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シャンカル・ヴェンカテーシュワラン――インド・ケーララから世界を眼差す

Interview / Asia Hundreds

太田省吾作『水の駅』を手がける

内野:なるほど。それは非常に興味深いお話です。 シャンカルさんは太田省吾さんの作品を崇拝されていますね。そして、ついに2年前にご自身が演出された『水の駅』を国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT」で上演されました。なぜこの作品を選択されたのですか?

舞台作品の写真
『水の駅』(インド初演、2011年)
写真:Deljo Thekkekkara

シャンカル:シンガポールで学んでいるときから、私はこの作品をある程度知っていました。フィリップ・ザリリ*13 氏が作品を演出したときに、初めてこの作品に出会いました。私は舞台に参加はしていませんでした。デリーにいたとき、私は無言の作品を探していました。太田省吾さんの作品は私にとって難解でありながら、非常に興味をそそられるものでもありました。偶然ですが、『水の駅」に出演していた安藤朋子さんにデリーでお会いしました。安藤さんは国際演劇祭で上演される『KIOSK』に出演していたのです。

*13 フィリップ・ザリリ(1947~)は、アメリカ合衆国出身のインドの伝統演劇研究者・実践家・演出家。英米の大学で教鞭を取るかたわら、ケーララ州に長期滞在し、伝統的な武道や演技の技法を身につけ、自身の創作・研究教育活動の中心に据えている。

内野:なるほど。

シャンカル:私はテクストを読みました。それで、断片的ではありますが、テクストの大切な部分はある程度理解していました。ボイド眞理子訳の脚本では、「少女:安藤朋子」となっており、その後にこの文が続いています。「ほのかな明かりの中を少女が歩いてくる……」演劇祭のプログラム冊子に、Tomoko Andoの名前を見つけました。もしかしてあの安藤朋子なのだろうか、と思ったのです。それで、電子メールで連絡を取ったところ、彼女から応答がありました。こうして安藤さんとお会いすることになり、それがワークショップの開催につながったのです。安藤さんはケーララ州に来て、ワークショップに参加してくれました。こうしたことから、トリチュールで『水の駅』のクリエーションを開始したのです。私たちは広範囲にわたってインドをツアーしました。そして、太田省吾没後10年にあたる年に、再制作した作品が京都造形芸術大学で上演されました。

舞台作品の写真
『水の駅』(インド初演、2011年)
写真: Shoeb Mashadi

内野:太田省吾のこの作品にイデオロギー的な問題があると、私は思っていたので、そうした意味で、シャンカルさんの『水の駅』はとても興味深いと感じました。日本人が、ここでは母国語が日本語である人々という意味ですが、沈黙するとき、「私たちは皆日本人である」というような本質論的な感情を共有してしまっているのかもしれません。そのため、そこにはナショナリズムと「たこつぼ」礼賛的な非常に危険な罠が存在するのです。太田さんはそれをよく理解していました。晩年に『砂の駅』を作ったとき、彼は何か別のことを試みようとしていました。ベルリンでワークショップを開きました。異なる種類の身体を取り入れようとしていたのです。そして、それに成功しています。

私はシャンカルさんの作品をとても気に入っています。太田さんの作品を非常に異なるものに変容させているからです。太田さんはそうしたかったにもかかわらず、その手段を見つけることができませんでしたから、存命していれば太田さんはシャンカルさんの作品を高く評価したことでしょう。

シャンカル:インドの私たちの間では、それぞれの相違が原因で沈黙が生まれます。私たちを結び付けるものではなく、私たちを隔離するものです。たとえば、インドには24種類の言語があり、正式に認識されていない言語は1,000種類ほどに上ります。俳優たちはそれぞれに異なる言語を話します。出身地が異なるからです。こうなると、もう言語というものはないも同然です。共通性は何もありません。強いて言えば、共通点は沈黙のみです。これがナショナリズムにつながることはありません。

内野:全くそのとおりですね。

舞台作品の写真
『水の駅』(京都公演、2016年)
写真:守屋友樹

シャンカル:しかも、俳優たちが単一言語しか話せないというわけではないのです。大抵は複数言語を話せるのですが、それでも対話することが非常に困難です。そのため、必然的に英語で話すということになりますが、これもまたほとんどが英語が話せないという状況です。それに、インド英語は一般英語とは非常に異なります。ヒンディー語もありますが、私たちはあまり好みません。言い忘れたことがあります。内野さんが先ほどおっしゃったことですが、京都公演の後、私はずっと考えていました。太田省吾はより原理的だったのではないでしょうか。基礎的と言うか……。

内野:なるほど。しかし、「本質的に人間」は非常に危うい概念です。太田さんはそれをよく理解していたと思います。晩年、彼とよく話をしました。それが、太田さんが実際にプロの俳優に関わることを止めた一つの理由ではないかと私は考えています。彼は先に進む方法がわからなかったのではないか。そのため、彼はプロの俳優たちと作品を制作するのではなく、大学で教鞭を執るようになりました。画一主義的、国家主義的になってしまうことを恐れていたのです。つまり、本質主義になってしまうことですね。作品に普遍性を取り戻すことは非常に困難です。

あと二つお聞かせください。ジャングルの中に建設した劇場ですが、そこに電気は通っているのですか?

シャンカル:ええ。政府により単相交流で電気が送られていますが、再生可能な資源を活かせるように、徐々に太陽光発電にしていくつもりです。水は井戸を利用しています。

内野:井戸から水を汲み上げなければならないわけですね?

シャンカル:ええ。 近くに川もあります。

内野:野菜は栽培しているのですか? それとも食品は購入しているのでしょうか?

シャンカル:コーヒー、コショウ、カシューナッツ、バナナ、カルダモン、マンゴー、ココナッツなど、多くの植物を栽培しています。食品は購入しています。2キロほど離れたところに店舗があり、山を下るときに買い溜めしています。できる限り自給自足の生活をしようと思っています。

内野:政府からの助成金などは受給していないんですよね? 他に資金調達などはしていますか?

シャンカル:インド政府からの援助は受けていません。しかし、私のプロジェクトの一つに対して、ノルウェーの「イプセン劇場」から支援を提供されています。「Tribal Ibsen Project」というプロジェクトです。

内野:それは興味深いですね。

シャンカル:そのお陰で、各地をツアーしたり、人々に会い、活動して、居住したりすることができます。この土地で、コミュニティの若者から年配者までを交えて、作品をいくつか作りました。そうした作品をもって、遠いところではボンベイまでツアーしています。こうした活動はイプセンの奨学金によって支えられています。これとは別に、ミュンヘンなど欧州で活動し、その資金を使って劇場空間を作っています。