ASIA center | JAPAN FOUNDATION

国際交流基金アジアセンターは、アジアの人々の間に共感や
共生の心を育むため、様々な分野で文化交流事業を実施しています。

MENU

後小路雅弘――『Art Through Our Eyes』上映会アフタートーク:FUN! FUN! ASIAN CINEMA@サンシャワーにて

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

美術×映画に見る東南アジアの繋がり

古市:「サンシャワー」展のような東南アジアの現代美術については、90年代から各国で活発に紹介されていますが、近年、その背景となる近代美術やその前の19世紀あたりの研究もかなり進んできており、『Art Through Our Eyes』を製作した2015年設立のシンガポール国立美術館(National Gallery Singapore)なども非常に力を入れています。

後小路:このオムニバス映画は、気鋭の東南アジアの映画監督5人がシンガポール国立美術館の収蔵絵画の中からそれぞれ一点選び、インスピレーションを得て作ったショートフィルムのオムニバスです。最初の作品でジョコ・アンワル(Joko Anwar)監督が選んだのは、19世紀のインドネシアの美術家ラデン・サレー(Raden Saleh)の《Wounded Lion[傷ついたライオン]》(1839)という作品です。この画家は19世紀のジャワ貴族の出自で、30年ほどヨーロッパに留学し、宮廷で絵を描いていました。
本作はフランス・ロマン派を思わせるような作品ですが、ある研究者によれば、ライオンは当時インドネシアを植民地化していたオランダを象徴していて、この背中に刺さっているクリスという聖なる剣で同国を突き刺しているという見方もありますが、私はそこまで象徴的に考える必要はないのではないかと思います。映画の中では、主人公が伝統的なジャワの舞踏・舞踊を守るものの、生活に困窮して路上で演じている。しかし誇りを失っていない姿が、このライオンと重ね合わせられるかと思います。
シンガポール国立美術館の最初の展示室には、ラデン・サレーによる巨大な作品《Boschbrand[森林火災]》が展示されていますが、こちらも動物が非常にダイナミックに描かれていて、なかなかの迫力です。ラデン・サレーは、近代美術の先駆けとしてインドネシア絵画史上、突出した存在と言えます。

ジョコ・アンワル『Wounded Lion』(スチル)2016年
ジョコ・アンワル『Wounded Lion』(スチル)2016年

 ジョコ・アンワル『Wounded Lion』(スチル)2016年

古市:ラデン・サレーは1807年か1811年生まれで(生年については二説あります)1880年まで生き、19世紀を生きた画家ですね。この映画に出てくる2つの絵画が代表作だと思うのですが、ヨーロッパにいるときに描かれた絵です。

後小路:後で出てきますが、彼の作品を2人の監督が別々の作品を選んでいるところも興味深いところです。次の作品は、マレーシアの代表的な画家ラティフ・モヒディン(Latiff Mohidin)の《Aku[おれ]》という作品です。ホー・ユーハン(Ho Yuhang)監督がこの作品を選びました。これは1958年、画家が17歳の時の作品です。ラティフ・モヒディンはドイツに留学し、東南アジアの伝統的なものを抽象化した形の作品で知られている画家です。しかし、ヨーロッパに行く前の本当に若い時期に描いた作品をホー監督が選んだところが、なかなか興味深いところだと思います。
この絵画は、インドネシアを代表する詩人ハイリル・アンワル(Chairil Anwar)の写真をもとにして描いたもので、彼の詩「Aku[おれ]」がそのままこの絵のタイトルになっています。「闘魂」という別のタイトルもあるのですが、その詩の一節に「このおれは群れから見捨てられた野生の獣だ。弾丸が皮を貫こうとままよ。止めずにおれは襲いかかる」とあります。詩人が20歳くらいで書いた詩で、その若い自尊心やある種の覚悟のようなものが感じられると思います。
インドネシアでは誰でも知っている詩ですし、マレーシアのマレー語はインドネシア語の元になっているのでかなり共通しているのですが、マレーシアの若者も戦後の国家独立時に愛唱したという詩です。ですので、マレーシア出身のラティフ・モヒディンが若い頃にハイリル・アンワルの詩をモチーフに、その写真を元にして共感をこめて描いた自画像のような作品ですね。

ハイリル・アンワルは20代後半で亡くなってしまいますが、この詩は日本占領下の1943年に書かれました。第二次世界大戦時、日本軍が東南アジアに軍政を敷いていた時につくった「啓民文化指導所」というプロパガンダ組織で、初めてハイリル・アンワルがこの詩を聴衆の前で詠んだということで、日本とも関係があります。その時の彼の心情がどのようなものだったか推測するしかないですが、非常に激しい思いを伝えるような詩になっています。実は、このアンワルはこの詩を書く直前にラデン・サレーによる森林火災の絵を詩に詠んでいます。そういう意味で、意識しているかは分かりませんが、先述の《傷ついたライオン》とは一種のしりとりのように繋がっている部分があるのかなと思います。

ホー・ユーハン『Aku』(スチル)2016年
 ホー・ユーハン『Aku』(スチル)2016年

古市:モヒディンがこの絵を描いた1958年、マレーシアはどういう状況にあったのですか?

後小路:マレーシアとシンガポールは第二次世界大戦後、再びイギリスの統治をうけ、その中で独立に向けて様々な動きがあります。(1957年マラヤ連邦独立、63年にシンガポール・サバ・サラワクと統合し、マレーシア成立を経て)1965年にシンガポールが分離して現在の形に至るまで、政治的な問題や、どの地域が一緒になってどういう国を創るのかという様々な離合集散がありました。独立へ向けて色んな意識が高まっていく時代に、モヒディンがこの詩を取り上げて、自分の姿を重ねたという複雑な背景があります。

古市:若き日のモヒディンの心情という感じですね。