ASIA center | JAPAN FOUNDATION

国際交流基金アジアセンターは国の枠を超えて、
心と心がふれあう文化交流事業を行い、アジアの豊かな未来を創造します。

MENU

女性だけが出演する演劇に、フェミニストの美術家が見出したものとは

Interview / Asia Hundreds

ヨソン・グックの作品化

―韓国のヨソン・グックに関していえば、何十年かの間に忘れられてしまった。その後、近代化と民主化が進み、時代が大きく変化するなか、今再びサイレンさんに発見され、ひとつの作品として舞台化され、当時の役者さんたちが再び舞台に立つわけですよね。再び舞台に立つことを説得するのは大変でしたか。

サイレン:その質問に答える前にお話しておきたいのですが、70年代以降ヨソン・グックが忘れられてしまったのは、私は意図的な切り落としだと考えています。朴正煕(パク・チョンヒ)政府が60年代末に執権してから、韓国は近代国家を目指して突っ走るために、ホブズボームの言葉にあるように伝統を発明する必要があった。唱劇(チャングック)やパンソリなどを文化財として指定する一方で、ヨソン・グックは女性のみの団体なので普遍性に欠けていると判断した男性芸術家たちが、ヨソン・グックを切り落とし、混成唱劇が文化財になったのです。ですので、ヨソン・グックの人たちはある種のトラウマを抱えている。あまりにも絶好調だったのに突然奈落に落ちてしまったのですから。舞台に立ち続けたいし、今なお自分は役者だと称しているのに、舞台に立つことができない。立ったとしても実に小さな舞台だったり、特定の観客にだけ開かれた舞台が多い。役者としての器量を思いきり披露することができないわけです。
最初に私が、一緒に舞台作品をつくりましょうと声をかけた時には、断られてしまいました。それは、舞台に立つのが嫌なわけではなく、かつての華やかさに欠ける今の舞台が気に入らなかったからでした。昔のような華やかな舞台をつくってくれないのならやらないと。今の芸術は華やかさとは別のものだということを納得してもらうために、結構エネルギーを使いました。
最初『(Off)Stage』と『Masterclass』はもともと別々のピースで、これを一緒に上演することになったのですが、チョ・ヨンスクさんが『(Off)Stage』に出たのが大きな転換となりました。最初は、「それはなんだ、そういうものはお芝居じゃない」と大いに叱られ、断られたのですが、これはヨソン・グックをつくろうとするわけではなく、ヨソン・グックの偉大な役者であったあなたの物語を舞台にするのだと説明しました。そうなると、ご自分の立場が上がるわけだから。
ご自分の話を舞台の上でご自分で語ることで、まるで心理療法を受けたかのように気持ちがすっきりしたことでしょう。その舞台以降は他の役者にも自慢話をしたでしょうし、羨まれたりヤキモチを焼かれたりもしたでしょうが、今は他の役者たちもすっかり私のことを信頼してくれて、君がやるなら一緒にやるという雰囲気になりました。

―チョ・ヨンスクさんは確か、三枚目の役なのですよね。いつも主人公ではなくてという話をしていましたね。とにかくすごくうれしそうに、自信に満ちて生き生きと舞台に立っていました。今でもよく覚えています。

サイレン:小さいピースを組み合わせてフェスティバル・ボムで初めて上演しました。その時、チョさんの息子と孫が観に来てくれたのですが、息子さんが今までのお母さんの作品のなかで一番面白かったと言ってくれて、プライドが回復されたようでした。作品というよりも心理セラピーをした感じでしたね。

  舞台の様子の写真

『(Off)Stage/Masterclass』 フェスティバル・ボムでの上演(2013年) (c)siren eun young jung

  舞台の様子の写真

『(Off)Stage/Masterclass』 フェスティバル・ボムでの上演(2013年) (c)siren eun young jung

―日本植民地支配後に誕生したヨソン・グックの役者さんが、フェスティバル・ボムでまた新たに舞台に立って、さらに日本の横浜のTPAM 2014に招かれた時、どういうコミュニケーションをとりましたか?

サイレン:ヨソン・グックが生まれたのは植民地時代の直後ですから、少し時間差はありますが、植民地支配を経験している方々なので、日本に公演に行くということに二重の気持ちを持ったようです。日本に行って自分たちの凄さを見せつけてやるという気持ちと、いまだに持っている臣民の気持ちでそれを抑え、三枚目に戻るようなところもありました。

―臣民の気持ちとはどんなものですか?

サイレン:当時の自分たちは韓国人ではなく日本に属している人なので、日本人に良く見られたい、思われたいので気をつけるという気持ちがまだあるのでしょうね。

―楽屋で太鼓奏者の人が横になっていたら、「ダメだよ、ここは日本なんだから」と注意なさったという話を聞きました。

サイレン:そうです。演奏者は皆若者で、彼らが日本人とも何気なく接して、自由奔放に振る舞う様子を見て、チョさんは、それでは日本人に何と思われてしまうかと。これはプライドの問題でしょうね。それから若者たちが日本人に対して無礼であると感じたり。そういう二重性がずっと共存していました。山口さんもいらっしゃった広島市現代美術館での特別展「 [被爆70周年:ヒロシマを見つめる三部作 第3部] ふぞろいなハーモニー」で行ったパフォーマンス『私は歌わない (I am Not Going to Sing) 』では、別の役者さんが来ていました。この展覧会には、他に日本人や中国人のアーティストやキュレーター等も参加していましたよね。その先生は日本人に対してはすごく丁寧なのに、中国人に対してはお高い態度をとってました。

―そうでしたか。何か複雑な気持ちがします。

パフォーマンスの様子の写真1

『私は歌わない (I am Not Going to Sing) 』 ミクストメディア(2015年) (c)siren eun young jung

  パフォーマンスの様子の写真2

『私は歌わない (I am Not Going to Sing) 』 ミクストメディア(2015年) (c)siren eun young jung

宝塚のリサーチ

―次に宝塚のリサーチについてお話を伺いたいのですが、神戸滞在中、リサーチはどのように進めたのですか?

サイレン:発祥の地である宝塚市周辺をみて、観劇して、劇場の周辺で起こる日常的なことを見届け、宝塚歌劇団の周りの人にインタビューをしました。宝塚からの許可が下りず、会社、音楽学校、役者へのインタビューはできなかったのですが、ファンや関連している人をインタビューしました。それから、小林一三の住んでいた町の図書館に宝塚関連のほぼすべての資料があったので、頻繁に問い合わせをしました。宝塚の生きている環境に自分の身をおき、観察し、文献調査などを通してリサーチしました。

―宝塚の舞台はいかがでしたか?

サイレン:面白すぎます。コンテンポラリーアートではNGな要素が全部詰まっていて、新派に近く観ていて恥ずかしいくらいなのに、面白くて興奮させる部分があります。

―宝塚の役者さんは退団後もファンと強い絆で結ばれているようですね。

サイレン:そうですね。ヨソン・グックの役者とファンも、今も交流しています。皆70~80歳くらいなのに、役者の隣に誰が座るかで揉めたりもします。2年に1度くらい少し大き目の公演があるのですが、その時はファンの人たちがまるで宴会のような差し入れを持って楽屋まできて、自分のスターに食べさせたりしますね。差し入れを他の役者と分け合うことは決してありません。

オン・オフステージにおけるイマジネーションとジェンダー

―ヨソン・グックのスターが花婿になって、ファンが花嫁になった結婚写真がありましたね、とても印象的な写真です。オンステージでのイマジネーションとファンタジーが、オフステージでも、つまり舞台を降りても続くことを意味する写真ですね。オフステージでのジェンダーイメージについて、関心をお持ちになっているところをお聞きします。

サイレン:作品のタイトルにoffstageをつける時が度々ありますが、offとstageの間にはスラッシュ( / )もしくはoffを括弧でくくることが多いです。それはヨソン・グックではoffstageとonstageがほぼ一緒になっていると考えるからです。役者たちをインタビューしながら他の役者―そんなに詳しくはないのですが―と最も異なると思ったのは、ヨソン・グックの役者たちの日常が常にオンステージのためにだけ存在するということです。今はもう立つ舞台もないにもかかわらず、おかしいくらい構えているのです。家に行くと、いつも衣装をつくっている、いつ着られるかもわからない衣装を、舞台の予定もないのに。昔の衣装を取り出して縫ったり手入れしたりもします。彼女らの家の中は明日にでも公演に出かけるような感じなんですね。また、舞台上で男性として存在しなければならないので、日常でも男性として存在する方も少なくないです。昔はもっと多かったと聞いたこともあります。

  舞台の様子の写真

『(Off)Stage/Masterclass』(2013年) (c)siren eun young jung

―それはたとえば物言いや振る舞いなどのことですか?

サイレン:そういう方もいれば、実際のセクシュアリティがトランスジェンダーに近い方もいたり、レズビアンとして家族を組んでいる方もいます。男を自分の日常で露わにする形はそれぞれです。それは自分が理解している「男性」のあり方で生きているからだと思います。実際セクシュアル・アイデンティティを混同していたり、判断できてない方も昔は多かったようです。
当時はそれを指す言葉がなくて呼ばれなかったと思いますが、どう見てもトランスジェンダーにしか見えない方がいました。その方は癌を患ったのですが、そのファンたちがその方を自分たちの家へ引き取り、身を隠させて面倒を見て、最期を迎えさせたそうです。
そういう方がいる一方でごく普通の主婦として生きる方も多かった。ですので、on-offステージを行き来する方々の人生から私が見出そうとしたのは、結局ジェンダーというものは生きていくことから見えてくるものだということです。ジェンダーは生まれつきのものではなく、どう演じるかによって女性になったり、男性になったりするのだということが、彼女らの人生を見ているとごく当たり前のこととして見えてきたのです。
あの結婚写真は圧倒的ですよね。自分たちとしては遊びだったのかもしれないけど、年月を飛び越えて私の前に現れた時、この写真が指してることは何なのか。そのなかには数え切れないくらいのジェンダーのパフォーマンスがレイヤーされていると感じました。亡くなったその役者の方は生涯異性愛者の女性として生きてきたのですが、そうではなかったのかもしれないと思いながら作業に取り組んできました。

―フェスティバル・ボムでの上演は2013年でしたね。作品を観たお客さんの反応はどうでしたか?

サイレン:反応は実に良かったのです。どのように理解して喜んでいたのかは自分にもよくわかりません。2回目はゲイ・コミュニティの観客が多かったので、また反応が違いましたね。1回目は普通のフェスティバルのお客さんでしたが、皆喜んでくれました。

―ゲイ・コミュニティの観客はどういう反応でしたか?

サイレン:本当に大騒ぎでしたね。後半、観客のひとりが舞台にあがる作品なのですが、たまたま客席から連れてきた男性が韓国のゲイ・コミュニティでは結構有名なクィア映画の監督だったんです。客席にはその仲間も多くて。やっと自分たちの楽しめるエンタテインメントを見つけたという感じでした。行間に重なるレイヤーに気づかないお客さんもいたと思いますが、彼らにはとてもはっきりと見えたのでしょう。ヨソン・グックの役者イ・ドゥンウさんが、解説をして実際にデモンストレーションをし、客席から観客を招いて手ほどきをするのですが、全員真似しだして。
当時のフェスティバル・ボム芸術監督のキム・ソンヒさんは、自分のフェスティバルではこれまでみられなかった新しい観客が大勢来ただけでも大きな成果だと言ってました。韓国の観客はダイレクトですよね。日本はおとなしいですね。ゲイの人たちは皆で先生の指導を受けているかのように真似していましたね。

  舞台の様子の写真

『(Off)Stage/Masterclass』(2013年) (c)siren eun young jung

東京でのリサーチと様式の政治性

―宝塚のリサーチについてはこのあと東京にも1ヶ月滞在して続けるそうですが、東京ではどういうリサーチをなさるのでしょうか。

サイレン:東京の宝塚劇場にも何回か行きました。ファンの積極性や応援の可視化は東京の方が強いですね。神戸では一部のファンが控えめに行動しますが、東京では本当に大勢のファンが熱心に応援をしていて、通りがかりの人たちもまたそのファンの動きを見物するというのが面白くてずっと見ていました。観客の世代も違うし。ここでもまたインタビューや参加しながらの観察を続けるつもりですが、神戸で1ヶ月滞在するより、東京での数日間のほうが周りのコアな熱気が見られたような気がします。
宝塚を観ながら、ヨソン・グックと大きく違うと思ったところは完璧に様式化されていることです。様式への興味があるので、宝塚のみならずいろんな様式の舞台を観てみようと思っています。例えば古典とか。東京のほうがそういう舞台を観られるチャンスが多いので、大衆演劇やストリップショーまで観てみたいです。日本ならではの典型的な舞台の様式性を見比べたいです。

―様式にも興味をお持ちですね。様式のなかにこそ、何かがあるとお考えだからですか。

サイレン:もちろんそうです。ヨソン・グックは様式より演劇性を強調しましたが、宝塚は様式が先のような気がします。外国人の知っている日本の舞台芸術も典型的な様式そのものが重要ですよね。歌舞伎や文楽の内容はすごく反フェミニズムでつまらないけれど、興味を持って観ることができたのは様式が詰め込まれていたからです。

―様式性が強いと、様式を満たすことに主眼がおかれがちになり、今の自分たちの社会や世界を直接に考えさせられることが少ないのではと思うのですが、サイレンさんはどう思われますか。

サイレン:リサーチで台湾オペラの役者をインタビューしたのですが、彼女は、自分には台湾オペラが他の伝統芸能より日常的に感じられて魅力的だと答えました。一方、全然言葉がわからず、内容を理解できない私にはむしろ様式の古典性がずっと理解しやすく、魅力的でした。役者と観客が魅了されるところはそれぞれ違うのですね。舞台の内側と外側にいるだけに。
そして、日常からすっかり離れているとはいえ、様式性が、日常や日常のなかの社会性や政治性を消すとは思わないのです。様式を通してできることの方に最近は興味を持っています。様式そのものがもっと政治的、社会的であり得るのではないかと。芸術を見るとき、その内容にこだわりがちですが、それだけで良いのか。もちろん歌舞伎が政治的だと言いたいわけではないですが、歌舞伎が守ってきた様式から物語を含め他のことを覗きたいと思います。それが日本語のまったくわからない自分にはむしろいいアプローチかもしれません。

  インタビュー中の様子の写真

写真:鈴木穣蔵

舞台表現の持つポテンシャル

―美術や映像とは違って、演劇、パフォーマンス、ダンスも含めて舞台はライブですよね。その時そこにいないと観られないし関わることができません。美術家であるサイレンさんが舞台作品を手がけているのはなぜでしょう。そして、様式や取り巻く状況が違うにしても、女性だけで上演するさまざまな舞台表現を追っているのはなぜですか。また、舞台表現において女性であること、女性性についてはどうお考えでしょうか。

サイレン:私は作品を通じて女性性を追うつもりではありません。むしろ女性という名称の付与、女性であることが指し示すもの、それが及ぼす影響のほうにずっと興味があります。なので、「ジェンダーのパフォーマティヴィティ」というアメリカのジェンダー理論家、ジュディス・バトラー(Judith Butler)の命題にすごく共感するし、パフォーマンスというジャンルは自分にとっては大きな挑戦であると同時に解決策でもあります。
映像や美術から舞台に移ったときは大変でした。自分ですべてをコントロールすることができないという恐れがすごく大きかったのですが、だからこそ舞台の上で生き延びながら異なる意味をまたつくり出すところが、自分には大きな刺激となっています。
舞台でも、テレビなどの映像メディアでも、再現される女性の役割はほとんど同じですよね。しかしながら、例えば舞台には80歳のおばあさんを実際に立たせることができます。それが可能である世界であることにとても魅力を感じます。一方、映像におばあさんを収めることは簡単ですよね。スムーズじゃないところは切ってしまえば済みます。しかし80歳のおばあさんが舞台に立つとき、曲がった腰や聞き取りにくい話っぷりでも、セリフが飛んでしまっても成立する、お客さんの反応してくれる世界がある。それこそが、まさに演じられるジェンダー、年老いるジェンダー、定義できないジェンダーで、それがずっと生き続けられるのが舞台のマジックではないかと思います。
特に、典型的ではないジェンダーを持った人たちが自分を露わにする一番良い芸術の形式が舞台ではないかとも思うんです。だから、トランスジェンダー・ショーだったり、ドラァグ・ショーが存在し続けられているのではないかと。舞台の仕事をしながらそういうところにもっと興味が湧いてきました。
これからヨソン・グックのおばあさんとだけ仕事をするわけではなく、他の人たちとの作品も準備していますが、変わらず舞台という形式とそれが醸し出すマジックのようなものをずっと使っていきたいと思っています。

―舞台表現によって何らかの問いかけが浮かび上がってきますよね。

サイレン:はい。そして、予想もしなかったことが常に起きて、それを通じて次のステップを考えることになりますね。美術界はとても洗練された趣向や美学が先に出てしまい、奥深い表現はあるものの、人と人の間の共同体のようなものは忘れられがちです。舞台はその間をいつも調整、解決しなければならない役割を自分に与えてくれるので、とても勉強になります。

―サイレンさんがなぜ舞台表現に向かったのかがよくわかった気がします。『(Off)Stage/Masterclass』は再演しないのですか?

サイレン:80歳を越えた役者にとって、遠方まで出かけて公演するのは難儀なようです。行きましょうと言っても喜んでくれません。今年は韓国-フランス修交130周年という記念の年で『(Off)Stage/Masterclass』のフランス上演の話があったんですが、日本よりさらに遠くに行くのは無理だと言ってました。

―宝塚のリサーチがうまくいきますように。今後のご活躍を楽しみにしています。今日は本当にありがとうございました。

  サイレンさんと聞き手の山口の写真

写真:鈴木穣蔵

【2016年2月14日、BankART Studio NYKにて】


聞き手・文:山口真樹子(やまぐち・まきこ)

東京ドイツ文化センター文化部にて音楽・演劇・ダンス・写真等における日独文化交流に従事した後、ドイツ・ケルン日本文化会館(国際交流基金)にて舞台芸術交流、日本文化紹介、情報交流他の企画を手がける。2011年春より東京都歴史文化財団東京文化発信プロジェクト室で企画担当ディレクターとしてネットワーキング事業等を担当。現在国際交流基金アジアセンター勤務。

通訳:コ・ジュヨン(Jooyoung Koh)

最新特集記事

特集記事一覧へ

Asia Hundreds アジアハンドレッズ

オンライン・アジアセンター寺子屋シリーズ