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単独性――シンギュラリティ――を求めて世界を旅する ――オン・ケンセン インタビュー

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

単独性――シンギュラリティ――を求めて

内野:ケンセンさんはこれまで日本との関わりも長くあり、福岡アジア文化賞を受賞するなどしています。ただ今日は、過去の話というより、これからの話をできるだけしたいと思っています。あなたは現在、シンガポール国際芸術祭(以下、SIFA)の芸術監督ですが、芸術監督あるいはアーティストとしてだけでなく、アジアにおける舞台芸術の未来について、どういうビジョンをお持ちですか?

ケンセン:私はアートを通して、単独性(シンギュラリティ)、あるいは例外的なものを求めているのだと思います。今になってそうだということではなく、ずっとそうだったということです。単独性(シンギュラリティ)ということは、私は文化交流には興味がないということを意味します。私の興味は、いろいろなアーティストとその活動があるなかで、単独的(シンギュラー)な芸術的コミュニケーションやビジョンなのです。ですから、これまでの作品も、どのプロジェクトも、私がかつてやっていた「フライング・サーカス・プロジェクト」(以下、FCP)ということになるかもしれません。FCPは、もともとアジア域内に集中していたのですが、徐々に範囲が広がっていきました。私が求めている単独的(シンギュラー)な声の持ち主は、したがって世界を横断して存在しているわけで、東南アジアといった地域に限定されるものではありません。

内野:ということは、地域というものはあまり重要ではない?

ケンセン:以前よりも重要ではありません。私が成長していく過程のある時点では、シンガポール出身なので、自分を理解するために、自身と関わる中国性、中国とは何か、ということに興味がありました。そしてシンガポールのなかに眼に見える形であるインドやマレー民族、ヒンズーそしてイスラム文化にも。しかし、そうした土壌の上澄みのようなものを超える必要があった。シンガポールは属していた共同体から離れた人々が集まってできた「ディアスポラ」の国家なので、移民してきた人たちが持ち込んだ土壌の上澄みのようなものはありますが、それほど深いものではない。ですから、その源の文化に戻る必要があった。その過程で、確かに日本との関係はとてもとても重要でした。というのも、日本がそういう深さを、能でいうところの「花」を求めることを教えてくれたからです。地理はたしかに重要ですが、アジアにはその限界もあります。それぞれの政治体制のつくられ方と関わりますが、父権主義やさまざまな形での検閲システムがあるからです。そのため、アジアに住む人々は、それぞれが活動する空間内に閉じ込められる傾向があり、だから、アジアだけを見ていてはいけないと思ったんです。

インタビューに答えるケンセンさんの写真
写真:鈴木穣蔵

内野:ちょうど私は、フレドリック・ジェイムソンの「単独性(シンギュラリティ)の美学」というエッセイを読んだところでもあり、単独性(シンギュラリティ)ということに興味があります。彼が言うには、今や、グローバル化した世界においては、すべてが平準化された。均質になったのではなく、他者だらけ、差異だらけになった、という肯定的な意味での平準化です。したがって、芸術にできるのは、ある特定の瞬間における単独性(シンギュラリティ)を刻印することだけで、その典型例がインスタレーションという、作品が残らない展示形式と、特定の瞬間の関係性の構築のみに注力するキュレーターという職能ということになります。あなたがいう単独性(シンギュラリティ)とはジェイムソンの定義と重なるのでしょうか?

ケンセン:はい。それでもなお、私たちは、どこかに係留先を見いだす必要があるのではないでしょうか?芸術世界に限ったことではないですが、ここでは芸術世界に限定しましょう。たとえば、日本では寺山修司、インドネシアではサルドノ・クスモといった人たちのビジョンは、世界を目指すための視座、つまりは係留地点を与えてくれるものでした。こういう視座が必要なのは、ますます世界がグローバル化しているからです。係留地点は常に革新的で、単独的(シンギュラー)なものです。というのも、そのビジョンは、ある特定の創造者のある特定の文脈から育ってきたものであっても、やがて未来を構想するある種の軌道を描けるようになり、人々にインスピレーションを与えるものになるからです。そこが芸術と文化の違いではないか。文化はそこら中にありますが、芸術はそうではない。
都市文化というのがあります。現代文化というのもあります。日本文化というのもあります。しかしアーティストというのは、文化が知覚するあるレンズを通して芸術的フレームを創造する存在です。だからこそ、文化ではなく芸術的ビジョン―いくつもの単独である芸術的ビジョン―になるのです。芸術と文化の本質的な違いは、芸術というのは芸術家が文化に持ち込むある種のレンズ、ある種の視座であるということです。
ですからすべては個人、単独性(シンギュラリティ)へと戻ってきます。単独性(シンギュラリティ)は、単なる個人の気まぐれなファンタジーでなく、歴史と関わることを通じて、その個が置かれた文脈から出てくるものです。舞踊家の田中泯さんが2000年にFCPでシンガポールに来ましたが、その時が初の東南アジア訪問でした。当時は、東南アジアに来るのは怖い、と彼は言っていました。この気持ちこそ、彼の単独性(シンギュラリティ)に固有の歴史意識がある証左でしたが、その後、今に至るまで継続してインドネシアをよく訪れるようになっています。

インタビューの様子の写真
写真:鈴木穣蔵

シンガポール芸術祭の思想

内野:世界の多様な場所において、そのような単独性(シンギュラリティ)、あるいは単独的(シンギュラー)なアーティストを発見するということは、SIFAの芸術監督としてのあなたのプログラミングに、具体的にどのように反映しているのでしょうか?

ケンセン:私のプログラムのつくり方は、私のアーティストとしてのアイデンティティ、自分が辿ってきた歴史と関係があります。その意味で、私がつくるフェスティバルは、芸術産業のモデルになるようなものではありません。パートナーシップを組み、共同製作をするというだけではないのです。私には3つ、興味があります。まず、才能を見いだすこと。そして、その才能に場所を与えること。最後に、その場所を共有し、その才能を観客と共有することです。これが私のアーティストとして成長した過程と重なるのは、いつも私は自分の才能をできるだけオープンな場所、オープンなプロセスに投げ入れようとしてきたからです。私は、興味を持ってくれる観客とのコミュニケーションをいつも心がけてきました。それが基盤となって、今はフェスティバルをつくっていて、だから芸術を売るということではありません。たとえばそれは、2015年の「ダンスアーカイブボックス」(以下、DAB)という企画に見ることができると思います。この企画はきわめて特異なアプローチによって成り立っており、どのようにフェスティバルのプログラムをするのかという問いに対する単独的(シンギュラー)な応答になっていると思います。

内野:その才能はどのように見いだすのですか?もしかしたらその才能を持つ単独的(シンギュラー)なアーティストは、自身の文脈ではまったく評価されていないということもありうるわけで。

インタビュー中の内野氏の写真
写真:鈴木穣蔵

ケンセン:とにかく旅をするということです。そして、さまざまなまちを訪れて得られた生きられた経験、つまり自分が実際に経験したことを蓄積してゆく。つまり、才能を直接、自分の眼で見いだすということです。もちろん、そういうやり方は誰にでもできるわけではありません。芸術が重要視されていないシンガポールの人間として、若いころは、プロセスにお金をかけること、エネルギーと時間をかけることを、なにより重視していました。芸術関係のミーティングはよくありますが、問題があると思っています。というのは、そこでいろいろな人に出会った気になるのですが、実はそこにいる人たちはすでに何らかの助成を受けてやってきている場合が多い。シンガポールの場合、誰が助成の対象になっているかに問題がある。ですから、SIFAの芸術監督になる前、私が個人のアーティストとしていわば勝手に動いてきた道のりというのがけっこう重要です。その当時は、シンガポールのアーツカウンシルから、「オーケー、お金を出すから日本に行ってきなさい」と言われることなどなかったわけですから。

内野:つまり、そういうミーティングに行っても、結局、いつも来ている人間は同じだ、と?

ケンセン:そう思いますね。

内野:違うものには出会えないと。

ケンセン:そうです。というのも、旅をするというのはフレームを変えるということです。同時代とは何か、という問いがありますが、同時代芸術をめぐる会議に行くと、それより大きな社会的・政治的関心で開かれている会議と比べると、私たち芸術家にとっての同時代というのがいかに狭いものなのかがわかります。つまり、同時代とは何か、というのは、ある特定の都市、ある特定の村に行ったときに、「ああ、この人は伝統的な陶器をつくっている人だけれども、考え方は同時代的なのだ」と気づいて、私の考え方のフレームが変わる。あるいは、同時代とは何かを根本から再定義する必要を感じる。ですから、会議というものは、そこら中にある境界を穴だらけにするようなものじゃないといけません。会議が重要でないとは言いませんが、直接の出会いが何より大切です。

内野:しかし、今やアートの概念が非常に多様化していて、逆にある種のアートの概念を守ろうとするような動きも起きています。アートの定義はひとりひとり違ってしまっているかのようになっています。多様性に向き合うことは恐ろしくもある。そんななか、あなたの仕事はシンガポールの観客からはどう受け取られているんですか?

ケンセン:自分の考え方をシェアすることが、観客とのコミュニケーションでは一番重要だと思います。そのために、たとえばSIFAでは、そのプレイべントとして「ジ・オープン」(The O.P.E.N [Open, Participate, Engage, Negotiate])という企画をやっています。理念を共有するためのプレ・フェスティバルですね。まずは単独性(シンギュラリティ)をコミュニケートしなければ、単独性(シンギュラリティ)なのだと口で言うだけでは仕方がない。米国の政治学者であるベネディクト・アンダーソンが言う意味での「想像の共同体」としての観客は、単独性(シンギュラリティ)はコミュニケートし共有できるものなのだと、楽観的にとらえることを可能にします。数の問題ではなく、そこからどうコミュニティが広がるか、ということです。「ジ・オープン」は、「想像の共同体」として観客と空間を共有するために重要です。芸術祭のプログラムを任されたことは大変光栄なことで、というのも、私はおそらく、シンガポール政府からするとふさわしいアーティストではなかったはずだからです。しかし、4年の任期のあいだに私はこの想像の共同体に対し、芸術がどうありうるかということについての、ある特定のビジョンを伝えるだけの時空間を与えられたと思っています。

インタビューの様子の写真
写真:鈴木穣蔵

シンガポールには今、表面を取り繕うような変化が起きています。一見、オープンに見えますが、検閲は以前より厳しくなり、「第一世界」のネオリベラルな国と化しています。ですから、私は、今、活動しているアーティストとして、ネットワーキングとアート・メイキング(芸術創造)はちがうのだ、単なる流行や広報やマーケティングとはちがうのだ、と言いたい。関係性ということでなら、芸術創造は関係的なものです。歴史に対する関係もあれば、周りの人々との関係もある。にもかかわらず、現代の芸術世界は、ますますネットワーキングとアートマネジメントとマーケティングに毒されてしまっている。ですから私は、マーケティングされていない、流行になっていない、ネットワークされていない単独性(シンギュラリティ)の声を、これらを横断する形で見いださなければならないと思っています。ネットワーキングしていれば芸術を創造しているという幻想があるのではないか。そこを分けて考えることが大変重要だと思うのです。

内野:SIFAの芸術監督の任期を延長することは考えていますか?

ケンセン:更新してもらいたくはないです。だからこその単独性(シンギュラリティ)じゃないですか?日本でもシンガポールでも、「芸術監督は全能なんですか?」と政府の関係者はよく言います。私は「そんなことはありません」と答えます。しかし委員会方式のキュレーションでないことが重要です。彼または彼女の単独性(シンギュラリティ)なビジョンが必要です。公的な空間を担保できるのは、ひとりの人間の単独性(シンギュラリティ)なのです。ただその単独性(シンギュラリティ)は終わらなければなりません。SIFAは都市のフェスティバルで、公的なものですから、常時更新される必要があるからです。いつまでもひとりの人間の単独性(シンギュラリティ)に頼るわけにいかない。でなければ、その空間を独占することになってしまいます。ですので、芸術監督の任期は4,5年である必要があります。一般的に言えば、たとえばヨーロッパでは5年程度が芸術監督の任期です。これは更新可能ですが、それでも1回だけでしょう。ただ、アジアのように変化が激しいところでは、2期10年というのは、あまりに長い。もし自分が単独性(シンギュラリティ)な存在だと信じるなら、同じ場所に5年以上いたら、だめになってしまいますよ。

内野:アジアの状況に話を戻しますが、アジアでは創造の環境が悪化しているとおっしゃいました。中国が代表とはいえないものの、東南アジアや南アジアを考えたときに、若い世代のアーティストの未来はどういったものになるとお考えですか?

ケンセン:いろいろなやり方はあるでしょうが、アーティストとして自立していることが大事だと思います。自立するのは、もちろん、危険です。「そりゃあなたのような文脈にいれば、あるいはもう力を持ったから、自立しろとか口にできるんだ」と言われることもあります。ネットワークに愛される存在、政府に愛される存在、助成組織に愛される存在というのがいます。若手アーティストに伝えたいことは、そういうものを含め、自分の文脈から出ることです。それで自身の作業について、内側と外側の視点を持つことができる。助成は必要ですが、それだけに執着すべきではありません。ただ同時に、ノマド的に動いているだけで満足すべきではなく、それは作品創造につながらなければなりません。作品をつくることは、経済的効率性を相手にすることにもなるからです。旅をするけれども、立ち止まって創造する。それからまた旅をして、また創造する。作品創造においては、非効率的に作業を進めるのには賛成です。旅の仕方にも注意が必要です。どうやって移動性が獲得できるのか。どうやって妥協しないで続けられるのか。

インタビューの様子の写真
写真:鈴木穣蔵
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