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国際交流基金アジアセンターは、アジアの人々の間に共感や
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シャンカル・ヴェンカテーシュワラン――インド・ケーララから世界を眼差す

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

ケーララ州トリチュールで受けた演劇教育

内野 儀(以下、内野):まず、シャンカルさんのご出身地についてお伺いします。インドのケーララ州のご出身ということですが、読者の方々はおそらく、ケーララ州について、延いてはインドについてもなんとなくしか理解していないと思われます。もちろん、インドが地理的にどこにあるのかは皆さんご存知でしょうが、インドの多文化性はそれほど知られていないようです。ご出身地について、そして演劇に関与するようになった経緯をお聞かせいただけますか?

シャンカル・ヴェンカテーシュワラン(以下、シャンカル):インドは文化的に非常に多様な国で、私の故郷はインドの南西部に位置するケーララ州です。歴史的に、この地域はインドの他の地域と非常に異なっています。例えば、ケーララ州はアラブ世界と非常に強い文化的つながりがあります。ケーララ州には西暦1世紀からキリスト教とユダヤ教が存在し、コーチン・ユダヤ人に加えて、さまざまな文化的背景を持つ民族が隣同士で共存しています。私はカリカット(コーリコード)と呼ばれる市の出身です。カリカットはアジアにおけるヨーロッパ帝国主義の皮切りとなった場所で、ヴァスコ・ダ・ガマも来航し、ここに上陸しています。これが私の故郷です。

内野:県の規模はどれほどですか?

シャンカル:人口は約55万人です。

内野:そうですか。どうぞ、お続けください。

シャンカル:銀行でマネージャーを務めていた父には3年ごとに転勤があったため、私はそのたびに転校しなければなりませんでした。いつも、常に移り変わっているような感覚がありました。ですから、子供の頃から今まで続いてきている関係とかそういうのが、私の場合、あまりないんです。結局のところ、カリカットに戻ってきて大学に入学しました。天体物理学に非常に興味があったので、物理学を専攻しましたが、ひどく失望しました。3年間の物理学課程の中で、天体物理学の講義は1章分の1回しかなかったのです。後は光学や熱力学や核物理学などで、私にとっては全く興味のない分野でした。そのため、いつしか演劇部に入り浸るようになりました。そして、徐々に演劇に対する興味が高まっていきました。それで、授業をさぼって、始終リハーサルを見学したり、戯曲を書いてみたり、演出しているところを見たりしていました。そんなことをしているうちに、単位が足りなくて、とうとう試験を受けられなくなってしまったのです。結果的に、大学を退学になりました。

内野:カリカットではどのような言語が使われているのですか?

シャンカル:地域の言語はマラヤーラム語ですが、私たちの演劇はマラヤーラム語、英語、ヒンディー語で行っていました。大学の演劇コンテストでは、英語とマラヤーラム語のものがほとんどでした。

内野:演劇仲間の方々の経歴はどのようなものですか? また、どういう内容の演劇を作っていたのですか? つまり、西洋近代劇ですか? それとももっと伝統的な演劇だったのでしょうか?

シャンカル:通常は、独自の物語の戯曲を書いて、オリジナルな演劇を上演していました。たまには、チェーホフの一幕物を上演したりもしました。これが出発点となったのです。

内野:先ほど退学になったとおっしゃいましたが、その後はどうされたのですか?

シャンカル:トリチュールに演劇の正式な学位を取得できる演劇学校がありました。私は単に素人レベルの演劇だけをやっているわけにはいきませんでした。きちんとした大学の正式な学位のようなものを取得して、両親を納得させなければならなかったのです。

内野:演劇を始めた頃、演技、演出、戯曲のどれを担当していたのですか? それとも、すべてを手掛けていたのでしょうか?

シャンカル:演技以外はほとんどすべてやっていました。幕を引いたり、物を運んだり……。

内野:なるほど!

シャンカル:最も興味があったのは演出です。

アジアハンドレッズのインタビュー中のヴェンカテーシュワラン氏の写真

内野:それで、トリチュールの演劇学校に入学したのですね。どのような科目を取っていたのですか?

シャンカル:そうです。そこには演劇学部がありました。つまり、これはカリカット大学の演劇学部です。メインキャンパスではないのですが、トリチュールに経済学部と演劇学部がある小さなキャンパスがあったのです。6学期の課程で、古代インドのサンスクリット古典劇に始まって、次にヨーロッパ演劇、マラヤーラム語の演劇、そして西洋近代劇などを学びました。

内野:それは学術的な講義ですか、それとも……。

シャンカル:実践の授業もありました。 学生は演劇を上演しなければなりませんでした。3本の卒業制作に加え、アビラシュ・ピライ*1 氏などの講師の下で制作に携わったりしました。同氏の作品のひとつ『サケータム』は、国際交流基金から招待を受けています。私もその作品の創造に関わりました。

*1 アビラシュ・ピライはインドの演出家。南インドのケーララ出身。デリーの国立演劇学校(NSD)、ロンドンのRADA などで演出と舞台美術を学ぶ。現在、NSDで教鞭を取っている。

内野:その作品は2001年に東京で公演されましたね?

シャンカル:そうです。東京と福岡で上演されました。

内野:私は公演自体は見逃したのですが、ビデオを拝見しました。非常にパワフルな作品だったことを覚えています。それで、その3年間の学部課程を修了されたわけですね。その後についてお聞かせください。