りかけている。舞台上で表現されているものは、若い観客にとって何か直接の関係性をもつものだったのです。文化大臣もその様子を目にし、終演後私と言葉を交わすと、マイクを持ってきてほしいと言いました。私たちは、「ああ、これで全員刑務所行きか」と思いました(笑)。でも彼女はマイクを持ちアーティストと観客に質問しました。「この舞台はあなたがたのアイデンティティと、いったいどういう関係があるのか?これはカンボジアなのか、そうだとしたらどこが?」こんな質問をしていました。
この状況はまさに、カンボジア人の世代間の差異を示しています。文化大臣はおそらく50代ですが、この世代の人々がまず考えるのは作品がカンボジア的であるかどうかであり、自分たちのアイデンティティではありません。

―若い人は必ずしもそうではないのですね。

RK:うーん、むしろ、自分との関連性を感じ取るのでしょうね。もしかしたら、ただ好き、ということかもしれません。先ほどの公演では、作品が直接観客の心に話しかけているように見えました。
昨晩私は、日本の劇団の公演を観ましたが、そこには私なりに見えるものがたくさんありました。他の人がみているものと同じだったかはわかりませんが、私にはたとえばジェンダーの問題をとりあげているように思えました。家族の問題でもあり、社会の問題とも解釈することもできます。同時代表現には多くのことが含まれていて、観客はそれを自由に、自分自身の人生と結びつけることができる。これがおそらくはコンテポンラリーであるということだと考えています。
カンボジアで上演される伝統舞踊作品は、常に神話に関するものです。ラーマとシータ、善が勝ち、悪が負け、神は勝ち、神でないものが負ける、神はときに悪さもする。それでいいのです。かつては私たちと直接関係していたものなのです。しかし今はそうではない。若者にとってはぴんとこないし、逆に理解するには難しいものなのです。伝統舞踊作品が悪いということではありません。ただ古代の表現は、現代では社会や政治、経済の発展によって、遠いものになってしまったのです。
少し前の話ですが、アムリタがコンテンポラリー作品を手がけようとした際、教師たちはみな、いったい若者がなにをしているのか、非常に動揺し心配しました。現代的なものを取り入れるとそれが何であれ、伝統舞踊様式の破壊につながるだろうと心配したのです。でも、こういう心配をする人々がいることは悪いことではありません。若いアーティストにとって、コンテンポラリーの世界に旅立つことは重要ですが、同時に、自らのルーツを知る必要もありますから。

―若いアーティストでも、まずは伝統舞踊を学ぶのでしたね。

RK:そうです。私たちは、伝統舞踊の教育を受けたダンサーと作品をつくってきました。これまでそうでないダンサーと仕事をしたことはありません。コンテンポラリー作品をつくり、これまでにない新しいことにチャレンジするとしても、過去に身に着けた確実なものがあるからこそ、それが可能なのだと考えています。

―そういった若い世代のアーティストで、自分たちの生きている社会や自分自身の問題を俎上にのせるような内容の作品をつくる人はいますか?

RK:はい、そういう作品をつくりたいという相談はよくあります。彼らは日常のなかに暮らしているわけですし、先ほどもお話ししましたとおり、決して裕福な生活はしていません。日々、生きていくために苦労しています。社会が抱える課題も見ています。そういった日常生活から作品創作のインスピレーションを得ているアーティストはいますね。

―演劇作品もありますか?

RK:いえ、ダンスです。でも演劇的なダンス作品はあります。たとえば、若い女性の振付家が自分と自分の赤ん坊の関係について話すという『Knot』がありました。彼女はその関係を動き、言葉と音楽でとらえようとしました。
もう一人は、『Tension』という作品を手がけました。 自分が社会のなかで個人として感じる緊張、テンションと、コミュニティが抱えるテンションです。市民が生活状況に不満を抱えてデモを行った際、政府がデモを阻止するため障害物をあちこちに設置しました。毎日彼はまちを歩き回りその様子を観察し、嫌悪を覚え、自分のなかのテンションを感じた。これが彼の作品の原点で、プラットフォームで発表されました。終演後のトークで彼は、自分の属する地域社会にあるこの特殊なテンションについて話し、これが作品をつくるきっかけとなったと述べました。とても勇気のいることだったと思います。

―今後の若い世代の創作が楽しみですね。今日はどうもありがとうございました。

【2015年2月8日、横浜創造都市センターにて】


聞き手:山口真樹子(やまぐち・まきこ)

東京ドイツ文化センター文化部にて音楽・演劇・ダンス・写真等における日独文化交流に従事した後、ドイツ・ケルン日本文化会館(国際交流基金)にて舞台芸術交流、日本文化紹介、情報交流他の企画を手がける。2011年春より東京都歴史文化財団東京文化発信プロジェクト室でネットワーキング事業を担当。現在国際交流基金アジアセンター勤務。