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シャリファ・アマニ――ヤスミン・アフマドがいた時代:マレーシア映画のニューウェーブ

Interview / Asia Hundreds

ヤスミンが教えてくれたこと

石坂:アマニさんは監督業にも興味があると伺っています。

シャリファ:とても興味があります。8年前から長編映画の脚本を書こうとしています。『ワスレナグサ』の準備をしていたとき、監督になりたい、物語を語りたいという気持ちをヤスミンに伝えました。彼女は私を見て、「あなたが? まだ若すぎるわ。人生の何を知っているというの? どんな物語を語りたいの?」と言いました。これがヤスミンのやり方なんです。彼女は相手を知るとき、まずその人がどのくらい本気でそれを望んでいるのかを見るのです。今、私は充実した人生に恵まれていますが、当時は人生を十分に生きていなかったし、愛する人を失った経験もありませんでした。私の身には何も起こっていなかった。その後ヤスミンが亡くなり、親しい人を失う気持ちがどういうものかを知りました。

石坂:『ワスレナグサ』の脚本は私も日本語で読みましたが、実際に映画化するのは難しいのではないでしょうか。ヤスミンの極めて個人的な話です。この脚本を映画化できればとても素晴らしいことですが……。

インタビューの様子の写真

シャリファ:『ワスレナグサ』にはアイデアが生まれたときから深く関わっていました。日本でのロケハンにも同行し、少年役のオーディションにも立会い、俳優の藤竜也さんにもお会いしました。思い入れがあるので映画の完成を見てみたいけれど、実際にこの映画がどうあるべきか正しく理解して作れる人はいないと思います。

エドモンド:誰かが台なしにするぐらいなら、完成しない方がいいのかもしれません。

シャリファ:そうですね。映画化が実現することはないでしょう。というのも、ヤスミンの夫ユー・レオンによると、この映画を完成させたくないというのが彼女の最後の願いだったからです。私は彼女の「娘」ですから、彼女の思いを尊重しようと思います。ただ個人的には、脚本を教育目的で使えたらとは思います。若い脚本家に、ヤスミンがどのように物語を書くのかを知ってもらい、分析してもらえるかもしれません。それから『ワスレナグサ』のアイデアを引用して、短編映画に生かすことならできるかもしれません。ヤスミンのファン、映画の作り手として、『ワスレナグサ』のテーマにある彼女の思いを受け継げるからです。それでも、あの映画そのものを作ることには賛成できません。『ワスレナグサ』は今も神聖なものです。いい加減に扱えない、大切なものです。

エドモンドから見たヤスミン

石坂:エドモンド監督は、ヤスミンと会ったことはありますか。

エドモンド:ありません。電話なら一度だけあります。2007年、日本で初めてウー・ミンジンのテレビ映画を手伝っていたときに、ミンジンから「ヤスミンにハンサムな俳優を紹介してほしいと頼んでくれ」と言われ、彼女に電話したのです。ヤスミンは「あら、それはかなり主観的になるわよ」と言いました。「客観的に高く評価できる人はいませんか」と伝えたところ、「考えさせてちょうだい」と言われ、それきりです(笑)。

シャリファ:ヤスミンはそういう人なんです。しつこく追いかけないと、つかまえるのは難しい。とても忙しい方でしたから。

インタビューに答えるシャリファさんとエドモンド監督の写真

エドモンド:『細い目』がTIFFで最優秀賞を受賞したとき、私はオーストラリアに留学中で、このニュースを聞いて飛行機の中で『細い目』を観ました。マレーシアの監督たちが世に出つつあった時期ですね。

石坂:あなた自身、才能ある監督の一人として、ヤスミンをどのように評価しますか。

エドモンド:『ムクシン』は大好きな作品です。彼女の才能など全てがピークにあったと思います。

シャリファ:私も大好きな映画です。

石坂:釜山国際映画祭が2015年に出版した 『Asian Cinema 100[アジア映画オールタイムベスト100]』 で、最も上位にランクインしたヤスミン映画は『ムクシン』でしたね。

ポスターの画像
ヤスミン・アフマド『ムクシン』(ポスター)2006年

エドモンド:初めてスクリーンで観たのも2007年の『ムクシン』で、ミンジンに出会うきっかけとなった、思い出深い作品です。オーストラリアから帰国後、当時仕事をしていたある監督と『ムクシン』を観ることになり、「せっかくなら」と彼が連れてきた友人がミンジンでした。ミンジンと話しているうちに気が合い、「一緒に仕事をしよう」と誘われました。こうして『ムクシン』を介して、全てが始まったのです。