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エリック・クー&カーステン・タン――シンガポールにおける映画製作の系譜を紡ぐ

Interview / Asia Hundreds

シンガポールの特質と映画製作

滝口:地域的なコラボレーションといえば、クー監督は『Art Through Our Eyes』(2016)というプロジェクトを主導されています。これはシンガポールのナショナル・ギャラリーからのコミッションによって作られた作品でした。

クー:ええ。ナショナル・ギャラリーは2015年に設立されたのですが、その開館記念事業として幾つかプロジェクトが計画されました。その相談を受けた時、私は「ギャラリーの収蔵作品は全て東南アジアのものなのだから、東南アジアの映画監督にそこから一つの作品を選んでもらい、それを短編映画というメディアを使って再解釈してもらうというのはどうでしょう」と提案したのです。アピチャッポン・ウィーラセタクンやブリランテ・メンドーサといった、地域の映画監督たちもこのアイデアに熱心に賛同してくれました。ギャラリーが創造面では完全な自由を与えてくれましたので、私たちはやりたいことがやりたいようにできました。
今、HBO社と来年スタートする予定のホラー映画のシリーズに取り組んでいます。『Art Through Our Eyes』とは別の東南アジアの監督たちと組んで、それぞれの国でよく知られている怪物や幽霊の物語を映画化してもらうという企画です。

滝口:東南アジアにおけるシンガポールの立ち位置を、どのように見ておられますか。

タン:シンガポール人は英語環境で育つので、おそらく、最も海外にアクセスしやすい立場にあると思います。例えば、シンガポール国際映画祭は、自らを「世界が東南アジアの映画監督を発見するためのプラットフォーム」と位置付けているのだと思います。また、エリックも言っていましたが、東南アジアの映画人はある意味でとても親しい関係にあると思います。おそらく、東南アジアの映画産業の歴史が比較的浅く、今も発展途上で、大きなポテンシャルを秘めているからでしょう。私たちの間にはまだ仲間意識が残っているのです。

滝口:シンガポールの映画監督が海外に出て、現地のスタッフや俳優と仕事するようになっているというこの状況は、前向きな動きだと思われますか。

クー:間違いなく、そうだと思います。

タン:国の規模ゆえに、グローバリゼーションの考えを受け入れることはシンガポール人にとってほぼ不可避であると言えるでしょう。シンガポールの若者一般についてもそうですが、シンガポールの映画人に限ってみても、海外に出てシンガポール以外の地域でやってみようという強い好奇心があるのではないでしょうか。これは、シンガポール人にとってはとても自然なことなのです。

滝口:その場合、仕事をする場所の文化的特質に自分を適応させることが求められるのではないですか。

クー:シンガポールに独自の文化などありません。唯一、文化と言えるのは食べ物でしょうね。私たちはまだ若すぎる。赤ん坊なのですよ。

タン:伝統というものがほとんどない国の出身である私たちにとって、その時に存在する世界の文化を吸収するのはとても自然なことです。私たちは西洋の映画をたくさん見ます。タイや日本の映画もです。世界で起こっていることに適応していくというのは、私たちシンガポール人の天性のようなものです。

インタビューに答えるタン監督の写真

クー:幼い頃、テレビでよく『ウルトラマン』を見ていました。マレー語を話すウルトラマンでした。番組がマレーシア経由で持ち込まれていたからです。アメリカの『ガンビー』やイギリスの『マジック・ラウンドアバウト』も見ていました。シンガポールの子どもたちは、非常に国際的な環境で育つのです。
個人のアイデンティティも複雑です。言語について言えば、多くのシンガポール人にとって第一言語は英語です。しかし、3つの主要な民族が存在し、それぞれ固有の言語文化があるのです。シンガポールの特性は融合にあるといえるでしょう。その意味では、食べ物に加えて、シンガポールで話されているシングリッシュ、つまりマレー語や中国語の要素が混じった英語も、その混交という特質ゆえに真に私たちの文化であると言えるのかもしれません。カーステンが言っていましたが、私たちはスポンジのように吸収するのです。それは、ある意味でシンガポールの強みにもなりうるでしょう。

滝口:映画の上映会場とアート系映画を観る機会について、お尋ねしたいと思います。シンガポールでは、このような映画を見る機会は十分にあるのでしょうか。

クー:シンガポールでは、日本、韓国、香港、台湾よりも多くの海外作品が上映されるようになってきています。ショウ・オーガニゼーション社をはじめとするシンガポールの主要な映画館や配給会社が、相当数のインディーズ映画を上映しています。素晴らしいことだと思います。上映期間はたいてい1週間から2週間と短く、理想的とは言い難いのですが、さまざまなタイプの映画を見る機会はあるわけです。
これは、シンガポールがこの地域におけるテスト市場となっているためです。東南アジアの他地域に配給する前にここで上映し、どんな種類の観客をつかむことができるか調査するわけです。

タン:シンガポールの映画館のうち、例えば5%から10%ではシンガポール作品を上映するということになってくれればいいのに、と思いますね。

クー:もう何年もの間、シンガポールの映画製作者は、フィルムセンターを設立するために運動しています。英国映画協会(BFI)のような、人々が自国の作品をもっと見ることのできる上映施設です。シンガポール国際映画祭のような、より大きな組織と提携することもできるでしょう。いつか実現するといいのですが。

タン:すでにある映画館でも、可能な限り長い期間、アート系の映画を上映しようと努力してくれているところもあります。ザ・プロジェクターという映画館が代表例です。歴史ある映画館を改装して作られた、インディペンデント映画を上映する映画館です。ここでは今、シンガポールや東南アジア地域の作品を上映するための、より小規模なスクリーンを準備しています。

滝口:東南アジア映画はどうですか。

クー:シンガポール国際映画祭が東南アジア映画を見る機会を提供してくれていることは確かです。しかし、相当強い売りとなる要素がないかぎり、商業ベースで上映することは難しいと言わざるを得ません。

タン:アジア映画の保存を目的として、シンガポールを拠点として活動しているアジアン・フィルムアーカイブという組織があります。ここでも東南アジア地域の映画を見ることが可能です。自らの小規模な上映施設を持っており、アート系映画を上映しています。政府のサポートのおかげで、商業的な判断にさほど影響を受けないこのようなシネマテークが育ちつつあるのです。

インタビューの様子の写真

滝口:ややデリケートな問題かもしれませんが、検閲について伺いたいと思います。クー監督は、シンガポールの検閲に随分苦しめられたのではないでしょうか。

クー:ええ。先ほどお話ししたように、私の初期の作品『Pain』は上映禁止となりましたしね。でも、前進は見られると思います。もちろん、政府が敏感になっているトピックはいくつかあります。一つは宗教。もう一つは彼らが言うところの「道徳的に望ましくない生活スタイル」です。例えば同性愛がこれにあたります。一方で、シンガポールの方が他の国々と比べて規制が緩い部分もあるのです。例えば、日本では男性器が画面に現れることはありませんが、シンガポールでは勃起していない限り許可されます。単にM18(18歳未満には適さない)と指定されるだけです。

タン:そうなんですか? もうひとつ、政治もこうしたトピックだと言えますね。シンガポールの映画学校に通っていた時、最初の授業で、映画で扱ってはいけない事柄を教わりました。シンガポールの映画法(Film Act)についての講義があり、宗教や政治といったデリケートな話題については触れるべきではないと教えられます。シンガポールの映画製作者は、映画製作を始めると同時に、検閲システムに現実的に対処する方法を学ぶことになるのです。

滝口:まるで自己検閲の方法を教えられているようですね。

クー:しかし、それは創造性を発揮するモチベーションにもなり得ます。例えばイランでは、多くの規制があってキスシーンさえ許されていませんが、それでもイランの監督たちは非常にクリエイティブですよね。検閲は、私たちに対する挑戦です。いかにそれをかいくぐり、さまざまな要素をプッシュし、制約を押しのけるのか。そうした課題に向き合わざるを得なくなるのです。シンガポールの若い映画製作者たちは、かつては若かった私たちも含めて、こうした困難を乗り越えてきたのです。これは大変なことです。

タン:ただ、もちろん、理屈の上では作りたいものを作ることは可能です。作品が上映禁止になったり、M18やR21(21歳以上の成人向け)に指定されるかもしれないというだけのことです。もちろん理想的な状況だとは言えませんが、シンガポールで育つ者は、制限の中でどうやっていくかを学び取るのです。

滝口:検閲に関して、ポジティブな展開があったと思われますか。

クー:今はだいぶ良くなっていますね。2003年にロイストン・タン監督の『15』という作品をプロデュースした時、27か所カットするよう命じられました。ちょっとどうかしていましたね。しかし、今この作品を作るとしたら、カットしろとは言われないのではないでしょうか。

タン:映画界におけるそれぞれ違う立場の人々、例えばシンガポール・フィルムコミッションや映画製作者が、何らかの形でお互いに信頼しあえるようになることが大切だと思います。映画人は批判のための批判をしているのではないのだということを政府が気づいてくれるように望みます。映画は社会の鏡であり、我々が見ているものが未来永劫美しいままではないことだってあるのです。

滝口:最後の質問です。シンガポールの映画製作者育成ための鍵は何だと思われますか。

タン:公的な資金援助の継続ですね。シンプルで簡単に思えるかもしれませんが、その効果は絶大です。10名の映画作家を、誰が成功するのかわからないままサポートしてくれということですね。成功する者を予測することはできません。種を植えるようなものです。とにかく植える。そうすれば、10年後に何かが起こります。

クー:シンガポール・フィルムコミッションによる若手映画製作者のための助成金制度には非常に満足しています。コミッションのサポートがあれば、若手はさらに作品を製作できますし、もっと多くの賞を獲得できるでしょう。サポートがなくなってしまうと、彼らが世に出るのは大変難しくなってしまいます。

タン:エリックが先ほど言ったように、市場規模も重要な鍵の一つですね。シンガポールの映画産業はまだ真の産業と呼べるまでにはなっていません。この段階においては、政府のサポートは極めて重要なものです。

クー:例えばフランスは、自国の映画製作者をサポートするために、税制上の優遇措置をもうけています。これは映画を重要な文化だと考えているからです。この姿勢が鍵です。近い将来、シンガポールが同じような認識をもつことを期待しています。

タン:まあ100年以内には。

クー:そうでしょうね。

滝口:それよりも早く実現するように祈りましょう。

インタビュー後のエリック・クーとカーステン・タンの写真

【2017年10月27日 六本木アカデミーヒルズにて】

参考情報

エリック・クー (Zhao Wei Films公式Webサイトより)(英)

カーステン・タン公式Webサイト (英)

『ポップ・アイ』予告編


インタビュアー:滝口 健
ドラマトゥルク、翻訳者。1999年から2016年までマレーシア、シンガポールに拠点を置き、シンガポール国立大学よりPhD取得。数多くの国際共同制作演劇作品に参加。アジアン・ドラマトゥルク・ネットワーク創設メンバー、オンライン演劇アーカイブ『アジアン・シェイクスピア・インターカルチュラル・アーカイブ』副代表。エリック・クー監督『In the Room』(2015)では日本語翻訳を担当。 東京藝術大学非常勤講師。国際交流基金アジアセンター勤務。

写真(インタビュー):平岩 亨