ASIA center | JAPAN FOUNDATION

国際交流基金アジアセンターは、アジアの人々の間に共感や
共生の心を育むため、様々な分野で文化交流事業を実施しています。

MENU

タウフィック・ダルウィス――インドネシアの新しい舞台芸術コレクティブ

Interview / Asia Hundreds

インドネシアの言語・宗教・国家

藤原:インドネシアというと、ワヤン・クリやガムランといった伝統芸能が盛んな印象が強いのですが、BPAFのプロジェクトは、そういった伝統芸能とどのような繋がりや距離を持っているんでしょうか。

タウフィック:伝統芸能に対してはもちろん拒否していないですし、楽しければ何でも取り入れたい。メンバーの中にそういった伝統芸能に携わる能力を持っている人がいれば、それを活かしていきたいですし。私自身、ワヤン・クリは大好きなので、伝統芸能から離れたいとは思っていないです。

藤原:では、伝統/コンテンポラリー、という対比で考えてはいない?

タウフィック:私たちにとって「コンテンポラリー」とは、形式に囚われるものではなく、どのように社会との関係性をつくるかということです。だから伝統であるかないかには特にはこだわっていないんです。

藤原:作品を創作する際に、言語は基本的にはインドネシア語ですよね?

タウフィック:インドネシア語です。ただ地方に行くともちろん地方語があるので、それを使う可能性はあります。

藤原:初歩的な質問なんですけども、インドネシア語は、ほぼインドネシアの全域で通じるものなんでしょうか。

タウフィック:インドネシア語は共通語として話せますが、普段はみんなそれぞれの地方語を喋っています。文法とかも全然違うんですよ。インドネシア語はもともと貿易用語だったから、母語だという感覚はあまりないかもしれないですね。

藤原:さっきプェンティンさんをマレーシアから招いたとのことでしたが、彼女はマレー語で書いたんでしょうか。それともインドネシア語?

タウフィック:コレクティブなので、彼女だけが書いたのではなくて、みんなで一緒にインドネシア語で書きました。

藤原:ということはつまりプェンティンさんは、聞き書きのワークショップをしたり、作品づくりをすることが可能なぐらい、インドネシア語を理解できると。

タウフィック:プェンティンはマレー語だけじゃなくて英語も使っていましたけど、そもそもインドネシア語はマレー語圏の市場や商取引の現場で使われていた言語なので、マレー語に近く、理解し合えるんですよね。

インタビュー中の藤原ちから氏の写真

藤原:なるほど…。日本で生まれた私のような人間からすると、隣国とのあいだに明瞭な言語の壁がない状況はとても興味深いです。日本では、言語の壁が国境であり、その内部は同質であるという認識がまだまだ根強いように感じるので。タウフィックさん自身は、インドネシアという国家に対してどういう帰属意識をお持ちなんでしょうか。

タウフィック:西ジャワの人たちはスンダ人と呼ばれるのですが、私自身はそのスンダ人で、スンダ語を喋ります。けれどもファナティックなスンダ人ではない。「私は西ジャワの人間だ!」という意識は特にありません。自分は地球市民だと思っているので。もちろんインドネシアをひとつの国だとは捉えていますけど、地元愛のようなものはそこまで強くないと思います。
インドネシアは本当に広い国でいろんな地域があるんです。東ティモールは独立しましたけれども、ジャワ島以外の外島と呼ばれる地域もあります。いろんな島に民族的な問題がありますから、全てが平等で平和というわけではないけれども、でも、「ひとつのインドネシア」という意識はあるんじゃないでしょうか。

藤原:イスラム教自体はとても穏やかな宗教だと私は感じているのですが、最近はファナティックなイスラム原理主義が台頭しつつあるとも聞きます。それについてはどう感じてらっしゃるんでしょうか。

タウフィック:特にこの10年ぐらい、イスラム原理主義が強くなっているのを感じます。政治的にもそうですし、ある権力者がイスラム的な行動を助長したりとか、そういう状況にはなっていますね。インドネシアのいろんな島々で舞台芸術をやっているアーティストたちと、そういった状況に対して反応する作品がつくれないだろうかと、今まさに話し合っているところです。

藤原:これは余談ですけど、この間とある人物が、「インドネシアは暗い」と言ってたんですね。それで私は、まだそんなにインドネシアについて知らないのですが、「ちょっと分かる気がする…。でもその暗さが好きかも」って答えたんですね。そしたらその人物に「君は、その暗さに食われるぞ!」って脅されたんですけど(笑)。抽象的な話になりますが、インドネシアに「暗さ」のようなものは感じますか?

タウフィック:どうして暗いと思うんですか?

藤原:その人物がどうしてそう思ったかはわからないのですが、私自身の感覚では、例えば真夜中までワヤン・クリを上演していたり、深夜にアザーンが聞こえてきたりして、そもそもインドネシア語の時間感覚(パギ=朝、シアン=昼、ソレ=夕方、マラム=夜)もそうですが、明るい昼間だけではない、いろんな層があると思うんですよね。その感じ、私はけっこう好きかもしれないな、と思っているんですよ。夜に食堂を覗くと、カウンターで黙々とコーヒー飲んでる人とかいるじゃないですか。その目というか、佇まいがすごく魅力的に見えて。何かしら引き込まれるものがあるんです。

タウフィック:確かにいろんなレイヤーがあるのはなんとなく分かりますね。ただ、暗いとは私は思っていなくて、むしろフルカラーなレイヤーだと認識しているんですよ。そういう幾層にも重なっているところが、インドネシアの豊かさじゃないかなと思っています。

舞台芸術のモビリティ(移動可能性)

藤原:先ほど、ご自身を「地球市民」だと認識されているとのお話がありましたが、今回、ネクスト・ジェネレーション*4 というプログラムに参加されていますよね。他のアジア諸国から集まった人たちと何日間か過ごされてきたと思うんですけど、その経験から、何を感じてらっしゃいますか。

*4 ネクスト・ジェネレーション(Next Generation: Producing Performing Arts:国際交流基金アジアセンターが主催。2016年から始まった、次世代のプロデューサーや制作者、プレゼンター、キュレーター、ドラマトゥルク、批評家など、アーティストや作品を観客や社会と繋ぐ若手を育成する事業。メンバーはいくつかの都市でキャンプを行い、最終的にTPAM - 国際舞台芸術ミーティングin横浜でプレゼンテーションを行っている。

タウフィック:私はそれほど英語が流暢でもないですし、コミュニケーションには多少難しさも感じましたけども、アジアの中の、コンテンポラリーな芸術を代表する人たちと出会うことができて、彼らと一緒にシドニー、インドネシアのジャカルタ・ソロ・ジョグジャカルタ、そして横浜へと移動してきました。そこで生まれた繋がりによって、私の今後の創作活動が豊かになっていくように感じています。他のメンバーとは背景にある文化も、作品を創作する上でのシステムや習慣もかなり違いますけども、ひとつのコンセプトを持って舞台芸術として作品をつくり上げていくプロセスには共通するものがありますし、また、扱う文脈にも共通する部分があると感じます。ネクスト・ジェネレーションでは、自分だけの独自の方法で突き進むのではなく、いろんな人とアイデアや考え方や方法論をシェアして創作に繋げていくことを学んでいます。とてもいい経験をさせてもらっています。

ネクスト・ジェネレーション事業でアジア諸国から集まった人たち
Next Generation: Producing Performing Arts 2018(ジョグジャカルタにて)

藤原:ネクスト・ジェネレーションも含め、今、アジアにフォーカスした動きが生まれていて、タウフィックさんもその渦中にいると言っていいと思います。私自身もそうかもしれません。この傾向は、私たち自身がそれぞれ多様なやり方で「アジア」を再発見・再構築していくためにとても重要なものだと認識しているのですが、一方で、ヨーロッパやアメリカのような他の地域で将来的に活動することは考えていらっしゃいますか? あるいは、アジア以外の場所についてどう思っているかをお聞きしたいのですが。

タウフィック:他のいろいろな国に行って、それぞれの場所と演劇との関係性を見てみたいと思っています。今興味があるのはインドと南米ですね。植民地時代の後、どのように発展していったかに興味があります。つまり、めっちゃ行きたいと思ってます(笑)。

藤原:ネクスト・ジェネレーションもまさにその象徴的な存在だと思いますが、今、舞台芸術のアーティストやプロデューサーのモビリティ(移動可能性)が非常に高まっていますよね。タウフィックさん自身も、バンドゥンのみならずジョグジャカルタも拠点と言えるのかもしれませんし、かなりフレキシブルなモビリティを持って活動されていると思うんですね。「移動する」ことについて今、感じることはありますか?

タウフィック:モビリティのことは私たちもすごく気になっている問題であり、課題でもあります。私はジョグジャカルタの劇団であるテアトル・ガラシに招かれて、いろんなプログラムを行っているのですが、そこではモビリティを重要なテーマとして掲げています。私自身も移動し続けていますし。ただ、移動しながらも、やっぱり帰る場所を求めてもいるんですよね。それは物理的な場所であったり、人であったり……。例えば、バンドゥンのカンプンから強制退去された人たちにしても、退去させられてもなお帰っていく場所を探し続けている。それは私にとってもひとつのテーマになっています。移動を余儀なくされる人もいれば、勾留されて移動を禁じられる人もいる。テアトル・ガラシの中では、私はそれらをテーマとして取り上げています。

藤原:テアトル・ガラシで携わるプロジェクトで、そういうテーマを掲げていると?

タウフィック:私はプロジェクトのキュレーターとしてテアトル・ガラシでいろんなことを行っているのですが、その中に「キャバレー・ハイリル」という企画があります。それはキャバレー・ヴォルテール*5 をもじって、ハイリル・アンワルというインドネシアの詩人の名前を冠したものです。舞台芸術に限らず、パフォーマンス・アートであるとか、ハプニングアートであるとか、いろんな要素を取り込んでいる企画なのですが、そのキャバレー・ハイリルで扱っているテーマがモビリティなんです。

*5 20世紀初頭、スイス・チューリヒにあったダダイズムの拠点。トリスタン・ツァラをはじめ、アーティストや亡命者たちが集まった。

テアトル・ガラシの舞台の様子
キャバレー・ハイリル
doc. Teater Garasi / Garasi Performance Institute / Kurnia Yaumil Fajar