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フィリピンの映画人たちが明かす「第三期黄金時代とは何か?」

Report/第28回東京国際映画祭

フィリピン映画「第三期黄金時代」の到来

石坂:今回、このシンポジウムに「第三期黄金時代とは何か?」というタイトルをつけました。この「第三期黄金時代」という言葉はいろんな本にも出ていますが、フィリピン映画界では三回目の黄金時代がいま来ていまして、2005年から10年続いています。2005年から始まった根拠には、一つはブリランテ・メンドーサ監督のデビュー年であること、もう一つはシネマラヤ映画祭(Cinemalaya Independent Film Festival)という若手映画人を支援する映画祭が始まった年であることが挙げられます。
まさに、この作り手の二人(ファハルド監督、サンタ・アナ監督)は、シネマラヤ映画祭に限らず、この10年で脚本のコンペティションと言いますか、若手制作者に映画を撮らせるプロジェクトをもつ映画祭からどんどんのし上がってきました。それから、ウィルソンさんはメンドーサ監督の映画プロデューサーであると同時に、そうした映画祭を支えるパトロンでもあります。言ってみれば、フィリピン映画の第三黄金期の二つの側面の象徴的な人たちです。今日はお三方にフィリピン映画の状況、良いところや問題点、これからの課題と考えらえることをそれぞれ語っていただきたいと思います。

ファハルド監督は、『インビジブル』では日本で映画を撮るところまで来ましたが、これまで若手映画人を支援する映画祭をどんどん活用して、ここまで来られた感じですよね。いまの話についてどう思われますか?

ファハルド:私は映像作家とプロデューサーを兼ねていますが、資金に関しては色々なパトロンから提供してもらっています。私の最初の二作はテレビ局(Cinema One)によるシネマ・ワン映画祭(Cinema One Originals Film Festival)から100万フィリピンペソ(以下PHP、約248万円/2016年1月現在)程を資金提供してもらい製作しました。また、いまの若手映画制作者がどうやって映画を作っているかと言うと、賞金の出る映画祭、例えば、シネマラヤ映画祭やティエンさんらが創設したシナグ・マニラ映画祭に脚本を提出することによって、助成金が出て映画を作れるので、そういった形で映画を実現するというのが目下多いのではないかと思います。

『インビジブル』 ©Solar Entertainment Corporation and Center Stage Productions

ティエン:ファハルド監督が言うとおり、映画祭が賞金を与えることもありますし、個人で若手映画人を支援することもあります。それから、毎年クリスマスから1月にかけて行われるメトロ・マニラ映画祭(Metro Manila Film Festival)がありますが、こちらは資金集めというのも大きな目的の一つとなっています。例えば、海賊版防止対策のための資金援助や、映画人の福祉のためのファンドにもなっています。一方、2005年に始まったシネマラヤ映画祭では、昨年は長編映画への助成が廃止され、短編映画のみが対象となりました。それを聞き、私とメンドーサ監督でシナグ・マニラ映画祭(Sinag Maynila Film Festival)を立ち上げたのです。今年3月に行われた第一回では脚本を募り、5本が映画化されました。そのうちの2本が『インビジブル』『バロットの大地』で、5本中4本が海外の映画祭で上映されました。そして、2016年春に第二回目を開催するにあたって脚本募集をしたところ、105本ものエントリーがありましたが、この中から5本のみ選ばなければなりません。この5本の映画が出来上がった暁には、また来年の東京国際映画祭でぜひ上映していただきたいと思います。

『バロットの大地』 ©Solar Entertainment Corporation and Center Stage Productions

石坂サンタ・アナ監督は脚本家からスタートして映画作家となったわけですが、シネマラヤやシナグ・マニラなどの映画祭を通過されていますよね。

サンタ・アナ:フィリピン映画の「第三黄金期」という話が出ましたが、まさに2005年にメンドーサ監督の『マニラ・デイドリーム』がロカルノ国際映画祭に選ばれ、シネマラヤ映画祭も始まりました。あともう一つ大きな要素として、この時期にデジタル化が導入されたのも大きいですよね。デジタルカメラのおかげで、多くの若手映画制作者にとって映画制作が容易になり、より実験的に作りたいものを作れるようになりました。ここで、若手たちによる、より芸術的な、アート趣向の高い作品が非常に増えましたし、そこから生まれた作家たちの交流がさらに活発になり、いまもその高まりが続いていると思います。

さらに、具体的な製作資金の話をすると、2005年以前は自国で作られる作品数はとても少なく、フィリピン映画は死んでいるとまで言われていました。というのも、映画1本を作るのにPHP1,500万(約3,730万円)は必要とされており、映画フィルムで撮るわけですから、その分のお金が必要でした。それがデジタル化によって、今はPHP50万(約124万円)あれば、ある程度のものが撮れるくらい映画製作が身近になったわけです。