ASIA center | JAPAN FOUNDATION

国際交流基金アジアセンターは、アジアの人々の間に共感や
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ティラ・ミンとソウ・モウ・トゥ――コミュニティの再建

Presentation/Asia Hundreds

社会参画を促す演劇

藤岡朝子(以下、藤岡):おふたりとも、トゥクマ・カイーテ・シアターとギタメイト音楽センターに関わっていますね。どういう機関ですか?

ティラ・ミン(以下、ティラ):私は2009年にトゥクマ・カイーテ・シアターを共同創立しました。演劇とパフォーマンス・アートを中心に置いた団体で、市民の社会参画とコミュニティ参加を促す劇団です。
ギタメイト音楽センターは地域の音楽団体です。私はそのコミュニティ教育プログラムで仕事をしています。特に、僧院学校に通う恵まれない子どもたちにアートの授業を提供しています。開始したのは、2010年より前だったと思います。

ミャンマーの貧困層にとって僧院学校の果たす役割は大きいです。ヤンゴン近郊の出稼ぎ労働者たちは子連れが少なくないのですが、政府系の教育機関は学費が高すぎて負担できません。そこで周辺の寺院が、公共教育のカリキュラムで教える学校制度を始めました。しかしその中にアートという授業がなかったので、私たちが美術、音楽、演劇を教えるよう、ギタメイト音楽センターが考案したのです。私はこのプログラムの運営責任者であり、演劇の授業の教師・トレーナーもやっています。

ティラ・ミン

藤岡:ソウ・モウ・トゥ、あなたも教育事業に参加しているのですか?

ソウ・モウ・トゥ(以下、ソウ・モウ):はい。最初は2008年のサイクロン「ナルギス」*1の後に行った演劇の授業でした。災害によるひどい破壊があり、ギタメイト音楽センターがインターネットで社会福祉活動へのボランティアを募っていました。私は音楽に興味があったので、何か手助けをしたいと思いました。最初は演劇の実習に参加していましたが、現在は教えることや出演もしています。

*1 ミャンマー史上最悪の自然災害。2008年5月3日に上陸、国土を破壊し13万人以上の死者と行方不明者を出した。

ソウ・モウ・トゥ

藤岡:ご自分の創作活動は?

ティラ:その質問に答えるためには、ミャンマーについて少しお話ししたいと思います。ご存知の通り、私はかつて政治犯として投獄されていました。その後、国の発展に参加したいと切望し、芸術が大好きだったのでその分野にも進みたかった。そこで考えたのです。演劇は、ひとりでなく大勢が参加する仕事で、ひとつの目的、つまり公演の成功に向けて複数の人たちが協働する事業です。私は人に関係する仕事がしたかったので、若者たちとさまざまな活動をするようになりました。
自分の創作をするときはまず、対象とする観客がいま抱えている社会問題が何なのか、考えるところから始めます。次に役者たちと相談しながら話し合うことをします。ある社会問題をめぐる各自の経験について問い返し、考えてみます。そして、即興劇を編み出すのです。このプロセスから、いくつかのシーンや物語の筋が見えてきます。そこで稽古をしてみて、コミュニティの現場で実際に上演してみます。劇団の公演のほとんどはこのような地域社会の中で行われます。

藤岡:参加型、コラボレーション型なのですね。

ティラ:そうです。演出家、芸術監督として役者にストーリーを押し付けたくはありません。彼らにストーリー作りに関わってほしいのです。ミャンマーでは軍事政権が60年近く続きました。物事の考え方が固まってしまっています。考えないようになってしまっているのです。私の劇団に所属する役者のほとんどは、芸術に興味もつ若い人たちですから、彼らには自分の観点から考えてほしいと思っています。

藤岡:演劇は思考を開かせるためのワークショップみたいなものなのですね。

ティラ:そういう感じです。例えば私が何らかの社会問題を提示すると、役者たちはそのことについて考え始め、自分の経験と重ね合わせて、演じてみるのです。私の創作はそのようなものなので、演者から逆にインスピレーションを得ています。

メタファーとしてのミャンマー

藤岡:実例を挙げてプロセスを説明してもらえますか?

ティラ:去年、ミャンマー各地から若い人たちの参加を呼びかけて2週間の演劇ワークショップを開催しました。テーマは「法の支配」でした。カチン州*2から来ているグループがありました。カチンでは麻薬が問題になっています。若者たちが向き合うひとつの現実的な課題なんです。彼らがこの主題を提案し、ディスカッションを進める中から、ストーリーが生まれました。まず、豆売りというキャラクターをつくりました。麻薬の売人の隠喩です。豆とはメタンフェタミンという覚せい剤を意味します。豆売りは商品を売り、王様も国民が豆を食べることを容認します。誰もが「豆はおいしい。食べると元気が出る」という宣伝文句を信じて食べ続けます。ところが、ある時から王様が「豆を食べて腹痛に苦しんでいるじゃないか。もう豆を売ってはいけない」と言い出します。豆売りたちが逮捕され、買ったり食べたりした人も捕まってしまう。これは「法の支配」です。ところが、豆売りたちが警察にワイロを渡すようになります。汚職です。これがミャンマーにおける法の支配の主な問題なんです。

*2  ミャンマー最北部に位置し、北と東は中国、西はインドと隣接している。

ティラ・ミン

藤岡:ミャンマーの現実をメタファーを通して語るのですね。

ティラ:豆売りは警察を買収して逮捕を逃れますが、顧客は今では中毒ですから食べるのを止めることができません。出かけては買って食べてしまうと、警察に捕まる。しかし警察官にワイロをつかませるほど金がない。警察を買収できるのは売人だけなんです。そこで、中毒者が警察に捕まり暴力を振るわれる場面で、劇を中断します。観客に「どうですか? どう思いますか? どうして彼らは逮捕されたのでしょう?」と問いかけます。すると観客は「金が払えないんだよ」「どうして売人は捕まらないんだ?」などと声をあげます。そこでこちらからは「劇をこう終わらせたくないなら、どういう解決策があるでしょう?」と聞くのです。そして観客が提案した代わりの筋にそって、芝居を作り出していくのです。

藤岡:なるほど、ファシリテーターの役目を果たすのですね。

ティラ:そうです。役者は自分の考えや経験を投入し、私は作品にまとめます。隠喩を用いるのは、演者たちのリスクを軽減するためです。各地で地域社会に入ると、誰が実際に「売人」なのか、あるいは「警察」なのか、見分けがつかない。これが特定のどこかの誰かについての劇ではなく、架空の国のフィクションなんだ、ということを示すためにメタファーを用います。

藤岡:2週間のワークショップのあと、ヤンゴンで上演するのですか? 各地を巡業するのですか?

ティラ:この作品の場合、ヤンゴンで1回、そしてカチン州で少なくとも4回は上演しました。役者たちの故郷に行って、彼ら自身が演じました。この作品の出演者は全員がカチン州の人です。訓練を受けた役者ではなく、芸術に興味ある普通の若者たちです。最初の2週間のワークショップは、演技力の可能性を引き出すための時間で、そして彼らのストーリーを膨らませる時間でした。

藤岡:ソウ・モウもこのグループに参加しましたか?

ソウ・モウ:はい。教えたりファシリテーションしたりする役目で、トレーナーと参加者の間を取り持つコーディネーションも一部担当しました。コーディネーターというのは、上演の実現に向けて地域のスタッフと調整していく仕事で、制作部のような役割でしょうか。

ティラ・ミンとソウ・モウ・トゥ

藤岡:ワークショップの参加者たちはどういう人ですか?

ソウ・モウ:大学生もいれば、社会福祉ボランティアもいます。18歳から30歳ぐらいです。もっと上の年齢の人もいますが、テレビや演劇にかなり関心のある人たちです。

藤岡:チームワークとしては、いろいろ異なるタイプの人が協力し合うとおもしろいのではないかと推察しますが?

ティラ:ミャンマーは現在まだ、和平への道を歩む渦中にあります。私は、国としての和解は草の根から始まると考えていて、私たちの演劇はミャンマーのすべての民族の参加を目指しています。このプログラムでは、過去2年間でほとんどの州と地域から参加者を受け入れました。我が国の若い力を立て直そうとしているのです。

たとえば、ヤンゴン近くの人里離れた森で、14日間キャンプします。活動のひとつは「パーソナル・マッピング」と呼ばれる実習です。各自が、これまでの人生で嬉しかったこと、悲しかったことを含む3つの体験をあげます。その体験を絵に描いて、グループの他のメンバーに説明するのです。この実習を通して、互いの人となりを知ることになり、交流が深まります。ミャンマーのバラバラの地方と多様な民族から集まっている人たちが、お互いを理解しあうきっかけになります。この実習が下支えとなって、のちに一緒にストーリーを作ったり演じたりする作業に入りやすくなる。幅広い出自の人たちの間で信頼感を育てるのにとても効果的な方法なんです。

ソウ・モウ:そんな具合に培われたネットワークには、継続性があります。その後、どこかの人が舞台のテーマを提案してプロジェクトを立ち上げても、他の州から参加者が集まります。地域を超えた人的なつながりがさらに強化されていくのです。

ティラ:ミャンマーではいま、アートばかりを100パーセントやっていられるような余裕はないのです。私はアーティストとして創造しようとするとき、コミュニティと社会問題に出発点を置かなくてはインスピレーションが湧きません。

ティラ・ミン(右)、ソウ・モウ・トゥ(中央)と藤岡朝子(左)

政変ののち

藤岡:2015年以降は、どういう変化がありましたか?

ティラ:いま、表現の自由への意識が少し強まっています。誰もが自分の声をあげること、それが認められるようになってきました。急進的な仏教徒でさえも。あえてこの点を言っておきますが、極端なイデオロギーをもつ過激派でも意見を表明する権利を持てます。しかしこれはコミュニティにとって、国にとって良い事ばかりではありません。暴力と憎しみを扇動するからです。それは良くありません。

私たちの演劇プロジェクトに誰が参加するか、最初のうちはわかりません。例えば政府の役人は、以前は制服を着ていたからその姿は明確でしたが、いまでは誰が過激派なのか、誰がテーマとなっている社会問題に反対の立場なのか賛成の立場なのか、見えなくなっています。だから慎重にならざるを得ません。そこで社会問題を扱うにあたり、メタファーとユーモアを利用します。

藤岡:これまでブロードウェイのミュージカルやヨーロッパのピエロ演劇なども取り入れてきましたね。かなり幅広い演劇ジャンルを経験したのでは?

ティラ:ミャンマーで、芸術を教える大学はひとつしかありません。そこでは伝統的な舞踊、音楽がメインで、演技は映像コースで少ししか教えていません。私が演劇を始めた頃は、外国のアーティストから学ぶしか道はありませんでした。私は本気で演劇をやりたかった。演出し、舞台に立ちたかった。そこで外国人のアーティストがミャンマーの在外公館や文化センターでワークショップを開催する度、かならず参加しました。ピエロ演劇のワークショップでも参加しました。そのようにして、ミュージカルだろうが、ピエロだろうが、すべてのジャンルのワークショップに出席したのです。

ボンド・ストリート・シアター*3とは共同製作をしました。彼らから多く学びました。最近では、ミャンマー国外の国際ワークショップにも参加できるようになり、学びを続けているところです。 私たちは、ブラジルの演出家アウグスト・ボアールが提唱し「被抑圧者の演劇」と呼んだフォーラム・シアターを実践しています。我が国がいま必要としていることだと実感して、この運動を熱心に継承しています。ミャンマーの国民は、自分のことをしっかり考え、自発的に行動すべきです。地域コミュニティの庶民こそが社会のスターであるのです。自らの物語を自ら創造し、地域で上演しながら、社会問題の解決策を探ってほしいと思います。

*3 1976年ニューヨーク市で創立された劇団。世界中のアーティストと創造的な連携を通した平和と多文化理解を目指す。紛争地における教育、治癒、エンパワメントを促す演劇ベースのプロジェクトを実践し、ノウハウを担う人材を育成することで芸術的=人道的プログラムの持続可能性を強化している。

藤岡:地域の人間が地域のために演劇をするのですね。

藤岡朝子

ティラ:そうです。例えば、家庭内暴力が問題になっている村があるとします。村人が集まり、外部から誰か演出家のような人が芝居のファシリテーションをします。15分くらいの短いストーリーを編み出し、「悪い」結末を用意します。これを観客の前で上演した後、役者たちが「このエンディングでいいですか?」と観客に問いかけるのです。同意が得られなければ、同じストーリーを再演しながら「話を変えられる箇所に来たら『ストップ』と言って止めてください」と言うのです。観客が舞台上に上がって登場人物に成り代わることもあります。役者となって、物語の結末を良くするために自ら筋を変えていくのです。

ボアールは「これは人生のリハーサルだ」と言います。実際の人生ではリハーサルの時間はありませんが、演劇なら練習できます。この解決策だったらうまくいくのか、いかないのか。結果はどちらでもいいのです。観客ひとりひとりが「なるほど、そうすればいいのか」とか「いや、これではうまくいかないから別の道を探ろう」と思ったりする。このように、ディスカッションを通してさまざまな解決策を検討する、それがフォーラム・シアターです。

藤岡:ミャンマーに、あなた方のような舞台芸術の団体は幾つあるのですか?

ティラ:古典演劇をやってるところはたくさんありますが、現代演劇は2、3しかありません。今年は現代演劇を地域コミュニティや地方に紹介し広めたいと考えています。

藤岡:アジアの舞台芸術の多くは観光産業と連動していますが、あなた方は違います。経営はどのように成り立たせているのですか?

ティラ:寄付や協賛を募って資金繰りをしています。将来的には現代演劇の劇場を作りたいです。ヤンゴンにはちゃんとした劇場がないのです。国立劇場はあるけれど、とても古いし、使用料が非常に高い。これが私たちの課題です。

ティラ・ミンとソウ・モウ・トゥに話を伺う藤岡朝子
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なぜ演劇を?