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越境する映画制作の舞台裏 ――『アジア三面鏡』3監督シンポジウム

Interview / Asia Hundreds

3作品をつなぐ信頼

石坂:それでは、会場からご質問を受けたいと思います。

質問者1:行定監督とメンドーサ監督に伺います。先ほどメンドーサ監督が、小ぶりな機材を使って、みんながシームレスに役職をまたいで仕事すると話されました。僕自身も映像を作っていますが、若い映像クリエイターの仲間達も同じようにしています。そうした制作スタイルの長所や短所、何かアドバイスがあれば、ぜひ教えてください。

メンドーサ:私は若い学生を集めてワークショップを行っているのですが、彼らに推奨したことは、とにかく工夫を凝らし、臨機応変に考えるように、ということです。映画作りは、難しく考えれば大変難しいものになってしまいます。だから、とにかく周りにあるものを臨機応変に役立てて、それで映画を作りなさい。もちろんモチベーションは大切ですが、知識も大切です。良いフィルムメーカーになるためには、いろいろなアイデアを持ち、ストーリーを理解し、同時にいろんな機材の知識も大変重要です。特に新しい世代のフィルムメーカーに大切なことです。強いて言えば、旧世代には監督だけしてればいいという時代がありました。でも今はそうじゃない。若い人たちはいろんなことを学んで、そしていろんなものを、自分の工夫でいろんなものを生かして画を作っていくべきだと思います。

行定:日本の場合は、メンドーサさんが言うような旧世代的な発想だと思うんです。ヒエラルキーがしっかりしていて、監督は右往左往せず、司令塔になる。みんなが自分の役目を理解し、パート別に分かれて、それぞれの仕事を迅速にやる。だから準備がすごく重要なんです。アジアに行くと、中国も韓国もマレーシアもそうでしたけど、ある程度の準備はするけど、あとは即興なんです。撮影するその瞬間に、最終的にそれがあればいい。ある程度はやるけど、変わっていくということです。ただし、スタッフがすごいのは、監督が何をやりたいかをみんなで理解しようとする力ですね。日本の場合は、それぞれのスタッフが自分の解釈で提示してくる。それを今度は監督が逆に受けて整理する。僕はそれでずっと育ってきて、日本で撮ってきました。アジアで撮る、特に今回マレーシアに行ったときに、メンドーサさんのクルーと同じスタイルが一番いいんだと、撮影中にずっとカメラマンと、5人ぐらいで撮ろうと話していました。そういうことを日本人に教えていかなきゃ駄目だよね、と。プロフェッショナルだから、できるはずなんですよ。

シンポジウムの様子の写真

日本の場合は撮影許可の問題もあります。許可がないと駄目。外国人がライトを点けて渋谷で堂々と撮っていても文句を言われないけど、日本人が撮っていると怒られますね。アジアに出るとそれができる。今回もメンドーサさんの映画を観て、彼は日本に来てもそのスタイルを貫く。空港や飛行機の中とか、「なぜ撮れたんだ」と聞くと、「普通に撮ったよ」みたいな感じでいらっしゃいますけど、そのほうがリアリティのある映画が撮れるんですよ。たまに自分が映り込んだりしてますけどね(笑)。しかたないです、それは。そのたくましさはすごく勉強になるし、デジタルの時代になって、我々もそういうスタイルにだんだん変わっていくんだろうなと思っています。

質問者2:それぞれの時代背景や、歴史の違う部分がある中、ソト監督の作品に出てくる金継ぎ *2 が象徴するように、3つをひっくるめて共感しました。今回モチーフ選ばれた馬、ハト、橋には、それぞれどんな思いをこめられましたか?

*2  室町時代に始まったと言われている、割れたりヒビの入ってしまった陶磁器を漆で接着し、継ぎ目の漆の跡に金粉や銀粉で装飾する修復技術。金繕いとも呼ぶ。

クォーリーカー:プノンペンは川を隔てて分かれているんですけど、子どもの頃の私は川の反対側におりました。私が子どもの頃は、まだ日本の橋が壊れたままだったんですね。ですから、川の反対側へ行くには、ボートに乗るしかありませんでした。忘れもしない9歳の頃、母親に乗せられて反対側に初めて行ったのですが、その間はとても怖かったんです。ワニが出てこないか、急に嵐が来て、われわれのボートが転覆してしまわないか、私も母も泳げませんでしたから。何度かボートに乗って反対側に行くときに必ず、壊れた橋の下を通っていくわけです。壊れた橋をボートから見上げて、私は母に聞きました。「なぜこの橋は壊れてるの?」それがジャパニーズブリッジと言われている日本との友好橋だったんですね。

シンポジウムで語るクォーリーカー監督の写真

橋が通っていないから、常に人々は川を渡るか、迂回して行かなければいけない。とにかく不便でしたが、初めて1994年に橋が再建されたわけです。そして私もそこのお祝いの場所にみんなと一緒に行きました。それがひとつの絆というふうになったわけですね。まさに都市の2つの側が橋によってつながれた。でもそれだけではなく、この橋は、現在と過去をつなぐ橋だと思っています。または私と母親、カンボジアそして日本をつなぐ橋だと思っています。実際に橋が渡されて、いろんなものがつながったということになるわけで、それを象徴しているわけです。特に私は過去と現在、私と母親、私と私の子どもたち、私と私の夫、そういったものをつなぐ橋だと私は考えております。
もうひとつお話しさせていただきたいのは、この映画に出てくる金継ぎの話です。映画では、加藤雅也さん演じる主人公の福田が、夕食時、金継ぎしたお銚子についてこう話しています。「割れた器を直す場合、普通は疵を隠そうとするが、金繕いでは疵と修繕の痕跡が物の歴史として見えているのだ。」

映画のスチル画像
『Beyond The Bridge』より

金継ぎまたは金繕いは日本の古い手法ですが、この考え方はカンボジア人にとって、とてもいいヒーリングプロセスだと思っています。カンボジアの人たちは、何か物が割れてしまったら、縁起が悪いということで、すべて捨ててしまうんです。つらい過去についても、同じように誰も話しません。そして一生懸命忘れようとする。または隠そうとするわけです。ですが、日本では器が割れてしまったら、美しく金でつなぐようにします。そして私はそこから思いました。カンボジアに起きた過去のつらいことは隠すことではなくて、それを知って理解した上で、初めて私たちのアイデンティティーを理解できると思ったのです。まさに過去のことを私たちは、金継ぎしなければいけないと思いました。そして、それによって、カンボジア人はヒーリングプロセスを得ることができるというふうに思ったわけです。福田は、壊れてしまった橋を、カンボジアに再び戻って再建します。またつなぐわけです。これは金継ぎにもつながることでしょう。そんな意味を込めて、橋というものをひとつのテーマにいたしました。

メンドーサ:私はかねがね、海外で就労するフィリピン人に、とても興味を持っています。社会的な大きな問題だと思います。私はある問題に興味を持つと、それを自分の作品のモチーフとして描こうと心掛けています。今回もちょうど去年、来日した際に日本で働くフィリピン人たちにインタビューをしました。かつて日本に住んで働き、いまはフィリピンに帰国している人たちにも話を聞いた中から、ストーリーを考えたわけです。

行定:ハトは平和の象徴です。これは日本だけじゃなく、どの国でもそうですが、なぜハトは平和の象徴なんだろうと考えたんです。僕は子どものときにハトを飼ってましたが、ハトには帰巣本能があります。ハトのレースで、1,600キロ離れた所から2万羽のハトがゴールを目指して飛ぶものがあります。約10パーセント、5パーセントぐらいになりますが、きちんと帰ってくるハトがいるんです。そのひたむきさはすごい。飼う人間はハトが戻ってくると信頼しているから飛ばす。信頼という意味で、僕はハトというモチーフがあると思いました。人を信じること、動物を信じること、スタッフを信じること。

今回越境して、映画を作るわけです。マレーシアのスタッフを信じないと、ことは始まらないんです。彼らを疑ってやったら、向こうだって僕の事を疑いますよね。僕は全部信じました。裏切られても笑えるぐらいに信じようと思ったんですね。そして彼らはちゃんと応えてくれるんです。ハトは応えてくれませんでしたけど(笑)。それ以外は本当にうまくいった。

シンポジウムで語る3監督の様子の写真

今回『アジア三面鏡』というお題を出されたときに、メンドーサ監督はベテランで、素晴らしい作品を作っている。ソト監督は、若手で新進気鋭の監督。僕はホスト国の監督として、どうつながっていくかと考えた時、ひとつの信頼でしかないんですよね。打ち合わせをして、何となく何かがつながっていようというひとつの流れがある。ぐるっと循環するような感じもある。悲しい出来事が3つそろっているようにも見えるんだけど、国と国の間にそれぞれ何かつながりたいという思いと、信頼があるんだなというのが、『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』についての僕の感想です。だからハトはその象徴で、信じるという気持ちですかね。あとは希望みたいなこと、前向きな気持ちでテーマにしました。

石坂:皆さん、今日は長い間ありがとうございました。このように3名の監督が一緒にオムニバスをアジアで制作するのは、大変貴重なことだと思いますし、まだまだ発見がたくさんある気がします。先に申し上げたとおり、これら作品は国内のみならず世界各国でも上映させていこうと企画しておりますので、皆様そちらも是非お楽しみください。本日は、どうも、ありがとうございました。

【2016年10月27日、六本木アカデミーヒルズ オーディトリアムにて】


聞き手:石坂健治(いしざか・けんじ)
日本映画大学教授/東京国際映画祭「アジアの未来」部門プログラミング・ディレクター。1990~2007年、国際交流基金専門員として、アジア中東映画祭シリーズ(約70件)を企画運営。2007年に東京国際映画祭「アジアの風」部門(現「アジアの未来」部門)プログラミング・ディレクターに着任して現在に至る。2011年に開学した日本映画大学教授を兼任。

編集:掛谷泉、佐藤亘(国際交流基金アジアセンター)
写真(シンポジウム):佐藤基