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インドネシア映画の新たな潮流

Report / アジアフォーカス・福岡国際映画祭2015

インディペンデント映画の成功で考えはじめた、ハリウッド映画に対しての「自分たちの強み」

自分たちのライフスタイルに染みついた海外文化を批評的に捉え直すことで新しいオリジナルが生まれる。これはかつてのフランスで、ヌーヴェルヴァーグ(1950年代末にはじまった若手監督による映画運動)の起爆点となったジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』(1959)が、当時のアメリカB級映画を自分たちのサイズで引用し、換骨奪胎していたことを想起させる。『クルドサック』は、無名の監督たちによるインディペンデント映画にもかかわらず、ハリウッド映画と同じ一般劇場で上映され、若者たちの熱狂的な支持によりスマッシュヒットを記録した。時は奇しくもスハルト政権の終焉直後。ミラはこう語る。

映画のスチル画像

『クルドサック』(1998) インドネシア

ミラ:1998年5月、スハルト政権が没落し、映画産業を管理していた情報省が解体されました。同時に映画にまつわる規制も一旦廃止されたんです。新しい時代になって、皆がとても興奮しました。ちょうどその変わり目の時期に、若い人たちが映画館で『クルドサック』を観ることをとても幸福に感じてくれたわけです。「これは若い監督たちが作った新しい映画だ。いま、この国には新しいことが起きているんだ」と実感してくれた。

かくして訪れたインドネシア映画の自由化・民主化の季節。ただし「『クルドサック』革命」は、グローバリゼーションのポジティブな部分がインドネシア映画界にもたらした、あくまで初期段階の現象だったと言えるだろう。リリはこの作品の次の段階についてこう語る。

リリ:『クルドサック』の成功の後、私たちは自分たちのアイデンティティーを強く意識するようになりました。そして欧米中心の映画文化、とりわけハリウッド映画に対して、私たちの強みは何かを考えるようになった。それはきっと、多様性でないかと。私たちはさまざまな文化から影響を受け、広大な国土を持っています。ただし現状では業界や資本が西のほう、特にジャカルタに集中している。それが今、インドネシア映画界の最大の問題だと思います。

そう、「多様性」と「アイデンティティー」。これがゼロ年代以降、21世紀のインドネシア映画を考えるうえでのキーワードであり、重要課題となる。これは日本の映画文化も同様に抱えるテーマのはずだ。以上を踏まえて、インドネシア映画の現在を伝える次のシンポジウムに移りたい。

経済都市ジャカルタで生まれた、ハリウッド映画にも対抗できる娯楽シネマ

映画祭5日目に行われたシンポジウムは、「インドネシアの若手監督に訊く」。登壇したパネラーは、ともに1985年生まれのアンガ・ドゥイマス・サソンコ監督と、イスマイル・バスベス監督、そしてプロデューサーであり映画研究者でもあるメイスク・タウリシアの三人だ。新進気鋭の監督二人と、彼らの良きサポーターでもあるメイスクに、インドネシア映画の最新事情を教えてもらおうという内容である。

写真

アジアフォーカス・福岡国際映画祭シンポジウム「インドネシアの若手監督に訊く」の様子

 アンガ監督とイスマイル監督は『クルドサック』の共同監督の面々よりひと回り若い、まさに新世代の映画人だ。二人はともに芸術大学の出身ではなく、2000年代、インディペンデント映画の勃興とともに各地で盛んになった映画イベントやワークショップへの参加を通じて監督への道を歩みはじめたことでも共通している。ジャカルタ生まれのアンガは高校時代にショートムービーを作るユースキャンプに参加し、やがて知り合った映画プロデューサーの人脈を通して助監督を務め、自ら資金集めもしながら弱冠21歳で監督デビュー。イスマイルはジョグジャカルタの大学で情報コミュニケーション学を専攻しつつ、同地の映画祭にボランティアスタッフとして参加することからスタートし、さまざまなアーティストたちとの交流のなかで映画監督を志すようになったらしい。

ただし彼らの作風や個性はバラバラ。アンガの監督作は興行的成功も狙えるエンターテイメント性豊かなもの。また監督とプロデューサーを兼任し、自ら製作会社を率いて収益のこともシビアに考えている。そしてはじめて自分で版権を持った監督作が、本映画祭の特集「マジック☆インドネシア」でも上映された『モルッカの光』(2014)だ。これはイスラム教徒とキリスト教徒の宗教対立で暴動が頻発するモルッカ諸島のアンボン島を舞台に、子どもたちを暴力の脅威から遠ざけるためにサッカーを教える男の姿を骨太のタッチで描いた実話ベースの傑作。150分の長尺だが、インドネシア本国ではハリウッドの大作に交じって健闘し15万人の観客を動員している。

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『モルッカの光』(2014) インドネシア

文化都市ジョグジャカルタでは、アート系シネマの潮流が

対してイスマイルの監督作は実験性の強いアートシネマだ。彼はまず短編映画が世界各地の国際映画祭で注目され、やがて友人のミュージシャンや詩人とコラボレーションするかたちで、全編80分セリフなしで神秘的な寓話世界が描出される初長編『月までアナザー・トリップ』(2015)を監督(「マジック☆インドネシア」で上映)。また宗教的な不寛容という主題を盛り込んだ父と子のロードムービーである長編第二作『三日月』(2015)は、今年の第28回東京国際映画祭の「アジアの未来」部門でワールドプレミア上映された。

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『月までアナザー・トリップ』(2015) インドネシア

 イスマイルによると、彼の作風はジョグジャカルタの文化的土壌の影響も大きいようだ。彼が最初に関わったのはビジュアルアートのコミュニティーだったという。同地ではさまざまなジャンルのアーティストたちがハンディカメラを持って独自のやり方で映像を撮り、互いの芸術性を競っており、そこから映画のコミュニティーも立ち上がっていった。『オペラジャワ』(2006)が「マジック☆インドネシア」で上映されたガリン・ヌグロホ監督の拠点でもあり、彼は「インドネシアの多様性を見せるため、様々な土地で撮る」ことを実践してきた先駆者でもあった、インドネシア映画史を語るうえでは欠かせない存在。ヌグロホが若い映画人たちの長兄的な存在となって映画祭が運営されており、最近は、自分たちのシネマテーク(上映・アーカイヴ施設)を持つという話もあるそうだ。

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『オペラジャワ』(2006) インドネシア

言わば「ジョグジャカルタ系」と呼べる純度の高いアート映画を志向する一派が、インドネシア映画の質的な多様性に大きく貢献しているようだ。ジョグジャカルタはジャカルタと同じジャワ島の州で中部南岸に位置する(ちなみに京都と姉妹都市)。メイスクの説明によると、ジョグジャカルタは古くから文化都市として知られ、大学もギャラリーもたくさんある。文化的支援のため、政府から特別交付金も受けている。ジャカルタが経済を回すメインストリームなら、ジョグジャカルタは芸術を育む街といったところか。

また多様性ということなら、先述した『モルッカの光』が、インドネシア東部最大の都市の1つであるアンボンでロケされるなど、インドネシア映画の撮影は大小多数の島で構成される広大な全土の各地で行われている。それは複雑な歴史や土地の特色を持つ自分たちの国の多様性を知り、伝えるためでもあり、映画を通して自分たちのアイデンティティーを追求していく知的作業でもある。つまり先日のシンポジウムでリリ・リザ監督が発言した問題意識が、現在具体的に実践されているわけなのだ。