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経験者に聞く

60代での果敢なチャレンジで自らつかんだ新たなチャンス - インドネシア4期 島田富子さんインタビュー

インドネシア
島田 富子さん

生徒たちともっとコミュニケーションを図って話がしたかった

――派遣された学校と授業での島田さんの役割について教えてください。

島田 :派遣先校は首都のジャカルタにある国立高校で、日本語は1年生のみの選択科目でした。日本語の先生は日本語教育に携わって10年ほどになる30代のインドネシア人女性です。キャリアがあってすでに自分の教え方を確立しているので、日本語パートナーズに求めることはある程度限られていて。私に与えられた主な役割は、発音の手本を示すこととテキストにある会話を生徒と交わすことでした。

――生徒たちはどのような理由で日本語を履修するのでしょうか。

島田 :日本のアニメが大好きで、日本語がわかるとアニメをもっと楽しめるかもしれないから勉強してみよう、という発想の生徒が多かったように思います。みんな、日本語の授業を楽しんで受けていましたよ。ネイティブの発音はインドネシア人の先生とは違いますから、私の日本語を聞けるのが嬉しかったんじゃないでしょうかね。

――日本文化を紹介する機会はありましたか?

島田 :派遣期間の前半は、部活の日本語クラブで折り紙やお正月の遊びなどを紹介しました。先生からの要望で、後半は授業でも文化紹介をすることになって。どら焼きとたこ焼き体験が特に、生徒たちには好評でしたね。どら焼きの生地はパンケーキの粉を代用しましたが、あんこは手作り。ここは頑張らなくてはと、小豆を買ってきて一人用の炊飯器で煮たんです。たこ焼きはどら焼き以上の人気で、インドネシアの人たちはたこを食べないと聞いていたけれど、本格的にたこを入れて焼くと生徒たちは大喜びで食べていましたね。

島田さんと法被を着た生徒たちの記念写真
日本語クラブで日本のお正月を紹介。はっぴを纏う体験やクイズを取り入れた参加形式にしたので、生徒たちは楽しんでいた。

――予定していた日本文化の紹介は、どの程度実現できました?

島田 :地元・金沢の和紙と水引を日本から用意していったんですが、和紙を使った小物作りや、水引で日本の「結び文化」の紹介もしましたし、生徒たちにこれは伝えたいと考えていたことはほぼ伝えられました。

――やり残したことはない、と。

島田 :そう思います。ただ、生徒たちと授業以外でもっと話をしたかったですね。私は専門学校の教員をしている時に学生とよくしゃべっていたので、インドネシアでも高校生たちとコミュニケーションを図って、いろいろ聞きたいと思っていました。その機会を持てなかったことが残念。というのも、授業が終わるとすぐに帰ってしまう先生たちが多く、私も先生たちの帰宅時間に合わせていたからです。それで、せめて授業中はと思い、教室内を回って可能な限り生徒に話かけるようにしていました。そばに行って日本語で一声かけるだけでも彼らは喜んでくれます。インドネシアの子供たちは純粋でかわいい。大人に対して礼儀正しく、目上の人を敬う気持ちが伝わってきます。

その国にはその国の流儀がある。それを実感できたのは楽しい体験

――派遣期間中、インドネシア語を学ぶ、生活や文化に触れるための時間を確保することはできましたか?

島田 :インドネシア語の習得に関しては、前任の日本語パートナーズが、大学で日本語を専攻したインドネシア人講師の個人レッスンを受けていたので、私もその先生に週2、3回教えていただきました。学校の授業がない曜日は、時間をできるだけ語学の学習に充てるようにして。外出した際には、バジャイという三輪タクシーの運転手さんに料金の交渉をしたり、駄菓子屋や野菜売りのおばさんとおしゃべりをしたり、インドネシア語で交流する機会を自分から積極的に作っていましたね。

インタビューを受ける島田さんの写真

 

――派遣前は知識がほとんどなかったというインドネシアですが、現地に滞在し、どんな印象を持ちましたか?

島田 :インドネシア人はよく「ティダアパアパ」と言いますが、「気にしない」「まあいいか」とでも訳せばいいでしょうか。楽天的というか、見方によっては時間や決まりをあまり気にしないというか、国民性がとてもよく表れている言葉だと思います。私たち日本人からするとおかしいと感じることが、インドネシア人にとっては普通のこと。その国にはその国の流儀があって、日本の常識はインドネシアでは通用しない。この年齢になってそれを実感できたというのは、楽しい体験でした。

――日本語パートナーズ派遣プログラムにシニア世代で参加することの利点があるとすれば、どんなことでしょう。

島田 :授業中に先生が、何かの用事で教室を出て行ったきり戻らないことが数回あったんです。こういう予想外のことが起きると、若い世代の日本語パートナーズはもしかすると動揺するかもしれませんね。私は、このまま戻ってきそうもないからみんなで遊ぶしかないか、と(笑)。60代にもなればそれなりに人生経験を積んで余裕もあるから、多少のハプニングには動じません。ちなみに先生がいなくなって授業を進められなくなってしまった時も、私が遊びの中で簡単な日本語を発すると生徒たちは楽しんでくれましたので、その時間もあながち無駄ではなかったと思いたいですね。

インタビューを受ける島田さんの写真

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