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ジャールナン・パンタチャート―― バンコク同時代演劇界で最もアクティブで重要な演劇人のひとり

Interview / Asia Hundreds

演出家として:ジャールナン・パンタチャートの創造する世界とは?

中村:2015年の『ザ・テスト・オヴ・エンデュアランス』と、2015年に発表された『これは政治ではない / Ceci n'est pas la politique』が2017年に再演された時のゲネプロを拝見させていただき、 両方とも観客とのインタラクションが印象的でした。 例えば『ザ・テスト・オヴ・エンデュアランス』は、ジャーさんたち2名のパフォーマーが、タイの“伝統舞踊”を淡々と踊るなか、観客は自分で会場を出るタイミングを決めねばならない。終わりがないパフォーマンスです。ジャーさんたちは、観客全員が会場を後にするまでひたすら踊りつづける。会場を出ると、観客はマイクが向けられ応答せねばならない、という状況に追い込まれる。
『これは政治ではない / Ceci n'est pas la politique』も上演中に何度も観客に賛成か反対かと質問を投げかける形で、多数派の回答にしたがってゲームのように作品を進行させていく点が、特徴的でした。どういう問題意識で、このようなインタラクションを生み出す手法を採用されたのでしょう?

ジャー:この2作品は、2014年のタイのクーデターが発生した後に作った作品です。『ザ・テスト・オヴ・エンデュアランス』は、クーデターが起きていることが理解できない、という気持ちから作った作品です。タイでまたクーデターが起こってしまった、どうしてタイの歴史ではクーデターが繰り返されるのだろう、なぜタイ社会はそれを容認するのだろう、これが文化の一部であるかのように感じられているのはなぜか。「タイ的な民主主義」、という言葉がありますが、その意味も理解できない、という気持ちからこの作品を作りました。
観客が劇場を出るタイミングを自分で決めなければならないという設定は、観客がどれだけ状況に耐えられるか、どうしてここにいるのか、を問いたかったのです。
『これは政治ではない / Ceci n'est pas la politique』は、やはりその「タイ的民主主義」とは何なのか、という政治的・社会的な問題と深く結びついています。この作品は、人が消えてしまうこと、誘拐されること、家のあたりを歩いているときなんかに突然軍や政府によって拘束されてしまうこと、を語っている作品です。私は、特定の人や情報が消えていくことを見過ごす人間にはなりたくなかったので、観客にそれを投げかけて選んでもらうことにしました。なぜかといえば、社会に生きる私たちが選ぶことのすべてが、政治に影響すると考えているからです。たとえば、ある思想を選んでしまった人間を、社会にとって良くないので排除すべきだ、というタイ仏教的思想に賛成するのかどうか、とか。
最近でも、よく話されているのは、誰かを強姦したら死刑にするべきかという議論です。もし、それに賛成なら、私たちはひとりの人間が死刑になることを認めていることになる。そこで試しに観客に対して投票機会を与えてみて、その結果としてステージ上でなにかが消える。つまり、ひとりの人間や、一つのシーンが消えることになり、全体像がよくわからないものになる。この作品はいつ見ても内容が理解できない作品です。なにかが消えてしまう、これがタイ社会の現実を投影しています。

舞台『ザ・テスト・オヴ・エンデュアランス』のワンシーンの写真
『ザ・テスト・オヴ・エンデュアランス』
Photo by Withit Chantamarit
舞台『これは政治ではない/Ceci n'est pas la politique』のワンシーンの写真
『これは政治ではない / Ceci n'est pas la politique
Photo by Wichaya Artamart

中村:2014年の軍事クーデター*13 の後は、同じB-Floorのカゲさんも、BACC(バンコク芸術文化センター)の前に立って抗議運動をされた時期で、たしか学生の政治活動家が拘束されて、大学の先生などが闘っていました。『これは政治ではない / Ceci n'est pas la politique』は、2017年に再び上演しようと思ったのはなぜだったのでしょう。

*13 2014年の軍事クーデター
現首相プラユット・チャーンオーチャー陸軍司令官率いる国家平和秩序維持評議会(NCPO)が起こしたクーデター。デモ活動の禁止、言論弾圧、表現規制を強化し、多くの活動家、知識人を拘束した。

ジャー:2017年も結局社会は何も変わっていないからです。

中村:この2つの作品を通じて、「タイ的民主主義」と言われていたのが印象的です。「タイ的」とはどういうことなのでしょうか?

ジャー:私自身もよくわからない。
わからないけど、「タイ的」なものを生み出したいと考えている人たちの言動から想像するに、「善き人[コンディー]」と呼ばれる人がいて、その人たちが国を治めてくれる、ということなのでしょう。そこでその「善き人」を信じ、そういう賢い人の声のほうが大きくあるべきだというような考え方なんでしょう。わかりませんけど。理解できないのです、この思想が。そういう思想を信じる人たちがいう善き人、つまりここでは首相になりますけど、そういう人たちの「善」がなんなのか、疑問に思います。ただ全体としては非常に保守的な考え方なわけです。理解できないですね。

新プロジェクト:コレクティブ・タイ・スクリプト始動!

出版された戯曲の写真

中村:非常に混沌としたタイ社会にいて、その実態を探ろう、というアプローチが、ジャーさんの活動に繋がっていると思います。最近新たに始められたコレクティブ・タイ・スクリプトは、タイでこれまで同時代の「戯曲」が記録・出版されていない事への問題意識からスタートしたものだと。また、タイの大学の演劇学科ではシェイクスピアをはじめとする西洋の古典戯曲を学ぶわけですが、それに対して、自分たちの言語・物語を検証し発見していくことにフォーカスしていると聞いています。ようやく1冊目が出来あがり出版されたそうで、おめでとうございます!
今回の号は「マイクロ・ポリティクス」というテーマで3つの「戯曲」を収録しています。タイ現代戯曲の特徴とは何でしょう? ジャーさん自身にとって、どのような発見がこの制作過程でありましたか。

ジャー:制作プロセスでの発見ですが、「戯曲」を書いた人が演出家で時にパフォーマーでもあります。その人は、「戯曲」は読ませるためのものではなく、舞台で演じることを前提に「ノート」として書いている感じなのですね。なので、「戯曲」を本に収録するための編集がとても難しかったのです。実際に「戯曲」を書いた人を訪ね、戯曲の中にどのように演出を加えていくか、これは何を表象しているのかなどといった問いをなげかけました。ビデオを一緒に観ながら書き起こしていくこともやりました。さかのぼりながら作業をしていくような感じです。それから、翻訳には非常に苦労しました。タイ語の言葉は、曖昧な表現が多いのですね。それを英語にした時に、ぴったり当てはまる言葉がないことがあります。当初は、順番に翻訳していき最後に編集者が確認するつもりでいたのですが、うまくいきませんでした。そこで、翻訳者2人が共に作業して、私や戯曲を書いた人が同席したりして、言葉の意味の確認をしながら作業し、作者が望んだとおりに曖昧な意味を伝えられる言葉を探したりしました。文化的な文脈とか、言葉の文脈の検証もありました。

中村:翻訳の難しさについて具体的に教えてください。

ジャー:『A Nowhere Place』(プラディット・プラサートーン)*14 という作品では、数字が非常に多く出てくるのですね。仏歴*15 だったり、過去の歴史のいろいろな出来事を数字で羅列しているんですけど、その中のシーンに医者の診察を受けに行くシーンがあります。医者が年齢を聞くと、55歳、と答える。タイ語では「ハーハー」といいます。これジョークなんですけど、「ハーハー」は「ハハハ」っていう「笑う」のと同じで、笑う時にタイの人は「55」って書いて「ハハハハ」とするのです。その人が「55歳です、ハーハー」って答えると、お医者さんが「何を笑ってるんですか」と言う、そういうギャグのシーンがあります。これはタイ語だからおかしいのであって、英語では通用しません。five fiveとも訳せないし、「笑」、とも訳せない。こういう場合は、翻訳者が「これ訳せません、無理です」となり、他の言葉遊びにしたりしました。そのあとのシーンでは、数字が政治史と関係したりもします。

*14 プラディット・プラサートーン
同時代のパフォーマンスと伝統舞踊の形式を見事にあわせ取り込むことが高く評価され、第一回Silpathorn Awardを受賞。現在Anatta 劇団の芸術監督。バンコク・シアター・フェスティバルを運営するバンコク・シアター・ネットワーク事務局長。
プレゼンターインタビュー タイ版『赤鬼』が契機となったバンコク・シアター・ネットワーク

*15 タイで一般的に使われている年号。タイの仏歴では釈迦が入滅した翌年を元年とする。2019年は、仏歴2562年にあたる。

一緒に戯曲を読むジャー氏と中村氏の写真

中村: よくFacebookやLINEでも見かける「5555」ていうのは日本語でいうと「ウケる!」って冷やかしの意味なんですね。 タムさん(タナポン・ウィルンハグン*16 の「ヒップスター・ザ・キング」も、セリフはなくて字幕だけですよね。どのように「戯曲」として訳しましたか。

*16 タナポン・ウィルンハグン
ダンサー、振付家、演出家。2013年よりデモクレイジー・シアター・スタジオの共同芸術監督を務める。近作に国際演劇評論家協会タイセンターから3つの賞を授与されドイツと日本をツアーした『Hipster the King』(2004)、山本卓卓とのコラボレーション『幼女X』(2015)、カールスルーエ・バーデン州立劇場との共同製作『Happy Hunting Ground』(2006)など。TPAM2019では『The Retreat』が公開ワーク・イン・プログレス・ワークショップとして紹介された。

ジャー:コレクティブ・タイ・スクリプトのもう1人の共同発起人であるタナノップ・カーンチャナウティシット*17 が作品のビデオを観ながらいくつかの規則を見出し、書きおこしました。翻訳者のチームと私はそれを編集し、言葉や記号を用いながら全体をより確実なものに仕上げました。

*17 タナノップ・カーンチャナウティシット
バンコクを拠点に、主にドラマトゥルグ、プロデューサーとして活動する演劇実践者。2012年よりデモクレイジー・シアター・スタジオに所属。パフォーマー、プロデューサー、ドラマトゥルグとして同スタジオにて幅広く活動。かかわった作品に、『Boxes』『Hipster the King』『Happy Hunting Ground』『The Retreat』など。

中村:指示書みたいなものでしょうか?

ジャー:コードがあって、このコードだと役者さんはこういう動作をする、と決まっている箇所があるんですね。これも苦労しました、やっぱり。

中村:日本では岸田國士戯曲賞という戯曲賞の中で最も権威がある賞があり、岡田利規さんが審査員のひとりなのですけど、現代演劇を支えてきた作家が、戯曲とは何か、ということを話し合いながら、毎年若手の「戯曲」を選び、賞を与えるものです。そこでなされている議論は、たとえばダイアローグがないとそれは「戯曲」ではないというような物差しで岡田さんも苦戦しているそうです。そういう日本の議論のスタンダードから見ると、タイ・スクリプトはものすごくクリエイティヴで革新的です。「戯曲」の定義をどう決めたのですか。

ジャー:特にダイアローグの必要性もなく、戯曲形式は問いませんでした。今回は社会や政治が、アーティストや小さな存在の人々、ひとりの人間に与えた影響を描いた作品を選びました。作品の上演時期が、2014年前後のものにしました。これはその当時何が起きたかを記録したような本です。軍事クーデターが起こった時期に、演劇に関わる人間がなにをしていたか、私にはどんなことがあったか、演劇界を代表する声のようなものです。

中村:「戯曲」の出版は、後世に伝えること、出版後に他の演出家が手がけるということを前提として「戯曲」を世に出し、自立させる行為です。上演ではなくて、「戯曲」で社会に問う。未来へのメッセージとか、現代のアーティストに対して何か伝えたいことはありますか。

ジャー:後世のアーティストに影響を与えることまでは考えていないんですけれども、タイ語戯曲のアーカイブを目的にしています。そして、4つの戯曲を書いた人たちはみな、自分の書いたものを他の人が演じたらどうなるのか、早くそれを観たいと言っています。たとえば演劇を学んでいる学生が演じてもいいですし、プロの俳優が演じてもいいと思います。直接政治的なことがあまり書いてはいないものもありますが、創作のインスピレーションとしてとても面白いと思います。どれも様々な解釈が可能で、すごく曖昧な部分もあり、新しい視点で上演されることを願っています。

中村:せっかく英語版もあるので、海外でもこれらのタイ戯曲が上演されたら面白いですね! ありがとうございました。

アジアハンドレッズのインタビューを終えたジャー氏と中村氏の写真

【2019年2月10日、mass×mass関内フューチャーセンターにて】

関連情報

ウティット・ヘーマムーン×岡田利規×塚原悠也 『プラータナー:憑依のポートレート』/響きあうアジア2019 特設サイト

舞台『プラータナー:憑依のポートレート』トレイラー precog on Vimeo .


インタビュアー:中村 茜
株式会社プリコグ代表取締役・ディレクター。チェルフィッチュ・岡田利規、ニブロール・矢内原美邦、飴屋法水、神里雄大などの国内外の活動をプロデュース、海外ツアーや国際共同製作の実 績は30カ国70都市におよぶ。2009年一般社団法人ドリフターズ・インターナショナルを、金森香(AWRD)と藤原徹平(建築家)と共に設立。そのほか、『国東半島アートプロジェクト2012』『国東半島芸術祭2014』パフ ォーマンスプログラムディレクター、2018年より「Jejak-旅 Tabi Exchange: Wandering Asian Contemporary Performance」の共同キュレーター等を歴任。2016年アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の助成を受け渡タイ。舞台芸術制作者オープンネットワークON-PAM理事。

インタビュー撮影:平岩 亨