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インドネシア社会のタブーに鋭く切り込む テディ・スリアアトマジャ監督の「今」

Interview / 第29回東京国際映画祭

インドネシアにおける映画表現の制限

油井: 話は変わりますが、先日(2016年10月26日のシンポジウム「インドネシア未来図~女性映画人は語る」で)インドネシアの女性映画人、ニア・ディナタ監督とモーリー・スリヤ監督、カミラ・アンディニ監督、メイスク・タウリシア氏(プロデューサー)がインドネシアの映画を取り巻く社会問題について話していました。民主化移行の時代よりもイスラム勢力が強くなっており、映画における性的表現や女性の役割を表現することに危険を感じているということでした。あなたは、イスラム教が映画表現を制限する傾向にあると感じますか?

テディ: はい、今のインドネシアでは感じますね。宗教的価値観に基づく制限がますます厳しくなる風潮にあると思います。それが正しい方向に進んでいるとは思いませんが、実際そうだと思いますし、彼女たちの危惧も理解できます。しかし、私は映画の作り手として、クリエーターとしての自分自身を制限したくないので、なるべく考えず、ルールに縛られないようにしています。そのことを気にしすぎると、内面から食いつぶされますからね。私も他の映画制作者たちと同じ懸念を持っていますが、真っ向から対抗するのではなく、映画の中にうまくブレンドしていくという方法を取っています。

油井: それでも、原理主義者から抗議される可能性は常につきまとうわけですよね。

テディ: もちろん。だから自国で自分の作品は公開しません。実際はそれ以外にも理由はあるのですが。仮に『タクシードライバー日誌』をインドネシアで劇場公開した場合、当然、検閲によって多くのシーンが削除されますし、そうすれば作品として成り立たない。それが、自国で作品を公開しない理由の一つです。

映画のスチル画像

『ラブリー・マン』(c)Karuna Pictures

油井: 『ラブリー・マン』はどうでしたか?

テディ: 『ラブリー・マン』も、とてもセンシティブな問題になりました。実は、本作は最初の検閲で何も引っかからなかったのですが、公開直前になって再検閲を求められて。結局、暴力シーンがリアルすぎるという理由でいくつかのシーンが削除されました。それに、レイプのシーンがカットされました。

油井: 検閲も10年前より厳しくなっているのでしょうか?

テディ: 検閲自体は必ずしも厳しくなっていませんが、検閲する担当者によって異なりますね。実際に『ラブリー・マン』と同時期にアクション映画『ザ・レイド』が公開されたのですが、それはとても暴力的な作品でした。ほぼ同じタイミングで公開されたのですが、何の問題もなく検閲を通過していました。他方、『ラブリー・マン』はとてもマイルドな暴力シーンにも関わらず、問題視されてしまった……。だから検閲に申請したときに誰が担当の席に座っていて、決定するかによるんです。

インディペンデント映画を取り巻く国内映画事情

油井: いまインドネシアでは“Warkop” *2 が大ヒットしていますが、観客(の嗜好)とご自身の作品の間に大きなギャップを感じますか?

*2 70年代から90年代までインドネシアで国民的人気を博した、警官コメディ映画。Warkop DKI と名乗るコメディアン・トリオが主演。2016年にリバイバル版『Warkop DKI Reborn: Jangkrik Boss Part1』(アンギ・ウンバラ監督)が劇場公開され、観客動員数600万人を突破、インドネシア映画史を塗り替える大ヒットを記録した。

テディ: “Warkop”が多くの人に受け入れられているのはいいことだと思いますよ。結局、映画はビジネスなので、彼らが興行的な成功を収めたのは喜ばしいことです。映画を作り続けるには収益を出さないといけない。映画はビジネスなのだから、映画でお金を稼ぎたいですよね。

油井: しかし、観客にがっかりしませんか? この作品は何と言うか、いわゆるスラップスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)ですよね。

テディ: たしかに、インドネシアの映画館でいま上映されている作品の傾向は気になりますが、その良し悪しを判断するのはとても難しい。どんなに素晴らしい作品でもお金にはならないし、逆にどうしようもなく酷い作品がヒットする、その状況をとても懸念します。しかし何度も言いますが、映画はビジネス。監督の後ろでは、4、5人が映画でお金をかき集めているわけです。そういう興行収入のある映画のおかげで映画産業は成り立っているので、私は支持します。

インタビューの様子の写真

油井: 短編映画では、とても優れた作品や実験的でインディペンデントの作品を観ますが、長編映画になると実験的なものは少ないですよね。それも資金調達が難しいからでしょうか?

テディ: 私の場合、20年間インドネシアの映画業界で仕事していますが、いまだ自分の映画のスポンサーを探しには苦労しています。この三部作を作ることができたのはとても幸運なことですが、資金提供を受けることができなかったので、全て自己資金で製作しました。私にとって自分の映画に必要な資金を得るのは本当に難しいことなのです。

油井: では、どのように映画製作の資金繰りをしているのですか?

テディ: この三部作の場合は、まずたくさんのテレビCMを撮らなければならなかった。普段はテレビ広告業界で働いていますからね。とにかくいまは自分が作る映画で収益を得ることはできないので、広告制作で映画製作のための資金を貯めています。私には妻と3人の子供がいるので、働かなければなりません。

油井: 3人もいらっしゃるんですね!あなたはかつてコカ・コーラでも働いていたのですよね?

テディ: はい、ロンドンからインドネシアに帰ってきた後、コカ・コーラの人事部門に勤めていました。働かなければいけないし、同時に映画も作りたい。映画製作者になるには資金が必要だったので、その道を選んだのです。その後、生活のためにテレビCMを作ることを決めましたが、インドネシアで映画製作者としてのステータスを維持するために年に一本は映画を作りたいと思っています。

油井: では、テレビCMで資金を貯めて、映画を作っているのですね。とても賢明なバランスの取り方ですね。

テディ: そうですね、CM制作の中で自分の芸術スタイルを磨いて、また長編映画で実践していく。とてもいいバランスだと思います。自分に合った方法を見つけることができました。“Warkop”を作りたいなら話は別ですよ。簡単にお金を稼げると思いますが、私は“Warkop”を作りたくないので。

油井: あなたはかつて監督として雇われて映画を作っていましたが、いまは違うのですね。

テディ: キャリアをスタートした頃は数社の映画会社の雇われ監督として制作しましたが、この三部作ではプロデューサーの要望に囚われずに自分で作りたかったので、それをやめました。でも次回作(2017年1月に撮影)では、エドウィンとメイスク・タウリシアをプロデューサーに迎えてタッグを組みます。彼らが私をこの映画の監督にとオファーしてくれました。

油井: どんな映画なのですか?エンタテイメント映画か、アート映画か、それともその中間の映画ですか?

テディ: 10代を描いたドラマです。テディ・スリアアトマジャ映画なので、エンタテイメントとアートの間の映画になりますね。この作品は、インドネシア国内で公開される予定です。おそらく私が監督として選ばれた理由の一つは、商業映画だけれどアート映画の感覚を取り入れたいためだと思います。プロデューサーたちのことが好きですし、彼らは私の友人です。映画の内容も気に入ったので、監督として参加することにしました。