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アヤン・ウトリザ・ヤキン――インドネシアにおけるイスラム:その役割と挑戦

Interview / Asia Hundreds

インドネシア社会における課題と真のジハード

藤岡:あなたが教育にとても熱心な理由がわかりました。次に、現在インドネシアが直面している新たな問題について、そしてどのようにそれらの問題に取り組んでいるのかを聞かせてください。

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アヤン:この10年間に、不寛容に起因する問題がいくつか生じています。カトリックをはじめとするキリスト教徒、イスラム教シーア派、アハマディア・ムスリム*1 など宗教的少数派のコミュニティに対する攻撃です。国立のイスラム系大学の学者たちや、ナフダトゥール・ウラマ(NU)、ムハマディヤ等のムスリム市民社会組織のウラマ(イスラム法学者・学識者)たちは、インドネシアで民主主義が機能していることを示すため、少数派の権利と全ての人の信仰を守ろうと奮闘しています。

*1 アハマディヤは19世紀後半にインドでMirza Ghulam Ahmad (1835-1908) によって設立されたイスラム教の宗派で、世界のムスリム多数派によって異端であると見なされている。

現在、ジャカルタでは州知事選挙が近づいています。*2 現職候補は中華系キリスト教徒です。2人の新人候補(1人はアラブ系ムスリム、もう1人はジャワ人のムスリム)は、生粋のインドネシア人であるとされています。イスラム教の分派やムスリムの政治家の中には、現職候補に対し彼の民族性や宗教を理由に反撃しようと、イスラムを政治的手段として利用する人たちもいます。インドネシアでは、法を順守する平和的なデモは、民主主義の原則に従って許可されています。しかし、一部のウラマや声高に主張するムスリム組織が、民族性や宗教のみを理由にこの現職候補を標的にするやり方に私は批判的ですし、同意できません。こんなことを到底容認することはできません。

*2 2017年2月15日、ジャカルタ州知事選挙の第1回目がジャカルタで実施された。

宗教を政治の舞台に持ち込むことは大変危険です。政治は俗世的な行為だからです。自分の行動を正当化するために俗世的な行為を宗教で攻撃することは、極めて致命的で危険なことです。かつてのスハルト体制、Orde Baru[新秩序]時代のような政治的なムスリムたちは、大規模なデモを11月4日*3 と12月2日にジャカルタで実施しようとしており、自分たちが行おうとしていることは非ムスリムに対する「大いなるジハード(聖戦)」であると主張しています。私たちは、一部の挑発的な参加者が、度を越えた無秩序なデモを展開するのではないかと心配しています。

*3 2016年11月4日、ジャカルタで、現職知事の罷免を要求する抗議者たちが警察とぶつかり合う激しい衝突が起こった。少なくとも抗議者160人と警察官79人がこの衝突により負傷した。

インタビューに答えるアヤンさんの写真

藤岡:多くの場所で、「ジハード」という言葉がしばしば他のグループに対する攻撃の意味で使われていると感じます。この言葉のせいで、多くの人がイスラムはとても暴力的な宗教である、あるいは信者はみな過激主義者であると誤解しています。

アヤン:そうです、最も誤解されているイスラムの概念の1つがジハードだと思います。DaeshやISISと呼ばれる組織が中東諸国でやっていることは、ジハードとは全く関係がありません。彼らは自分たちの計画のためにイスラムを乗っ取ったのです。彼らはイスラムを標榜していますが、イスラムが何かを理解していません。ジハードとは、彼らがやっているようなことではないのです。中東で起こっていることは経済と関係していますが、私はここで地政学や国際関係についてお話しするつもりはありません。しかし、私たちは今、宗教を政治利用することが、ある国を効果的かつ効率的に破壊するための有効な手段になりつつあるという現実を目の当たりにしています。本来ジハードとは、武力に訴えることではなく、廃棄物を適切に処理し、きれいな水と雇用を提供すること、子どもたちにより良い教育を与えること、つまり、堅実な生活を送り国に貢献することだということを、ムスリムの人々に教えることが私たちの務めだと思っています。それが真のジハードです。

インドネシアにおけるイスラムの独自性

藤岡:インドネシアとイスラムの関係についてもう少し教えてください。インドネシアのイスラムはとても穏健かつ寛容であると考えられていますが、何か歴史的背景があるのですか?他の国々のイスラムと違いはあるのですか?また、それらの特徴はインドネシア社会の形成にどのように貢献していると思いますか?

アヤン:インドネシアへのイスラムの伝来は2つの段階を経ています。第1段階は、極東へ行くために当時ヌサンタラと呼ばれていたインドネシア諸島を通過したアラブ人とペルシア人のムスリム商人による間接的改宗でした。この改宗は、12世紀まで見られました。 第2段階は、敬虔なムスリム伝道者による直接的改宗でした。彼らは、13世紀後半、スマトラ島のアチェでムスリム・コミュニティとイスラム政治制度の確立に従事しました。スルタンによる支配の存在は、ヒジュラ暦696年(西暦1297年)と記された、初代スルタンであるMalik al-Salehの墓碑の発見により確認されています。このように2段階からなるイスラムの伝来は、穏やか且つゆっくりと進んだのです。

藤岡:戦争や侵略によるものではなかったということですね?

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アヤン:その通りです。イスラムは、商人と熱心なムスリム改宗者によって平和的な方法でヌサンタラにもたらされたのです。この伝来の経緯は、すでにインドネシアにおけるイスラムの特性を物語っています。加えて、イスラムは諸島の文化や伝統にもスムーズに適合しました。ムスリムたちがその土地固有の文化に深く敬意を払ってきたからこそ、今のインドネシアのイスラムがあるのだと思います。私は、インドネシア諸島固有の文化と伝統は、穏健なイスラムの形成に大きく貢献したと信じています。同時に、インドネシアの快適な熱帯気候も、インドネシア人の宗教的実践に大きな影響を与えたと考えています。私たちの国の気候条件は過酷なものではなく、東欧や中近東、北アフリカ、南アジアにある他のムスリム諸国のように、夏にとても暑いとか、冬にとても寒いといったことがありません。

藤岡:インドネシアにおけるイスラムの教えとはどのようなものですか?

アヤン:インドネシアのイスラムには、3つの賢明な教えがあります。al-Ukhuwwah al-Islâmiyyah[ムスリム的同胞愛]、al-Ukhuwwah al-Basyariyyah[人間的同胞愛]そしてal-Ukhuwwah al-Wathaniyyah[国家的同胞愛]です。 これら3つの連帯の概念は、「私たちはムスリムである。けれども、ムスリムである前に私たちは人間であり、この国の同胞である。」ということを意味しています。
また、インドネシアのイスラムは、3つの価値を掲げています。tawâzun[バランス]、 tawassuth[穏健]、そして tasâmuh[寛容]です。この中で、1つ目のtawâzunについてもう少し詳しくお話したいと思います。イスラムと国家の関係について言えば、インドネシアは神政国家でも、世俗的国家でもありません。サウジアラビア、イラン、パキスタン、バングラデシュ、ナイジェリアのいくつかの州などは、我が国と違い、神政国家です。これらの国は、自分たちの国がイスラム国家であり、憲法がシャリーア(イスラム法)に準じていると憲法で明確に宣言しています。我が国の憲法では、私たちの国がイスラム国家である、あるいは、イスラムが唯一の国教であるとは述べていません。インドネシアには、公式な宗教が6つあります。具体的には、イスラム、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー、仏教そして儒教です。さらに、土着信仰も数百種類あります。とは言え、国や政府は宗教的な問題に介入できないという共通認識があるフランスや日本ほどには、非宗教的ではありません。我が国では、2つの間でバランスをとっています。その点においても、tawâzunは私たちにとって価値ある概念なのです。

インドネシアにおける穏健派イスラムの担い手

アヤン:国家レベルでこれらの教えや価値観を実践するために、インドネシアの二大イスラム系組織が重要な役割を果たしています。ナフダトゥール・ウラマ(NU)とムハマディヤです。私自身は、NUでモスク対策副議長を務めています。この2つの団体のメンバーや信者の正確な人数は分からないのですが、ムハマディヤのメンバーは2千万人から4千万人、一方、NUのメンバーは3千万人から8千万人と言われています。また、西ヌサテンガラ州のNahdlatul Wathanや北スマトラ州のal-Jamiyyatul Washliyyah、中部スラウェシ州のal-Khairat、西ジャワ州のPersatuan Islam、バンテン州のMathlaul Anwar、ジャカルタ州の al-Irsyad al-IslamiyyahおよびJamiat al-Khayrなど、いくつかの州には、多くの小規模、中規模のイスラム組織が存在します。これらの組織は全て、平和的で寛容な、あるべきイスラムを広めるために熱心に活動しています。NUとムハマディヤはそれぞれ独自のイスラム学校を持ち、インドネシア人ムスリムを教育し、国内各地で病院や孤児院も運営しています。

インタビューに答えるアヤンさんの写真

藤岡:学校だけではなく、病院や孤児院もですか?イスラム組織がインドネシアの人々の生活の中で果たしている役割はとても大きいのですね。

アヤン:そうなんです。彼らは慈善団体も運営しています。インドネシアの人々のエンパワーメントや教育普及のための大規模なネットワークを持っており、インドネシアにおけるイスラムの成功に大きく貢献してきました。幸いなことに、政府とこの2つの組織は互いに協力しています。
NUとムハマディヤは、マドラサ(イスラムの神学校)、プサントレン(イスラム寄宿塾)、イスラム系大学といったイスラム教育機関も運営しています。これらの教育機関は、政府もしくはNUやムハマディヤのような前出のイスラム組織によって経営されています。これらの教育機関は、インドネシアのイスラムを実践し、それが何であるかを教える上でインドネシア全土で大きな貢献をしています。同じように、私が卒業したジャカルタの国立イスラム大学をはじめとする国立イスラム系大学も、まさに(イスラム)原理主義や改革主義に対する防壁の役割を果たしています。
大学で講義をしたり、新聞に寄稿したり、国営テレビに出演したりしているムスリム知識人や穏健なウラマ(宗教学者)もまた、穏健なイスラムを守り、広める上で重要な役割を果たしています。彼らが書いたものや彼らの考えは非常に影響力が大きいのです。私がジャカルタの国立イスラム大学に在学していた時には、例えば、Cak Nurとして知られるNurcholish MadjidやGus Durとして知られる前インドネシア大統領のAbdurrahman Wahid、ムハマディヤ前議長であるAhmad Syafii Maarif、Kang Jalalとして知られるJalaluddin Rahmatといったムスリム知識人や、Sahal Mahfudz、Ali YafiそしてQuraish Shihabといったウラマによる出版物は、大きな影響力を持っていました。特に、ウラマの役割は重要です。彼らはイスラムに関する知識が豊富で、社会ではイスラムの権威の源と考えられているからです。
これら3者、すなわちイスラム組織、イスラム教育機関およびムスリム知識人とウラマは、互いに協力しながらインドネシアにおけるイスラムのアイデンティティーを形成し、構築してきました。要するに、インドネシアのイスラムとは、イスラム教と地域独自の文化がひとつに収斂されたものなのです。別の言い方をすれば、イスラムのエッセンスと、インドネシアの慣習や知恵、伝統が、良いかたちで相互作用したものと言えるでしょう。私たちは、イスラムをインスピレーションや価値感、規範、道徳のよりどころと捉え、地域文化と一緒に一包みにしました。こうすれば、イスラムが地域文化と相反することはありません。

藤岡:インドネシアのイスラムは、他のムスリム諸国にとってモデルになり得ると思いますか?

アヤン:思います。インドネシアのイスラムは、イスラムがいかに地域文化と積極的に交わることができるのかを示すことができました。私は、インドネシアにおけるイスラムの成功例を、他のムスリム諸国に「輸出」してはどうかと思っています。

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