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出発前インタビュー

「大好きな東南アジアで日本との架け橋となりたい」“日本語パートナーズ”第1期 派遣直前座談会①

インドネシア
和田 芳枝さん
タイ
日野 友香さん
インドネシア
山内 加寿子さん
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―皆さんの派遣国と職業を教えて下さい。

和田:インドネシアへ参ります。日本語教師です。

山内:同じくインドネシアに派遣されます。主婦です。

日野:タイに派遣されます。シンガーとしての仕事の他、ボイストレーニングの先生もしています。

―東南アジアや日本語教育への関心は、いつ頃持つようになりましたか?

和田:50歳を過ぎてから「日本語教師になろう」と思うようになり、合計420時間学ぶ日本語教師養成講座を受けました。養成講座修了後に、ハノイにあるベトナム・日本文化交流協会からお話を頂いてベトナムへ行き2年半教え、その後、マレーシアの大学で6年間教えました。実を言えば、若い頃は欧米の文化に憧れ、欧米にしか関心がありませんでした。それが日本語教師としてベトナムとマレーシアへ行って、「自分はやはりアジア人だ」と感じるようになり、東南アジアが大好きになりました。

山内:学生の頃、父がインドネシアに単身赴任していたので、何度か訪れる機会がありました。その後インドネシア語を勉強し、卒論はカルティニ(注:インドネシアの民族主義運動家・女性解放運動家)について書きました。思い返すと、インドネシアとは常に何かしらの接点があったように思います。その後家庭に入りました。もう子どもたちも自立しましたので、これからの人生で何か自分にできるものはないかと考え、日本語教師になろうと思いました。

日野:私は、ボイストレーニングの先生をするようになってから「教える」という仕事を意識するようになりました。小学生の時、イギリス人の英語のアシスタントティーチャーが大好きだったことや、大人になってから出会ったシンガポール人の英語の先生がとてもいい方だったことから、自分もそんな先生になりたい!と憧れるようになり、日本語教師養成学校に通い始めました。東南アジアについては、アーティストとしてタイに招いてもらって、日本に関するイベントでライブをしたり、ラジオ番組に出たりしたことがあります。

―“日本語パートナーズ”に応募しようと思った動機は何ですか。

和田:自分の年齢を考えて、当時勤務していたマレーシアの大学に退職願を出したのですが、学生たちの「勉強したい」というキラキラした目が忘れられず、退職後も日本語教師たちが見る日本語教育に関するウェブサイトを閲覧していました。そこでこの“日本語パートナーズ”のことを知りました。インドネシアならマレーシアの隣国で、同じイスラム教国。生活習慣等にもなじんでいるから私にもまだまだできるだろう、と思って応募しました。

山内:日本語教師養成講座へ通って修了したものの、ちょうどその頃東日本大震災が起きて日本に来る留学生が激減。日本語教師の需要も急減してしまいました。結局、日本語教師になる機会に恵まれないまま過ごしていましたが、ある時、新聞で“日本語パートナーズ”のことを知って、これならできるしやってみたい!と思ったのです。

日野:私は歌とボイストレーニングの仕事以外に、収入を安定させるため別の仕事もしていたのですが、自分にしかできない仕事がしたい、とずっと思っていました。ちょうど通っていた日本語教師養成学校で“日本語パートナーズ”募集の掲示を見た時、行っちゃえ!と瞬時に思いつき、応募を決意しました。昔お世話になった英語の先生のように、私もなりたいです。

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―現地に着いたら、どのような活動がしたいですか?

和田:現地の学生に簡単なアンケートを採りたいと思っています。まずは、「日本人としての私に期待することや望むこと」について知りたいです。そして、ベトナムやマレーシアでもやってきたように、現地に住んでいる日本の方々にもご協力いただき、日本文化を見せるデモンストレーション等を企画・実行したいです。派遣期間が終了する時にはまたアンケートを採って、私にできなかったことは次の方に引き継ぐ。そういう活動がしたいですね。

山内:アンケートを採るというのはいい考えですね。私の場合は、派遣先の学校が生徒数1,000人ほどなのですが、日本語を勉強している子は10人位だそうです。だから、他の学生たちにももっと日本や日本語を知ってほしい。そのために、壁新聞のようなものを作ろうかと考えています。「折り紙をやりませんか」と呼びかけたり、季節によって変わっていく日本の風景を貼り出したりしたいですね。もう一つの派遣先は職業高校なので、卒業後は就職する子が多いと聞いています。彼らが知りたい情報は、就職先のことではないかと思うので、つてを頼って、ジャカルタに進出している日系企業の工場見学ができないかと考えています。

日野:私自身が英語の先生が大好きだったように、タイの高校生たちに、まず私を好きになってもらうことがミッションだと思っています。習った言葉を使って、大好きな先生とコミュニケーションが取れた時の喜びを体験してほしいと思っています。他には、派遣先や地元の人たちの動画をたくさん投稿したり、私がシンガーとして関わっている日本のアニメをタイへ持っていったり、色々なものを発信していきたいなと、夢をふくらませています。

不安よりも期待と責任を感じる第1期

―日野さんは、仕事を辞めることについて悩みませんでしたか?

日野:歌とボイストレーニングの仕事を辞めることについては、とても悩みました。でも私は、迷ったら勇気の要る方へ進もうと考えて生きてきましたし、それに、“日本語パートナーズ”に採用していただいたということは、私に何かを期待してくださっているのだろうと考えると、心がメラメラ燃えてきまして。「第1期」という点にも惹かれましたね。

和田:私もそう。第1期は、さまざまなことにチャレンジできるという大きな魅力があります。

山内:私たちのしたことが前例になるという責任も感じますよね。

―家族の反応はいかがでしたか?

山内:私は子どもが3人おりますが、皆就職して家を出ていますので今は主人と二人暮らしです。主人に、“日本語パートナーズ”としてインドネシアへ行ってみたいのだけれど、と言ったところ、快く了承してくれました。子どもたちは少しびっくりしていましたね。来月3人目の孫が生まれるので、手伝ってくれると思っていたのに、と息子にはちょっと恨まれましたが、その後すぐに、頑張ってきて!と言ってくれました。

和田:私には娘が1人おります。これまでもベトナムやマレーシアで仕事しておりましたから、娘は「また行くの?」という反応でした。「体は元気だし、まだ少し何か貢献したい」と話すと、最後はエールを送ってくれました。私の姉妹たちは皆喜んでくれて、そろって遊びに来ると言っております。

日野:両親と暮らしているのですが、母は特に現地の治安についてとても心配していました。そこで、「国際交流基金アジアセンターという、ちゃんとした組織が行う事業だし、緑色の公用パスポートを貰って行くんだよ」ときちんと説明したら、最後には「頑張っていらっしゃい」と言ってくれましたね。

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―最後に、意気込みを聞かせてください。

和田:インドネシアの一番の良き理解者になりたいです。そして、日本へ帰ってきたら、「東南アジアはこんなにいい所よ」と伝えたいと思います。現地でたくさん写真や動画を撮ってきて、それを見せながら私の経験をいろいろな場でお話しできるといいですね。

山内:私は、インドネシアの人に日本の良さをもっと知ってもらって、より大勢のインドネシアの方に日本に来ていただきたいですね。わが家にホームステイに来てもらってもいいかなと思っています。日本と東南アジアの関係はお互いに支え合う関係になっていくと思うので、インドネシアの若者が日本企業に就職し、日本に来てくれたらうれしいと思います。

日野:日本語教育についてはまだまだ勉強中なので、タイの学校で日本語を教えながら、失敗したり挑戦したりしながらスキルアップしていきたいと思っています。教えたり、関わったりした人たちの中から、私との出会いがきっかけになって、何かが一歩進んだという人が1人でもいれば有り難いなと思っています。私は歌手なので、タイのミュージシャンと協力してイベントを開いたり、ラジオに出たりして、タイ全土に日本のことを広報したいですね。事務局:皆さんの思いを伺って、このようなメンバーが“日本語パートナーズ”第1期には59名いて、これから現地での活動が行われることは素晴らしいことだと感じています。第1期の方たちにはぜひ頑張っていただきたいですし、われわれも支えていきたいと思います。

※掲載内容は、2014年8月時点のものです。

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