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国際交流基金アジアセンターは、アジアの人々の間に共感や
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ユエン・チーワイ――アジアの音楽と人をつなげる

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

Asian Meeting Festivalの活動

畠中 実(以下、畠中):アジアン・ミーティング・フェスティバル(Asian Meeting Festival、以下AMF)*1 の活動は、先日報告会があって、これでひと区切りということですが、AMFの活動を経て、こうしたアジアにおけるミュージシャンのネットワークについて、チーワイさん自身の考えを聞かせてください。

*1 日本とアジアのミュージシャンをもっと交流させたいという思いから、大友良英が2005年に開始。2014から2017年度は国際交流基金アジアセンターが主催する「アンサンブルズ・アジア」Asian Music Networkのプロジェクトとして、ユエン・チーワイとdj sniffがキュレーションを担当。実験音楽・即興音楽・ノイズの分野においてインディペンデントな活動をしている音楽家やオーガナイザーのネットワーク形成を目指す。これまでに日本各都市のほか、シンガポール、マレーシアで開催。2018年は台湾での開催を予定。

ユエン・チーワイ(以下、ユエン):昔から国を超えてミュージシャンやアーティストがコラボレーションするということは行なわれていて、AMFのようなプロジェクトの前からボーダレスにやってきました。大友(良英)*2 さんが10年前にFEN*3 やAMFに誘ってくれた時を思い返すと、大友さんは特に綿密に計画したのではなく、政治的なことや歴史的なことも考えていなくて、すごく単純なアイデアで何かアクションを起こしたいと考えていたんだと思います。その時にお金もほとんどない状態で、それでもなんとか活動できていたことを思えば、AMFと国際交流基金の協働が終わっても、アーティストたちとの関係はこれからも続いていくし、今までのネットワークで繋がった人たちが別の場所で集まってさらに別の次元で続けるだろうと思います。

*2 音楽家。ギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家、映画音楽家、プロデューサー。

*3 FEN(Far East Network)は、大友良英の呼びかけにより2008年に結成、大友良英(日本)、ユエン・チーワイ(シンガポール)、リュウ・ハンキル(韓国)、ヤン・ジュン(中国)で構成される即興音楽グループ。

2015年のAMFの写真
AMF2015
撮影:小山田邦哉
2016年のAMFの写真
AMF2016
撮影:井上嘉和

例を挙げると、クアラルンプールにヨン・ヤンセン(Yong Yandsen)とコック・シューワイ(Kok Siew-Wai)という音楽家がいます。2014年の1回目のAMFにシューワイを呼びました。それまでのシューワイの活動はどちらかというとおとなしい感じで、映画関係の活動が多かったけれど、そのAMFの後にシューワイもヤンセンもすごく活発に活動するようになって、2週間に一回ぐらいイベントをやって、積極的にAMFで出会った人たちともコラボレーションをするためにコンタクトを取るようになった。もちろんAMFの後でも個々の活動は続けていくのだろうけども、AMFによってそれぞれの活動が少しブーストされたということもあるんじゃないかと思います。

畠中:これまでの活動ではつながりを持てなかっただろう人たちとも繋がることができたということですね。AMFのコンサートを拝見して思ったことは、ミュージシャン同士の活動として以上に、異なる領域の人たちがコラボレーションすることによって、音楽的な達成とは別なもうひとつの達成が現れているのでないかということです。それは彼らがミュージシャンとしての活動だけでは到達しなかったものかもしれないと思いました。

ユエン:そういう意味ではフェスとフェス同士のコラボレーションというのも成果だと思っています。AMFをシンガポールで開催した時にプレイ・フリーリー(Playfreely*4 というフェスティバルと、クアラルンプールではクレックス(KLEX)*5 の音楽プログラムとコラボレーションしました。それによって地元のオーガナイザーもどうやったらこういったフェスをできるのかとか、より大きくして多くのお客さんを呼べるのかなどを学べる場になったと思います。それはこちらが向こうから学ぶこともたくさんあるし、お互いの文化を学び合う経験でした。AMFは短い間に飛躍的に発展しました。たくさんの関係構築やシーン間の架け橋となることができました。それも音楽分野だけには限りません。目に見えない心強い結びつきが音楽家、芸術家、人間として活動し続ける原動力になっているのです。

*4 The Observatoryのメンバーがオーガナイズするシンガポールの音楽プラットフォーム。

*5 Kok Siew-Waiがディレクターを務めるKuala Lumpur Experimental Film, Video & Music Festivalは、2010年に設立されたアーティストによって運営されている、インディペンデントで草の根的な国際フェスティバル。

領域横断的な表現と分断

畠中:近年の大友さんの活動でも、たとえば、インスタレーション制作などの美術的な活動も、毛利悠子*6 さんや梅田哲也*7 さんといったアーティストのような、即興界隈とは違う世界の人と出会うことによって広がったと思います。シンガポールにも同じようなシーン、美術と音楽を分けること自体があまり意味をなさないような状況はあるのでしょうか。

*6 美術家。磁力や重力、光など、目に見えず触れられない力をセンシングするインスタレーションを制作。

*7 美術・音楽・パフォーミングアーツなど複数の分野を横断して活動するアーティスト。

アジアハンドレッズインタビュー中のユエン・チーワイ氏の写真

ユエン:チョイ・カファイ(Choy Ka Fai)はダンスを違う形で見せるということをやっています。カファイは彼の作品で従来のダンスの考え方や定義とは全く違う角度から問うことをしていて興味深いです。しかし、音楽においてはみんなまだ典型的な楽器を使っていて、毛利さんや梅田さんのようなことをやっている人は見たことがないです。彼らの作品とアプローチはとても特殊です。美術と音楽に取り組みその境界線を曖昧にしようとしたり、その逆を試みたりする人たちはいて、時にはとてもおもしろい作品になることもある。でも、もっとやってもいいのではないかと思います。

畠中:以前のインタヴューでシンガポールでもエクスペリメンタルなものをやる人が増えてきて、そうした動向が広がりつつあると話されていたと思うのですが。

ユエン:シーンが広がってきていて、より多くの人が実験音楽に挑むようにはなってきているのは確かです。以前よりたくさんの人が演奏会を主催したり参加したりしていて、多様な非主流派のシーンを支えています。自分の心の奥底では、もっと過激なものを望んできます。シーンにとって今必要なのは、過激なもの、もしくは過激とは何かを再定義することだと思います。

畠中:やはり、ある種のジャンル的な求心力は強いのですか?

ユエン:ジャンルというのは例えば音楽において、という意味だとすれば、彼らに隔たりや意見の相違があっても簡単に解決できるように思います。ただ、それが音楽と美術のジャンルにおいてということであれば、その隔たりは他の国と同じような状況ですね。付け加えるとすれば、ヴィジュアル・アート界の人たちはシンガポールの音楽パフォーマンスを観にきたりもするし、その逆もある。とても健全なことです。そこには強い仲間意識があって、それがシーンをより強くするんだと思います。

畠中:チーワイさんはインスタレーション的なものや、演奏から拡張したものをやったりしていますか。

ユエン:2006年の1回目のシンガポール・ビエンナーレではインスタレーション作品で参加しましたが、アートシーンの内部政治的なものに嫌気がさして、それ以来そういったものにそれほど関わらなくなりました。オブザバトリーでは多感覚的に刺激するインスタレーション・パフォーマンスをやったことはあります。

畠中:ジャンル同士のテリトリーがはっきりしているのでしょうか。ただ、美術と音楽を両方楽しむ人は多いと思います。その中で領域横断的、中間領域的なものが現れてくる状況があると思うのですが、シンガポールではどうですか。

ユエン:この問題はもっと根が深いのです。多くの場合それはファンディングの性質に関係していると私は思います。シンガポールでは、アーティストが助成金をもらうのはほとんどがナショナル・アーツ・カウンシル(National Arts Council Singapore)からです。そのアーツ・カウンシルが例えば音楽にしろヴィジュアル・アートにしろはっきりと境界線を引き、何が何なのかをいつも定義しているため越境することは難しい。彼らは分野横断的な新しい実践が何なのかを理解しません。そしてこのような新しい表現をサポートする手立てがわからないために、分野横断的な作品が成立するのはとても難しいのです。

畠中:音楽の中にも、エスタブリッシュされたものとそうでないものとの分断があると想像するのですが。

ユエン:このエスタブリッシュされたもの、されないものの概念というのは、シンガポール独立後の早い段階でおきたのだと考えます。60年代に国家が築かれるときに政府が強い規制を設けたり、サブカルチャーの監視をした結果、音楽産業も活発な音楽シーンも発展しませんでした。長髪の人たちは髪を切るように言われ、西洋の挑発的な歌詞の曲はラジオで禁止されていました。日本のキーボード奏者であり作曲家の喜多郎が1984年にコンサートのためシンガポールに来た際、長髪だったために入国を拒否されたというのは有名な話です。また、レッド・ツェッペリンも似たようなことでシンガポールでの演奏を拒否されました。音楽や音楽家への扱いはこのような状況だったのです。

そのため現在アーツ・カウンシルはいわゆる音楽シーンを活性化させようとしていて、若いバンドにアルバムを録音したりリリースしたりする助成金を与えています。たぶんアーツ・カウンシルは、政府が60年代、70年代の生き生きとした当時の音楽シーンを過剰に踏みつぶしたことを正そうとしているのだと思います。しかし現在の取り組みは物事を起こすにはクリーンで手ごろな「解決策」でしかないためにうまくいかないのです。そしてアーツ・カウンシルが介入しすぎるためにクリエイティヴィティに歯止めがかかってしまうのです。すべては数字と業績評価指標で表される必要があります。その結果、有機的に発展しません。

また、インディペンデントなDIYカルチャーやパンク、ハードコア、メタル、エクペリメンタルと言ったシーンはあまりアーツ・カウンシルから支援されません。アーツ・カウンシルがこれらとは違った秩序、ルックスや表現を音楽に求めているので、そこで分断ができてしまうという状態にあると感じています。ただ、つけ加えなければならないのは、このような抵抗の文化というのは文化の多様性にもつながるということです。

畠中:そうすると逆にサブカルチャーはカウンターとしての力を持ち得ると思うのですけれど、シンガポールのアンダーグラウンド・シーンはそれによって逆に活性化しているのですか。

ユエン:そうですね、このカウンターの動きはとても大切です。パンク・グループやDIYオーガナイザーのなかには定期的にギグをやったり小さなジャム・スタジオなどで活動を続けたりする人たちはいます。ただ、アンダーグラウンドのシーンが何かインパクトの強いものを始めようとするときはいつも高級化(ジェントリフィケーション)したり、経済的に活動継続が難しくなって自然となくなってしまうような見えない力が働くと感じます。

創作活動とアイデンティティー

畠中:あなたのバンド、オブザバトリー(The Observatory*8 はシンガポールのシーンの中ではどういったポジションにあるのですか。

*8 ユエン・チーワイ(ノイズ、エレクトロニクス、シンセサイザー)、シェリル・オン(ドラム)、レスリー・ロー(ヴォーカル、ギター、ドラム)、ヴィヴィアン・ワン(シンセベース、キーボード)で構成されるシンガポールの実験ロックバンド。

ユエン:オブザバトリーは長く活動しているので、そのことが他のバンドに生き残ること、作り続けることのインスピレーションになっていると思います。私たちはバンドやミュージシャンをできるだけ助けるように努力しています。それと同時に私たちは絶えず自分たちの音楽や自分たちのやることを発展させたいと思っています。50歳、60歳になっても同じ曲をただバンドで演奏しているようなことはできません。私たちはシーンや自分たちを改革するために常に考え、新しい道を開拓できるように促しています。それは、ただバンドとして音楽を演奏するというよりは、例えば異なった意味のあるかたちでヴィジュアル・アートとコラボレーションをしたり、いろんな形態の取り組みを通してシーンの発展に貢献することだと思います。
私たちが作るもの、書く曲においても私たち独自の考えを持っています。自分たちで自己検閲せず、何も恐れずに自分たちに正直にそして真実に向きあって表現をするように心に決めています。こうすることが他の人たちに「何か変化を起こすことが可能だ」と気づかせる一つの方法かもしれません。これまで(これからもそうならないと願いますが)牢獄に入れられるようなことはありませんでした。この先もそうした境界線を探っていきたいです。

畠中:たとえば大友さんの活動でも、日本を意識することや、日本人というアイデンティティーを打ち出すということを、特別には考えていないと思います。ただ、彼が日本で受けてきた影響というものに対するアイデンティティーは明確に打ち出していると感じます。それは日本の作曲家や、昔の音楽などへのリスペクトがあったりするわけですが、チーワイさんの音楽的なアイデンティティーや影響とはどのようなものですか?

ユエン:難しい質問ですね。何故ならばシンガポールはそもそもあまり文化的なアイデンティティーがないからです。個人的にはいつも映画、ヴィジュアル・アート、建築や本に影響を受けています。ですからそこからのアイデアや思想、哲学にも影響を受けて自分の音楽に持ち込もうとしています。よく行うのがただ聴くことです。何か音を出してそれをただ聴くのです。シンガポールはいつでもいろんなことが起きていてとてもコズモポリタンなところなので、人々は自分の時間と空間を忘れがちです。ですから、多くの場合私の音楽やアイデアは静かなスタジオの空間をただ何時間も聴くということから発展しています。15年間密にコラボレーションしてきた人たちが全て音楽的にとても違うということが私に大きな影響を与えてきました。

アジアハンドレッズインタビュー中のユエン・チーワイ氏の写真

畠中:インドネシアの人だったらガムランとか、使う楽器にもある種のトラディショナルなものが含まれていたり、そういったものが色濃く出てくる。AMFでは、それを参加者のバックグラウンドと関係なく、とにかく何かやってみるということが行われていたと思うのです。シンガポールと日本というのはそういう意味で文化的なバックグラウンドをあからさまに出さないという意味で似ている国なのかもしれませんね。

ユエン:そうですね。それとシンガポールには多種の民族がいてそれぞれに伝統的な楽器があるので、一つの統一されたいわゆる国民的な音を見つけるのは難しいのです。しかしそれと同時に、一つの定義なしにすべてが共存するということはとても良いことです。

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