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パン・キー・テイク――マレーシアにおけるアートとLGBTアクティヴィズム

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

現在の肩書き

島田靖也(以下島田):お久し振りです。2009年に私がマレーシアを離れたあとは会う機会がありませんでしたが、Facebookで近況は何となく見ていました。話を始めるにあたって、パンさんの現在の肩書きを教えていただけますか。

パン・キー・テイク(以下パン):決まった肩書きはないんです。つまり、ある時はセクシュアリティ・ムルデカの主宰者と呼ばれ、ある時はアート・フォー・グラブズのディレクターと呼ばれます。

アジアハンドレッズのインタビューを受けるパン・キー・テイク氏

島田:私の同僚が、ボラッ・アーツ・シリーズ2014でのパンさんのプレゼンテーションに感銘を受けたと言っていました。その翌年、2015年のボラッ・アーツ・シリーズではユニークなプレゼンテーションをされたと聞いたのですが、その時の話を聞かせてください。

パン:私は、自分が書いた「宣言文」をプレゼンテーションしました。背景を少し説明しますね。米国の連邦最高裁判所が同性婚を承認したのは2年前だったと思いますが、これを祝うため、Facebookがレインボー・カラーのプロフィール写真用の背景画像をユーザに提供した事がありました。

島田:パリのテロ直後のフランス国旗と同じようなサービスですね?

パン:そうです。私としては、米国のLGBTコミュニティのために喜びを感じたと同時に、一方では正直、若干の苛立ちも感じたんです。私は、米国が同性婚の法制化に向かった動きというのは、LGBTのムーブメントにとって必ずしもベストな方向性では無かったと感じています。だって、すべての人が結婚したいと思っている、または結婚できる、あるいは結婚する必要性を感じているというわけではないでしょう? そして、シンボルとしてのレインボーは、実際、はるかに多くの人を含んでいます。

最終的に、私は自分のFacebookのプロフィールをレインボー・カラーに変更しました。それに伴って「私達はレインボーである」と題した長文の投稿もしました。その投稿では14種類の異なる関係性と人々をリストアップしたのです。ふしだらな女、禁欲主義者、処女・童貞、3人で関係を持つ人たち、同性婚をしている人やそうでない人、同性愛者であることを隠している人々など。私が言いたかったのは、これらの人々のすべてがレインボーに含まれていること、そしてレインボーは、結婚を願っている人達だけのものではない、ということだったのです。

島田:その投稿はまだFacebookにありますか?

パン:ええ。この投稿をしたあとに、これを公の場でリーディングしたらどうかと私に勧めてきた人たちが居ました。多分、気に入ってもらえたんでしょう。ある日、ペナンでボラッ・アーツ・シリーズを主催しているマイ・パフォーミング・アーツ・エージェンシーのイザン・サトリナから、(ボラッ・アーツ・シリーズ期間中に開催される)彼女のカンファレンスで何かやらないか、という話がありました。
そこで私は、「OK、『私達はレインボーである』をやろう」と言いました。でも私は、自分一人で読む代わりに、ペナンとクアラルンプールのレインボー・コミュニティに私と一緒にやってくれるよう提案しました。そして誰がどの段落を読むかを決めたんです。この小さなイベントを手伝うために、友人をはじめいろんな人たちが集ってくれました。私達はそれぞれ違う色を身にまとったので、最後に一緒になった時、それはレインボーになったんですよ。私のFacebookで、そのビデオが見られます。

「セクシュアリティ・ムルデカ」について

島田:パンさんは現在のところ、時間のほとんどをセクシュアリティ・ムルデカ(Seksualiti Merdeka*1 )とアート・フォー・グラブズに使っているんですか?それぞれのプロジェクトについて少しご説明戴けますか。

*1 “Merdeka”は、マレー語で独立の意。

パン:セクシュアリティ・ムルデカは、私と、シンガーソングライターで詩人でもある友人のジェロームとで2008年にアネックス・ギャラリー*2 で始めたフェスティバルです。私達二人がセクシュアリティ・ムルデカの創設者だとされています。

*2 アネックス・ギャラリーは、クアラルンプールの中心部にある商業施設セントラル・マーケット別館の改修後、2007年にオープンした。

島田:セクシュアリティ・ムルデカでの活動とはどのようなものですか?

パン:最初の年は、週末のみの開催でした。2年目にはそれが1週間の開催になり、3年目には2週間になりました。私達は「性についてどう語るか」というワークショップを開いたり、いろんなパフォーマンス、それに歌手の友人を招いてLGBTコミュニティで人気のある定番の曲(クィア・アンセム)を歌ってもらう「レインボー大虐殺」と銘打ったコンサートを開いたりしました。

島田:「レインボー大虐殺」?

パン:私たちがやったコンサートの、単なるタイトルですよ。基本的には、レインボーで歌を、観衆を「虐殺する」という(笑)。 狙いはクィア・アンセムとしてふさわしいと感じられる曲を取り上げるということです。グロリア・ゲイナーの「恋のサバイバル」でも、U2でも。何でもいいんです。

プログラム全体の中で、これが私の最も好きな部分でした。みんなもこのコンセプトをとても気に入ってくれましたし。他に公演のプログラムもありました。実際、フォーラム・シアター*3 を開催したことも一度あります。アルフィアン・サアットが、恋人同士の二人の少年がそれぞれのお母さんにカミングアウトするという、短編の脚本を書いてくれました。2010年でしたか、私達はこの作品をいくつかの大学でも上演し、併せてレクチャーやトークも行いました。パレードみたいな大げさなものではなく、屋内での小規模な非常にシンプルなプログラムでした。

*3 観客や俳優が日常生活で直面する問題を取り上げ演劇として上演し、討論と演劇の再演を繰り返しながら問題が変化する可能性や問題の解決策を探る手法

警察とセクシュアリティ・ムルデカと私

パン:それから2011年に、私達がベルセ(Berisih)*4 代表のアンビガ・スリーネヴァサン(Dato' Ambiga Sreenevasan)を招待したため、セクシュアリティ・ムルデカの開催は警察によって禁止されました。

*4 「クリーンで公平な選挙を求める連合」(The Gabungan Pilihanraya Bersih dan Adil)、通称ベルセ(Bersih)は、公正な選挙を実現するため、現行のマレーシアの選挙制度改正を求める非政府組織連合。2007年11月に最初の大規模なデモを行った。

アジアハンドレッズのインタビュー中のパン・キー・テイク氏と島田氏

島田:セクシュアリティ・ムルデカは警察に物議を醸したんですね。

パン:警察だけではなく政府にとってもそうで、アンビガは政府にとって好ましい人物ではありませんでした。ですから政府は「ほら、ベルセはLGBTをサポートするような連中なんだぞ」と言い立てることで、ベルセの評判を落とす機会と捉えたんだと思います。一方で、彼らはベルセとセクシュアリティ・ムルデカが合流する事が、LGBTの正当化につながることも憂慮したのだろうと私は考えています。パワフルで人気のある社会運動のリーダーがLGBTをサポートしている、と見なされますから。ですから政府は、「これは同時に両方の組織を貶めるチャンスだ」と考えたのだろうと思います。
私は尋問のために警察に呼ばれました。誰かを「尋問」に呼び出すことは、基本的に捜査への協力要請を意味しますが、私に加えて3人のスポンサーも呼び出しを受けました。

島田:スポンサーまで?

パン:ええ。私達にも少数のスポンサーがついていました。小さなNGOであるテネガニタ*5 のアイリーン・フェルナンデス、ベルセの事務局機能を担っていた女性の権利のための活動団体エンパワーのマリア・チン・アブドラ、そしてベルセのアンビガです。当局はこの3人をセクシュアリティ・ムルデカの関係者だと考えましたが、告発はしませんでした。
イベント開催禁止令が出た翌日、私は多数の新聞のインタビューを受けましたが、その事で、私が活動家であることを両親に知られてしまいました。二人は、私がゲイであることはすでに知っており、その事実を受け入れるにはかなりの時間を要しましたが、受け入れる事が出来た事を非常に誇らしく感じていたと思います。

*5 テネガニタ(Tenaganita):移民、難民、女性、子供など社会的マイノリティーを支援するマレーシアのNPO。

アジアハンドレッズのインタビューを受けるパン・キー・テイク氏

両親が、私がアクティヴィストである事を知った時――いとこが母に電話をしてきて「おばさん、おばさんの息子が警察に手配されてるよ!」と伝えたんですが――両親の反応は「お前がゲイだということはいい。でも『自分はゲイだ』と皆に言いふらす必要は無いだろう?」というものでした。
両親にとっては、私がゲイであることよりもアクティヴィストである事の方が受け入れ難かったんだと思います。ゲイであるということは、単に私と両親、そして私のパートナーの間の問題にしかすぎません。しかしアクティヴィストであるということは、それ以外の多くの人たちに私がゲイであるという事が知れ渡ることであり、両親は友人たちにどう説明するかを考えなければならないからです。

けれどもこのイベント開催禁止令の結果、最終的に多くの人々やグループが私達をサポートしてくれることになったのは、とても興味深くまた驚くべきことでした。それらグループの中の一つに「仏教・キリスト教・ヒンズー教・シーク教・道教マレーシア協議会(MCCBCHST)*6 」がありましたが、彼らマレーシアの非イスラム教徒グループの協議会が集まり、私達をサポートするレターを書いてくれたのです。

*6 マレーシアの宗教人口の構成比は次の通り:イスラム教(連邦の宗教)(61%)、仏教(20%)、儒教・道教(1.0%)、ヒンドゥー教(6.0%)、キリスト教(9.0%)、その他 外務省ウェブサイト「マレーシア基礎データ」による。:2018年2月26日アクセス。

島田:それはすごい。

パン:正直、かなりショックでした。

島田:いい意味で、ですね。

パン:もちろんです。また、確かシスターズ・イン・イスラム*7 も私たちのためにレターを書いてくれたと思います。いくつかの進歩的なイスラム教のグループも、私たちを支援してくれました。

*7 シスターズ・イン・イスラム(Sisters in Islam)は、イスラム社会の女性の権利向上を目指して活動しているマレーシアのNGO。

島田:とても興味深い話ですね。

パン:イベント開催禁止令を出した当時の副警視正は現在警視総監になっていますが、彼は今、このようなテーマについては慎重に対応する必要があると気づいているようです。というのも、これは人権に関する議論であり、彼は自分の言葉の中で「言論の自由」というフレーズを使ったことすらあります。言論の自由を擁護するという趣旨に沿って何か発言したのですが、LGBTが不道徳である、というような事は、まだ主張し続けていました。当局が私たちのイベントに禁止令を出した際、彼らは非常にずる賢く警察法を活用しましたが、この法律は、それ以来廃止されています。

警察法は、たとえば宗教や人種問題など社会の緊張を高め、国家を危険に晒しかねないイベントに対し、これを禁止する権利を警察が有する事を認めています。ですから警察は、私たちが「逸脱した」ライフスタイルを教えている、と主張することによって禁止令の発令を正当化するためにこの法律を利用しました。この「逸脱した」という語は一般的に宗教の文脈において使われるでしょう? 彼らの主張は、私達がLGBTの人権を訴えるということは、即ちイスラム教が同性愛を承認するよう働きかけている、というもの。これをさらに拡大解釈すると、もし私達がイスラム教と同性愛は矛盾しないと提案するなら、私達が理解しているイスラム教は逸脱した形のイスラム教であり、それは宗教的緊張を引き起こし、ひいては国の安全を危険に晒す事になる、というのです。警察が、如何に恣意的に、且つずる賢くロジックを飛躍させるかと言ったら、まったく驚異的としか言えません。

インタビュアーの島田氏

島田:話のうまい人たちですね。

パン:そう。彼らが如何に一生懸命このロジックを考えたかを想像すると、感銘さえ受けましたよ。

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LGBTの社会的位置