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『再会の時~ビューティフル・デイズ2~』リリ・リザ×ミラ・レスマナ インタビュー

Interview/アジアフォーカス・福岡国際映画祭2016

外国映画の影響

──おそらくおふたりは90年代のアメリカ映画を見て育った世代ではないかと思うのですが、『ビューティフル・デイズ』や今回の続編は当時アメリカでつくられた青春映画やラブストーリーといったジャンル映画を彷彿とさせます。

リリ:インドネシア映画は歴史も浅く若い芸術なので、映画文化の構造は昔からハリウッドの影響を受けているのかもしれません。つい1か月前のことですが、古いインドネシア映画のデジタルリマスター版を見ました。それはインドネシア映画の父であるウスマル・イスマイル監督の『三人姉妹』(1956)というミュージカルだったんですが、演出、物語の構造、カメラの動きや位置そのすべてがアメリカ映画の強い影響を受けているように思いました。ただ私が思うに、映画に対する寛容な気持ちを持っていれば、ハリウッドにかぎらず何かしらの影響を受けてしまうものではないでしょうか。たとえば今回の『ビューティフル・デイズ2』はロード・ムービーの影響を強く受けています。一般的にロード・ムービーの起源はハリウッドにあると言われているかもしれません。だけど実際にはドイツのニュー・ジャーマン・シネマから来ているわけです。とくにロード・ムービーを代表するヴィム・ヴェンダースは、私たちにとっても重要な作家です。

映画のスチル画像
『再会の時~ビューティフル・デイズ2~』(2016)

ミラ:アメリカの映画監督だと、リリはスパイク・リーが好きなんです。

リリ:彼は黒人でサイドストリームの監督、つまりハリウッド的ではないですから。

ミラ:リリの映画にもそれが表れていると思います。たしかに私たちは同じ映画学校を出て、同じようにアメリカ映画を見てきました。だけど今日まで映画製作を続けてこられたのは、アメリカ映画だけでなく、ニュー・ジャーマン・シネマやフランスのヌーヴェルヴァーグ、あるいは小津安二郎といったあらゆる世界の映画を学生時代に見て勉強したことが、私たちの映画に反映されているからだと思っています。

リリ:ドイツ表現主義の映画もあれば、ハリウッド古来のスターシステムに基づいたものからヒッチコックのジャンル映画やデヴィッド・リーンの超大作を見る必要もあるわけですね。おそらく映画学校を卒業したいまの若い世代は、そういったクラシックなものを通してハリウッドの影響を受けているようです。だけど一方では50年代生まれのD・ジャヤクスマ*1 のように、インドネシアの伝統的なアプローチを注入することで独自の映画をつくろうとする監督もいます。ただ彼のような存在は非常にまれなので、主流になることはかなり難しいと思います。また私たちよりも上の世代ではありますが、ガリン・ヌグロホもそういったアプローチを実践している作家のひとりです。

*1 Djadoeg Djajakusuma(1918-1987)。ウスマル・イスマイルの同世代にあたり、PERFINI(インドネシア国民映画社)で数々の名作を製作した重要な映画監督のひとり。伝統的なインドネシアの文化復興にも尽力し、芸術文化財団であるDKJ(ジャカルタ・アーツ・カウンシル)にも関わった。

若手映画人の育成プロジェクト

──インドネシアの若い世代に関するお話が挙がりましたが、おふたりはSouth East Asian Screen Academy(以下「SEA」)というインドネシアの若手映画人を育成するプログラムに関わっていらっしゃいます。そのプログラムの基本概念や、具体的な取り組みについて教えていただけますか。

リリ:インドネシアは基本的に多くの民族によって異なる言語が話されている国です。私とミラはこれまでにジャワ島、スマトラ島、東ヌサ・トゥンガラ州、ボルネオとさまざまな地域で映画をつくってきました。だけどそのほとんどはインドネシア東部で、映画学校もジャワ島のような人口の多い島にしかありません。そこで「SEA」では、そういったインドネシアの多様性を映画製作の中へ取り入れることを基本概念にしています。もちろんそのためには映画の質をより良いものにしなければいけません。ですからプログラムの参加者には、映画製作の技術をしっかりと教えることも重視しています。それと同時に、私たちが「SEA」をつくったもうひとつの目的は、インドネシアの映画界に東南アジアのユニークさや豊かさを紹介することにあります。それは新しい知識や批評に触れる機会を若い世代に示すことで、映画のかたちがひとつではないことを理解してもらいたいからです。

これまでにもインドネシアのさまざまな地域で多くの東南アジアやアジア映画を紹介してきました。そして今後もフィリピン、マレーシア、タイ、シンガポール、日本などの映画をインドネシアの若い世代に紹介することはとても重要だと思っています。