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ハムディ・ファバス×小澤勇介――インドネシアと日本 ストリートダンスがつなぐ縁

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

スタジオの外で踊ることから始まった

――小澤勇介さんは渋谷を中心に、Enダンススタジオ*1 を全国展開されています。またハムディ・ファバスさんも母国インドネシアで、Bboy Indo*2Fabas Art Dance Productions*3 を運営し、ダンスの普及に力を入れられています。このお二方には両国のストリートダンスシーンを背負う人材を育成されている共通点があるということで、日本とインドネシアのストリートダンスシーンの現状、さらに今後の展望についてお話をいただければと思います。まずお二方のストリートダンスとの接点についてお話しいただけますか。

*1 「世界をより近く感じられるダンススタジオ」
関東に8店舗を展開する。国内・世界で活躍するプロダンサーが多数在籍し、世界中のダンサーから支持されている。Enダンススタジオ 公式Webサイト

*2 ストリートダンス/Bboyコミュニティのためのインドネシア最初の団体。2003年にハムディ・ファバスにより設立され、青年スポーツ省とも協力しながら、ストリートダンスのハブ(拠点)として若い世代のストリートダンスへの関心を高めていくことを目指して活動している。Bboyindo 公式webサイト(英語)

*3 舞台公演、イベント運営、クリエイティブコンサルティングを専門に手掛けるジャカルタ拠点のダンスカンパニー。Fabas Art Dance Productions 公式Webサイト(英語)

小澤勇介(以下、小澤):僕がダンスと出会ったのは高校生の頃で、17年前になります。当時は「En」のようなダンススタジオもなく、公園やガラス張りのビルの前で踊っていました。DJやダンサー、ラッパーが公園に集まって音を流して練習する環境がたまたま身近にあったので、そこから興味を持ち始めました。ただ、教えてくれる人もいないので、僕らの前世代が観ていた『天才たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」のビデオや、TRFのSAMさんがMCを務めていた『RAVE2001』というダンス番組を観て、振付をみんなで教え合っていました。

ハムディ・ファバス(以下、ファバス):僕のバックグラウンドにはストリートダンスがありますが、当時のインドネシアでも、それほど大きな業界にはなっていませんでした。ダンスといえばモダンダンスやブロードウェイ・スタイルが主流。ストリートダンスはまた別ものとして認識されていたので、自分たち自身の手で、エンタテインメントに育てなければいけませんでした。だから僕も小澤さんと同じようにスタジオの外で踊るところから始めましたし、最初からビジネスとして活動していたわけではありません。そこも非常に似ていると思います。インターネットも今ほどは発達しておらず、テレビや録画したビデオで学んでいたという点も同じです。

――小澤さんはその後、アメリカに行かれていますね。

小澤:ダンスを始めて2年が経った頃、ストリートダンスの発祥地アメリカへ、とにかく行ってみようと思い、ロサンゼルスに4年間留学して、英語とダンスを学びました。現地のダンススクールには、ヨーロッパからもアジアからも多くのダンサーが集まっていました。まず言葉の壁にぶつかりましたが、ダンスを一緒に踊って分かち合うことに国籍は関係ないことを知りましたし、ノンバーバル・コミュニケーションとしての可能性を強く感じました。ダンスでならば誰とでも仲よくなれるのだと。ダンスから生まれるコミュニティをさらに広げたいと思うようになりましたし、アメリカに行ったからこそ日本のよさも理解することができた。留学の経験は今に生きています。

小澤勇介とハムディ・ファバス

ファバス:私の場合、ダンスは最初は趣味でした。ストリートダンサーはプロの表現者ではないという世間一般の見方が、エンタテインメントの世界に入る壁になっていたと思います。ストリートダンスの表現としてのすごさを伝えて、一般からの認知を得ることが非常に難しかった。ですから、一般の人たちに注目してもらうために、ムーンウォークなどマイケル・ジャクソン的なポップの動きを取り入れました。自分にはBboyダンサーだったおじがいて、彼からも踊りを学んだのですが、おじを含む私たちがインドネシアにおけるBboyの第一世代といえると思います。
私たちはとても若く、フレッシュな印象をエンタテインメント業界の人たちに与えることができたので、そこからキャリアをスタートすることができました。「こいつら、何か新しいことをやってくれるんじゃないか?」と思ってもらえたのでしょうね。
ただ、当時のインドネシアは国外に出ることが難しく、小澤さんのように海外でなにかを学んだという経験はありません。その代わり、国の文化センターに働きかけ、海外からダンサーを招へいし、ワークショップを開催してもらいました。それが初めて経験したスタジオワークです。そこからストリートダンサーも、次第にスタジオを使えるようになっていきました。ただ現在でも、スタジオを立ち上げたいと思っても、やはり資金の問題があります。

小澤:なるほど。僕は帰国後は、地元の群馬でダンスに関わる活動がしたいと思っていました。そのため一緒に踊っていたメンバーに声をかけたのですが、そのときすでに数は少ないながらも、地元にダンススタジオがいくつか存在していましたので、そこで教えることから始めました。ですが教えているうちに「ここはアメリカでの経験を活かせる場所なのか」という疑問が湧いてきました。自分のやりたいことを表現したい気持ちが強く、自分のダンススタジオを作りたいと思うようになりました。自分がいいと思うダンサーたちとコミュニティを作り、一緒に活動できたらと思ったのです。そして2008年に、幾度かのプレゼンを経て、フィットネスジム内にあるスタジオを使わせてもらえることになりました。それがEnダンススタジオの始まりです。お金はありませんでしたが間借りだったので、設備投資にお金がかからなかったことはラッキーでした。

ファバス:なるほど。とても刺激を受けるエピソードですね。

小澤:時期もよかったのだと思います。2012年からは中学校の体育でヒップホップダンスが必修科目になりましたし、その頃にはEXILEを始め、ダンスをフィーチャーしたミュージックビデオなどで、一般の間にもストリートダンスが身近になっている流れがありました。それを理由に活動を始めたわけではありませんが、ストリートダンスに対するネガティブなイメージが払拭されつつある時期だったのは、よかったと思います。あとはYouTubeなど、日本でもダンス動画を手軽に観られる環境が整ってきたことも大きかったですね。

小澤勇介

両国のダンサーとスタジオをめぐる現況

――今のインドネシアでは、ストリートダンスを含むダンスシーンは、どのようになっているのでしょうか?

ファバス:インドネシアにおいて、ストリートダンスは今のところクリエイティブなものだと捉えられています。そういった意味で、ダンスが生き残る場所はたくさん用意されていると感じています。まずはエンタテインメントとしてのストリートダンス。ここでは、レクリエーションの要素が強く、教育としての側面はあまり意識されてきませんでした。むしろ、スポーツ競技の一種だと考えられてきたように思います。それはやはりストリートダンスが(バトルなどの)競争の要素を持っているからでしょう。現代生活で人は多くの競争に直面しますが、ストリートダンスを通じて、そういった状況に適切に対処していけるようになると思っています。政府からの支援について言えば、インドネシアではストリートダンスは青年スポーツ省のサポートが受けられます。ですが教育文化省からは認知されていません。でも、教育文化省も必要に応じて、たとえばスタジオを設立する際の学校ライセンスの発行などで支援を提供してくれます。
あとは、インドネシアではボールルームダンス(ラテン、サルサ)がとても盛んです。こちらはダンススポーツ協会の傘下に入っていて、青年スポーツ省の支援があります。というわけで、ざっくり区別すると、ストリートダンスはレクリエーションとしてのスポーツ、それ以外のダンス(ボールルーム)はオリンピック競技的なメインストリームのスポーツとして認識されています。青年スポーツ省はストリートダンスを支援していますが、ボールルームのようなスポーツ競技的なものとは別物として考えていて、ストリートダンスはレクリエーションスポーツとして捉えられています。

小澤:そういう違いがあるのですか。

ファバス:ええ。そしてインドネシアでは今まさに、ストリートダンスをスタジオで教え始めた段階にあります。ビギナー、ベーシック、中級、上級、という能力別のレッスンが行われるようになったばかりなのです。ただ、現在ではネット上の動画メディアが盛んなだけに、スタジオを運営することには難しさもあります。

小澤:逆にEnダンススタジオは、SNSによる情報拡散で規模を拡大できた側面があります。ビジネス的に考えれば、紙媒体などの広告に資本を投下するのが常道かもしれませんが、資金が限られている中、他のダンススタジオとどう競争するかを考えたときに、SNSを活用する手法が浮上してきたのです。インターネットに上げるレッスン動画一つにしても、撮り方を工夫するなどエンタテインメントを付与し、観る方に楽しんでもらう工夫をした上で発信しました。

ファバス:お話を伺っていると日本とインドネシアとでは、ストリートダンスを取り巻く環境に大きな違いがあると感じます。ただ、小澤さんの弱点を強みに変える手法は非常に興味深い。というのも、インドネシアのスタジオ経営者からは苦労している話をよく聞きますから。ジャカルタには主要なもので10ヵ所程度のスタジオがありますが、やはり受講者を確保するのが大変です。受講料金が物価と比べると高くなるのですが、場所代や人件費などのコストを考慮すると、どうしてもある一定のラインは保たざるを得ない。インドネシア経済は発展途上にあり、以前よりは余暇に使える金銭が増えているのは好材料です。でも、余暇は生活の中で最優先に位置づけられるものではありません。ですから「ネット上の動画を観てダンスすればいい」ということになり、スタジオで直にレッスンを受ける動機が生まれにくいのかもしれません。

小澤:個人的に思うのは、日本には習いごとの文化があるから、ダンススクールがやりやすいのかもしれないということです。

――ダンスが子供の習いごとの一つとして捉えられているということですね。

小澤:それだけに、先生のお手本通りにきっちりやる傾向があります。アメリカのスタジオでは、先生がいても自由に踊る人が大勢いましたから。また「ヒップホップなら王道のヒップホップを」というように、きちんとカテゴライズされたものを学びたいという希望も強いです。

ファバス:インドネシアの人も学ぶことは好きだとは思います。そしてプレッシャーのない環境で、楽しく学ぶことが大事だと思います。僕もフィットネスジムでダンスを教えたことがありますが、多くの人たちが「ストリートダンスを楽しもう」という姿勢で受講してくれました。そのときに感じたのが、フィットネスジムは会費制で自由にクラスを受講できますが、そこがインドネシアでは受けているのではないか、ということです。ですから自分が本格的にスタジオを開設するとしたら、会費制にしてクラスを好きに選択できる方式がいいだろうと思っています。そのためには赤字にならないよう、よく計算しておかないといけませんが(笑)。

小澤:それは大事なことですね(笑)。あと日本人は、上手く踊れないことを嫌がるといいますか、自分が興味を持ったものに対して、職人気質のように極めたがる傾向があります。また恥ずかしがり屋だからこそ、技術面で自信をつけてカバーしようとして頑張る部分があるように思います。

ファバス:インドネシアにも、一つのジャンルにこだわって深く分け入っていくタイプのダンサーもたくさんいます。以前はそれほどでもありませんでしたが、最近はそれが顕著ですね。おそらくダンサーが海外に出られるようになったことが影響していると思います。インドネシアで一番身近な外国は、ダンスにおいてはシンガポールですが、そこに行くダンサーが増え、フェスティバルや大会などで日本のダンサーとも出会う機会が生まれました。日本のダンサーと師弟関係を結ぶ人も出てきましたし、先ほど小澤さんがおっしゃった日本のダンサーの傾向を学び、自分ももっと技術を深めたいと考える人も出てきたように思います。

ハムディ・ファバス

――Enダンススタジオも、海外からの受講者の受け入れに積極的だと伺っています。

小澤:そうですね。たとえばビヨンセのバックダンサーを招いて講師をしてもらうですとか、夏に開催するダンスキャンプでは、海外で有名なダンサーを8人から10人くらい招へいし、200人規模のレッスンを1週間程度開催しています。そういうイベントやSNSの影響もあって、今は海外からも受講者が集まっています。最初にお話しした通り、僕の世代ではダンスといえばアメリカです。ですけど今は、ダンスといえば日本に学びに来る状況になっている。アジアでは中国、タイ、韓国、インドネシア、マレーシア、シンガポール。ヨーロッパではフランス、スペイン、イギリス……、スウェーデンからも受講者が来ています。「なんでこんなに日本人は上手いんだ?」と思った人たちが、インターネットの動画などを観て、学びに来るわけです。また海外でダンス講師として活動する人が、ここで学んでその後ヨーロッパにも教えに行くケースもあり、彼らの口コミで「日本にはいいダンサーがいて、日本に行くと上手くなる」という話が広まっているようです。中でも人気があるのは基礎クラスです。日本人は基礎を大切にしますが、そこを学びに海外のダンサーが訪れる傾向があります。日本人の技術の高さを突き詰めたときに、基礎の重要性にたどり着くことが伝わっているのかもしれません。あとは、世界で活躍する日本人ダンサーが増えた影響も考えられます。菅原小春さんやs**t kingz(シットキングス)、東京ゲゲゲイが海外にも活動の幅を広げていますから。