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時間に対する観念

タイの学校で教え始めて百日以上が経ちました。赴任当初、職員室の中のタイ人の先生は、いつも誰かしらが食事しているなぁということと、ほとんどの先生が時間に大らかだ、ということを感じました。はっきり言うと、「けじめのない人たちだな」とも、思いました。しかし時間が経つにつれて、これは「時間と人間」のあり方に関する、日本人とタイ人の観念の違いによるものではないか、と考えるようになりました。

職員室で食事をする先生たちの写真
職員室にて先生方が会食中

われわれ日本人は、多くの欧米人と同様、一人の人間は1本の時間軸上で行動していると考えます。その一本の時間軸上において「オンとオフの切り替え」とか「Aの仕事の次にBの仕事」という風に、1つの場面に1つのタスクだけを割り振りがちです。だから授業中にスマホをいじることは、不真面目以外の何物でもありません。「帰って、家でやれ!」という理屈です。つまり、人の行動を支配する価値観は、個人の外に存在しています。

スマートフォンを操作する生徒の写真

しかし、世界にはこれとは異なる、時間についての観念を持つ人たちがいるように思われます。すなわち、すべての人は常に多面的な人生を送っているのであり、そのそれぞれの局面は対等であって、何か(例えば「Aの仕事」)が他のことに絶対的に優先されることはない、という考え方です。だから、朝、家で朝食を摂ってこなかったときに、職員室で朝食を摂ることは、ごく自然なことです。また、重要な資料を作成している時に、授業に10分や20分遅れることは、大事の前の小事で、やむを得ないことです。

時計の教材を使った授業の様子の写真
現在時刻をたずねる練習中

このようにタイでは一人の人間が、複数の時間軸に並行して生きてゆくために、その時その場に応じた優先順位を自分で設定する、個人としての自律性(価値観)が必要になります。だから、「外からの基準に縛られない」生き方なのではなく、「内なる基準に従って」生きるのが、タイ流の人生観なのだと思うようになりました。

Writer
タイ ブリラム
上竹 明夫さん

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