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タナポン・ウィルンハグン――デモクレイジーの挑戦:国際共同制作、そして「ゲーム」という戦略

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

デモクレイジー・シアター誕生の経緯

藤原ちから(以下、藤原):今日はよろしくお願いします。私は演劇の批評をしていますが、一方では自分でも作品をつくっていまして、日本の他には、フィリピン、ドイツ、中国、韓国でよく活動しています。また例年何かしらの形で参加しているTPAMのような場でも、アジアのアーティストたちと話をする機会が増えています。ところが、実はタイにはまだ観光で行ったことさえありません。

そして残念ながら、2016年に上野ストアハウスで「ストアハウスコレクション タイ週間」として特集上演された、デモクレイジー・シアターの『Hipster the King』も映像でしか拝見できていません。しかしTPAM2015で範宙遊泳とコラボレーションされた『幼女X*1 は、非常に印象的な舞台として記憶に残っています。ですから、今日はお話を伺えるのをとても楽しみにしてここに来ました。

*1 原作:山本卓卓。2013年初演。TPAM2014で上演後、マレーシア、タイでの日本語版上演及び各国との共同制作に発展。TPAM2015で、タナポン・ウィルンハグンとの共同制作版を上演。同年、タイでも上演された。

まず、デモクレイジー・シアターについての基本的なお話からお訊きしたいと思います。いつ、どういった経緯で立ち上げられたカンパニーなのでしょうか。

タナポン・ウィルンハグン(以下、タナポン):デモクレイジー・シアターは、2008年に設立されました。当時バンコクでは、まだブラックボックスの劇場の数が非常に少なかったのです。そのため演劇を上演するスペースがあまりなかったので、そのための選択のひとつとして、デモクレイジー・シアターが設立されたのでした。

設立者は私ではなく、パウィニー・サマッカブットです。当時は「良い演劇作品をつくることさえできれば、きっとそこにお客さんがついてくるはずだ」という信念の下に立ち上げられました。そして2014年からはその劇場で、毎月何かしらの演劇作品を上演するようになっています。それがきっかけで観客も増え、デモクレイジー・シアターの知名度も次第に上がってきました。現在はもう、毎月は上演していないのですが。

インタビューに答えるタナポンさんの写真

藤原:パウィニーさんは現場を退かれて、タナポンさんがその後を継がれたということですか?

タナポン:いえ、パウィニーは今でもプロデューサーとしてデモクレイジー・シアターに所属しています。私とパウィニーとが共同で芸術監督を務めている形ですね。私たちがまとめ役でいて、その他のメンバーはアーティストや技術スタッフとして所属しています。

「メンバー」という呼び方をしてはいますが、募集しているわけではなく、気付いたら自然にメンバーが集まって形成されたというのが実情です。最初はスペースだったんです、演劇をやりたい人たちのための。そこに人が集まってきて、やりたいこと、志が同じだという人が、自然にカンパニーのメンバーになった。だから、照明デザイナーとして働いている人や、元はコンピュータエンジニアだった役者など、いろんな人たちがいますね。

藤原:そうなると、これはごく基本的な質問になりますが、デモクレイジー・シアターというのは、カンパニー名でもあり、同時に劇場名でもある、ということですか?

タナポン:正確には、デモクレイジー・シアターがカンパニー名で、デモクレイジー・シアター・スタジオが劇場名ですね。

インディペンデントな劇場運営

藤原:様々な人々が関わっているとはいえ、毎月何かしらの作品を上演するのは相当に大変なことだと想像します。いくつかレパートリー作品をつくって回しているということなのでしょうか。

タナポン:最初は演劇をやりたい人たちのためにスペースを提供するという気持ちで始めた劇場が、毎月上演しようということになったものですから、大変でしたね。周囲の協力を得て何とか運営してきました。私自身が演出する以外にも、もっと若手の演出家を支援していきたいこともあり、他の演出家に新作をお願いする場合もあります。過去作品に手を加えるような形もありました。また、デモクレイジー・シアターがプロデューサーとして関わる上演だけではなく、他のカンパニーが(スペースを借りて)上演するケースもあります。

インタビューに答えるタナポンさんの写真

藤原:劇場の運営については、どういう資金繰りで回されているんですか。例えば政府からの補助金が出ているとか……。

タナポン:政府からの補助金は全くありません。主に外国でのプロジェクトに参加した時に得た収入をそちらに回して運営しています。

藤原:……ということは極端な言い方をすると、外国に出稼ぎに行って、そのお金で劇場を運営しているということですか?

タナポン:そうです。入場料収入もあまり多くないですから。もしも客席が満員になったとしても、全ての運営資金をそこで賄うのは不可能なんです。

藤原:なるほど、インディペンデントな劇場を運営していくというのはやはりどこも大変ですよね。それにしても、自然発生して成長してきたというデモクレイジー・シアターの集団構造は、私には非常に興味深いものに思えます。日本では、例えば快快(faifai)のような、多才なメンバーがヒエラルキーなしに結びついている例外的なカンパニーを除けば、多くの場合、演出家・劇作家・劇団主宰が同一人物であり、そのポジションに権力が集中するというのが一般的なパターンになっています。しかし他のアジア諸国では、そうしたピラミッド型の中央集権的な構造ではない、もっとフレキシブルな集団の在り方をしばしば目にしますね。……ところで、メンバーは自然と集まってきたとのことですが、世代的には何歳ぐらいの人たちなのでしょうか?

タナポン:若手が多くて、23歳から30歳ぐらいまでですかね。

藤原:だいぶ若いですね。そうなると、タナポンさん(34歳)はすでにかなりの年長ということになりますか?

タナポン:ええ、だいぶ先輩、という感じですね(笑)。

藤原:観客の年齢層もやはり若いんですか?

タナポン:作品によってもお客さんの層は変わってきます。例えば私が演出する作品では、観客はやや若いですね。私の作品はコンセプトが強く、自分のこだわりもありますから、わりと観客は限られたグループになります。しかし他の演出家が担当する、既成戯曲を扱うような作品になると、学生から、勤め人、もしくは年配の方まで、幅広い観客層になります。

藤原:範宙遊泳との『幼女X』もそうですし、その他、映像で拝見したかぎりでは、タナポンさんの作風は非常にラディカルで、いわゆるドラマ演劇とは異なるコンテンポラリーな表現であるように見受けられます。今のお話ですと、タナポンさんご自身はそうした前衛的な表現を追求されていながら、その一方で、劇場の芸術監督としては、他の演出家に依頼してオーソドックスな演劇も上演されているわけですよね。ちなみにテクストベースの場合、扱うのは例えばチェーホフやシェイクスピアのような古典的な戯曲なのでしょうか。それともタイの現代作家による戯曲なのでしょうか。

インタビュー中の聞き手、藤原氏の写真

タナポン:頻繁に依頼するアッジマー・ナ・パッタルンという演出家がいるのですが、彼女にお願いしているのは古典戯曲の演出ですね。デモクレイジー・シアター・スタジオでは「デモクラシック」という古典戯曲を演出するプロジェクトを行っていて、ここでは例えばシェイクスピアの『ハムレット』のような名作を上演します。ちなみに今年このプロジェクトで取り上げる戯曲は、『The Crucible』というアメリカの戯曲です。

藤原:日本では『るつぼ』として知られている作品ですね(アーサー・ミラー作、1953年初演)。そうやって古典を演出する場合、これもまた細かい質問になってしまうのですが、演出は斬新な方法なのか、それともわりとオーソドックスなスタイルなのでしょうか。

タナポン:斬新な方法ではありません。戯曲の内容を現代版にアレンジしたり、手を加えることはありますが、軸になる部分は変えずに上演します。というのも、パウィニーはテクストベースの作品が好きなんです。古典戯曲の多くは、私たちの現代社会を反映しており、人間性に変わりはないと彼女は考えています。

「振付」という考え方

藤原:なるほど、デモクレイジー・シアター・スタジオとそこに自然に集まったメンバーたちが、幅広い形で演劇を上演している、というイメージは湧いてきました。ここからのお話はタナポンさんご自身の演出方法にフォーカスしていきたいのですが、おそらく、身体を使うということに何か特徴的な意識をお持ちではありませんか? ご自身としては、作風についてどのように考えていらっしゃるのでしょう。特に身体の扱い方について。

タナポン:元々ダンサーである、という私のバックグラウンドも大きく影響していると思います。ダンサーというのはただ踊ってそれを見せるだけの存在ではありません。私の考えでは、身体を動かすことによって、人生についての考えを拡げたり、経験をつくりだしていく……それがダンスであると考えています。だから身体を使った表現を大切にしていますね。

特に「振付(Choreography)」は重要です。それはステージの上での振付だけを指すのではなくて、様々な意味での「規則」として、日常生活でも使うことができると私は考えています。この世に生きている人はみんな、全てが自由なわけではありませんよね。例えば「青信号になったら渡っていい」とか「赤信号は止まりましょう」というように、何をしていいか、いけないか、ということは規則で決められている。それと同じで、私にとっての振付とは、規律というものを定めることによって人生をデザインすることが可能なものなのです。

藤原:それはポジティブにも、ネガティブにも捉えられる言葉ですよね。例えば、人々の身体の中に埋め込まれている規律やコードを、振付という考え方を通して何か変化させたいとか、揺さぶりたいといった意味なのでしょうか?

タナポン:そうです。私が重要視しているのは、英語で言うと「Body Politics」ということになるでしょうか。人々の身体の中にある規律を引き出すことが、私のモットーであり、注力していることなのです。

藤原:引き出す、というのは、つまり可視化することでそれを揺さぶるというイメージですか?

タナポン:ええ。作品によって引き出したいフレームワークやテーマは違ってくるのですが……。ともあれ、ゲームのような形を使ってそれを表現するのが私のやり方です。ゲームという試験的・社会的な方法によって、俳優の身体から引き出したものを観客に伝えていくイメージですね。

インタビュー中のタナポンさんと藤原氏の写真