ASIA center | JAPAN FOUNDATION

国際交流基金アジアセンターは、アジアの人々の間に共感や
共生の心を育むため、様々な分野で文化交流事業を実施しています。

MENU

シャンカル・ヴェンカテーシュワラン――インド・ケーララから世界を眼差す

Interview / Asia Hundreds

インド以外での演出活動

内野:現在、他にもシンガポールで演出の仕事をしていらっしゃいますね。また、ミュンヘンでもいくつかの作品を発表されています。なぜこうした活動をすることにご興味を持たれたのですか?

シャンカル:どちらも間文化主義的活動です。また、そこに機会があったからです。訪れた機会は必ず活かすことにしています。私は機会を挑戦として受け取っています。

内野:ミュンヘンで作品を発表するには、ミュンヘンの観客やドラマトゥルクについて、またドイツの演劇や劇場の仕組みについて完全に把握しなければなりません。その辺に関してはいかがでしたか?

シャンカル:骨が折れました。

内野:どのような点がですか?

シャンカル:ディシプリンが違います。働き方が違います。プロ意識が高く、プロセスが非常に構造化され、制度化されています。単に劇場に行って、上演して、帰ってくるというようなわけにはいきません。

内野:ミュンヘンのフォルクス劇場で上演された作品の題名をお聞かせください。

シャンカル:最初の作品は『暗闇の日々(Tage der Dunkelheit, Days of Darkness)』というものです。2番目の作品の題名は『インディカ(Indika)』です。

内野:作品について少しご説明いただけますか?

シャンカル:シリアで、中東で戦争が起こっていたさなかでの制作でした。私はインドから欧州に行って活動をしていましたが、イプセンやシェイクスピアの作品を演出するのでは意味がないと感じました。インドの叙事詩を扱うべきだと思ったので、「マハーバーラタ」の一編を選びました。それは、民主主義確立のために非民主的な方法を適用するという正義に疑問を呈する古典劇です。

内野:これはインドの劇作家によって書かれたものですか?

シャンカル:そうです。バーサの作品です。古典です。紀元前2世紀から5世紀の間に書かれたものと言われています。

内野:そうですか。サンスクリット語で書かれているのですか?

シャンカル:サンスクリット語です。

内野:そうですか。

シャンカル:ええ。その後、ドイツ語で翻訳され、翻案されました。

内野:それが一つ目の作品ですね。二つ目の作品も同様ですか?

シャンカル:いいえ、二つ目の作品はメガステネスの記録に基づいて考案したものです。メガステネスは古代インドのマウリヤ朝を来訪したギリシャからの使者です。これは、国家、通貨、経済、カーストなどすべてを中央集権的に統治する考えが存在していた時代で、階層構造などすべてが制度化されていた頃のことです。メガステネスは、当時のインドの社会的変容を記した「インド誌」と呼ばれる記録を残しています。この記録は散逸してしまっていますが、歴史家たちによってその記録の要素が引用されているので、それを基に作品を考案しました。

内野:ドイツ人の俳優にはどのように対処したのですか? 彼/女らをどのように訓練したのですか? インド人の役を演じることに対する抵抗などはありましたか?

シャンカル:いいえ。非常に創造的かつ実験的なものを好む俳優たちで、新しいものを試したくて仕方ないようでした。

内野:なるほど。シャンカルさんの目から見た彼らの評価はいかがですか?

シャンカル:演劇に対する彼らのアプローチとディシプリンは、私のものとはかなり異なります。この相違にもかかわらず、一部の俳優は非常に優れていると思いました。そういう俳優たちとは、一緒に楽しく活動に取り組むことができました。私も彼らから非常に刺激されました。

内野:三つ目の機会があるようですね?

シャンカル:ええ。うまくいけばの話ですが……。

内野:インド関連の作品ばかりを演出していると思われませんか? たとえば、非常にエキゾチックな作品に感じたというような観客からの反応はありますか? ドイツの観客の反応はいかがでしたか?

シャンカル:確かにインド的な特質の要素はありますが、内容は現代の事象に関わることです。

内野:戦争や死ですね。

シャンカル:そうです。今日の社会における戦争や死、お金、経済などについてです。究極的には、今日の私たちについて語っているのです。その目的のために、過去の材料を活用しているにすぎません。昔の物語を伝えているだけではないのです。

内野:実際には、作品に多くのインド的要素を盛り込もうとしているのではないというわけですね。どのような音楽を用いたのですか? インドの音楽を使ったのですか?

シャンカル:インドの音楽は使っていません。二つ目の作品では、中国の作曲家にお願いしました。インド的な外観やインドの衣装も使っていません。台詞はドイツ語です。ドイツ人俳優のグループがインドの物語を検討し、今日のドイツにおける人生にとって、それがどんな価値があるか語り合うという内容です。

アジアハンドレッズのインタビュー中のヴェンカテーシュワラン氏の写真

内野:素晴らしいですね。今はシンガポールでクリエーションに取り組んでいるのですか?

シャンカル:そうです。

内野:どのような作品ですか?

シャンカル:イプセンの『わたしたち死んだものが目覚めたら』です。

内野:イプセンですか。ITI(Intercultural Theatre Institute、旧TTRP)の学生と一緒にクリエーションに取り組んでいるのですね?

シャンカル:彼らは最終学年の学生俳優です。劇団のようなものではないので、そこでは学習や知識共有、また実験的なものの理解に焦点が当てられています。

内野:10年前にご自身がそこで学んでいた頃に比べて、学生たちの感性やイデオロギーについて、何か変化が見られますか? 今の学生たちは何か違いますか?

シャンカル:どのグループにも変化が見られます。学生たちは年ごとに異なる講師の指導を受けているからです。伝統演劇だけは常に変わらず、そのビジョンもそのままのようですが、現代演劇の訓練課程は毎年変わるのです。

内野:学生俳優たちはどこの出身ですか?

シャンカル:シンガポール、マレーシア、インドです。

ケーララ州国際演劇祭芸術監督としてのプログラミング

内野:あと二つお伺いします。一つは、ケーララ州でシャンカルさんが2年間芸術監督を務めた演劇祭についてです。ケーララ州国際演劇祭(International Theatre Festival of Kerala)と呼ばれるこの演劇祭は、州政府の後援によるものです。最初の年となった2015年に、私もこの演劇祭を訪れました。そのときは、欧州からの作品が除外されていました。

シャンカル:ええ。

内野:この決定はシャンカルさんの考えによるものですか?

シャンカル:この演劇祭の歴史を通して見ていただければ気が付くと思いますが、初期の演劇祭は国民国家の境界によって定義されていました。最初の年は、南アジアの劇団と作品に焦点が当てられました。その次は、アフリカとアジアが中心の演劇祭でした。続いて、ラテンアメリカの演劇祭が開催されました。こうして演劇祭の名前が徐々に知られるようになると、欧州の文化組織が自国の作品を強く推薦し始めるようになったのです。そして、その後の3年間は、欧州から非常に多くの作品が招へいされました。

やがて、少しずつこうした状況に不満が溜まっていきました。欧州の文化組織はケーララ州の観客を真に配慮に入れずに作品を推薦してくるため、共感できない作品があまりにも多かったのです。しかも、こうした組織は、この地域をすでにツアーしている作品を推薦してくるのです。地理的に移動が容易であるという理由で。こうした作品を強く推薦されると、演劇祭の主催者側は拒否することができません。旅費を先方が負担するからです。ですから、推薦される作品が何であろうと受け入れるという状況になってしまいました。

この状況を改善するには、断固として拒否するしか他に手がなかったのです。では、どうするのか? 私にとっては、インドや諸外国における同時代の主要な社会的な変革と響き合っているかどうかが、重要なポイントでした。当時は、グローバルな文脈では、「アラブの春」が発生し、インド国内では右翼の台頭という問題がありました。私が芸術監督をつとめた最初の年は、チュニジアやレバノン、パレスチナ、エジプトに焦点を当てました。これらは、地理的には近くてもなかなか手の届かない国々です。英国やドイツ、フランスの作品を招へいすることは簡単ですが、レバノンやパレスチナの劇団にケーララ州で上演してもらうことは非常に困難です。その年は、その他に日本や東アフリカの作品を含め、スリランカのヴェヌーリ・ペレラや、シンガポールのチョイ・カーファイがパフォーマンスを披露しました。近くにある地域の演劇の傾向を演劇祭で示すことを私は目指していたのです。これが欧州の作品を拒否した理由です。たとえ困難でも、そうしなければならなかったのです。ヘレナ・ヴァルトマン*12 『メイド・イン・バングラデッシュMade in Bangladesh』も上演されました。

*12 ベルリン在住のドイツの演出家、舞台装置、振付家1993年から国際的に注目されはじめ、2003年ブラジルの振付家と制作した『ヘッドハンターズ』ユネスコ賞、2005年にはイラン人の女性俳優たちと制作した『テントランドからの手紙』の演出が反響を呼んだ。『メイド・イン・バングラデッシュ』は、伝統舞踊カタックダンスを使いながら、バングラデッシュにおける女性の工場労働の問題を扱った作品。

内野:2年後に芸術監督の職を離れられますね。2017~18年の演劇祭はどうなったのですか? アビラシュ・ピライ氏がまたその役職に就いたのですか?

シャンカル:共産党が再度政権を握りました。アビラシュは昨年芸術監督を務めましたが、今年になって状況が変わりました。私にとっては大変悲しい出来事が発生したのです。共産党政権になって、政府が芸術的プロセスを民主化しようとしたのです。そのため、演劇祭の芸術監督は3名になりました。さらに、政府によってテーマが決定されました。私にとって、これは大きな問題です。政府の決めたテーマは、「Theater of the Marginalized(社会的に周縁化された者)」です。演劇という語が単数形であるところに注意してください。そして、スローガンは、「Reclaiming the Margins(境界の再獲得)」です。政府がこの言葉を使う場合、その意味は非常に微妙です。「社会的周縁化」という言葉を使った瞬間に、大きな「分断」を作ってしまいます。俳優が舞台で社会的弱者を演じてはいても、実際にはある種の中心性を持ってしまっている。結果として、その周縁性が、解体されるのではなく、再刻印され、従来からのヒエラルキーがさらに強化されてしまう、というわけです。

内野:極度にポリティカル・コレクトネスですね。

シャンカル:そのとおりです。ポリティカル・コレクトネスです。

内野:いいえ、極度なポリティカル・コレクトネスです。それではうまくいきません。私はそう思います。

シャンカル:おぉ。そうですね。

内野:しかし、そのうち変わりますか?

シャンカル:さあ、どうでしょう。中央政府はひどくヒンドゥー教原理主義に偏っています。ポリティカル・コレクトネスの感覚など全くありません。だからこそ、ケーララ州政府は熱心にポリティカル・コレクトネスを掲げているのです。急進主義的な観点から見れば、これはポリティカル・コレクトネスではないわけですが、彼/女らの観点からはそれが「政治的に正しい」のです。そして、私たちは政治的に正しいことをしなければならないのです。