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コ・ジュヨン――韓国と日本の舞台芸術交流のキーパーソン、芸術とそうでないものの境に身を置くインディペンデント・プロデューサー

Interview / Asia Hundreds

「演劇練習」、「安山巡礼道」セウォル号遺族とのプロジェクト

小倉:最近手掛けられた、セウォル号の遺族のお母さんたちとのプロジェクトについて教えてください。

:2018年に自分で立案した「演劇練習」というプロジェクトで毎年1本ずつ作っています。2018年は、チョン・セヨンさんというアーティストと『演劇練習1. 演出練習―クマ三兄弟』という作品を発表しました。彼はフランスでダンスと舞台美術の学校を卒業しています。ふさわしい肩書が思い当たりませんが、韓国ではパフォーマンス・アーティストと呼ばれたり、ダンス業界では振付家とも呼ばれたりしています。いわゆる振付を全くしていないのですが、ダンスの学校出身だからそう呼ばれるのだと思います。私が見る限りは、彼が行っていることは、一から演劇に違いありません。しかしなぜ皆、演劇と認めてくれないのかと。「演劇練習」という企画のなかで、彼が演劇演出の練習をするということが第一弾でした。

演劇練習の様子の写真
演劇練習1. 演出練習―クマ三兄弟
(C)popcon, Theater Practice Project

「演劇練習」の第二弾が、『演劇練習2. 演技練習―パフォーミング・パーソン』です。演技とは何か、役者とは何かという問いから始まったプロジェクトで、そこで私が役者として選んだのが、セウォル号の遺族のお母さん二人です。この人たちに演技をさせるのではなく、まず、お母さんたちに「これから死ぬまでにやりたいこと」を尋ね、その一つを実現させるのが『演劇練習2. 演技練習―パフォーミング・パーソン』の企画内容でした。このプロセス自体が舞台になり、そこで自分の夢を実現しているお母さんたちの姿そのものが演技になるというプランでした。お母さんたちのやりたいことは、一人は「YouTuberになりたい」、もう一人は「歌の先生」でした。歌の先生というのは、たくさんの人が集まっている場で皆を楽しませて、一緒に歌わせてくれる人のことです。

小倉:どんな歌ですか。

:演歌などです。一般の人たちが参加する歌のクラスで、見本を見せて、皆で一緒に歌いながら楽しむ場を作る、レクリエーション講師に似ているかもしれません。韓国にはそのような仕事があります。二人のお母さんは希望を実現しました。

小倉:実現したというのは、本当に今は歌の先生として活動しているのですか。もう一人はYouTuberとして活動しているのですか。

:歌の先生は資格制です。専門の先生から教えてもらい、必要な機械も買い、モバイルのスピーカーを買うなど準備し、舞台上で観客に歌を教える、振付を入れながら楽しんで歌ってもらうということをしました。舞台から1か月経ち、本当に資格を取得しました。3月からは自分のクラスを持つ予定になっています。YouTuberは、動画の撮影、編集、コンテンツの構成の仕方、YouTuberとしてのアティテュードなどについて詳しい人を先生としてつけ、初日の3日前にチャンネルをオープンしました。舞台上では、ひとつの動画はすでにアップされていて、それを紹介し、次に観客と2番目の動画は何にするかを相談して決め、その場で編集してアップしました。

小倉:二人ともすごい。

:事前の広報宣伝では、セウォル号遺族のお母さんたちが出ることは一切言いませんでした。どこにでもいそうなお二人の似顔絵が載っていて、「この二人が自分のやりたいことをやる」企画とし、作中でもセウォル号遺族とは直接言いませんでした。歌やYouTubeについて学ぶ様子を全部映像で撮りましたが、その中では話さざるを得ません。なぜYouTuberになりたいのかについて聞かれると、セウォル号の話が出てきます。「自分は亡くなった学生の本当の親ではなく、再婚して母になったので、周りからいろいろと言われてきた」など。そのような会話から彼女たちがセウォル号の遺族だと窺うことができます。このようなレイヤーで見ると、お客さまの中に何かが残るのではないかと思いました。作るプロセスもとても楽しかったです。

演劇練習の様子の写真
演劇練習2. 演技練習―パフォーミング・パーソン
(C)Tae Yang PARK (Botong Photography)

小倉:演出家は誰ですか。

:今回、TPAMに招へいしていただいているクォン・ウニョンです。

小倉:お母さんがやりたいことは、ほかにもありましたか。

:実際にスタートしたときに、お母さんたちはやりたいことがたくさんあり過ぎて、本当に何をしたいかを決めるのにとても時間がかかりました。YouTuberになったお母さんは、文章を書きたい、本を作りたいと言っていました。自分が産んでいない娘、その彼女との会話についての物語を本にしたいと。また、歌の先生になった方は、歌手になりたい、ラッパーになってアルバムを出したいなど。そこから現実的に考えて、自分たちが今できることでやりたいことは、歌の講師、YouTuberだと落ち着きました。そこから1か月半程度それぞれ専門の先生から習い、稽古もなしで小屋入りしてから構成しました。稽古をすると、やはり嘘になってしまうので、どのくらい嘘がなく行うことができるかという試みで、演出家からそろそろ脚本を書かなければいけないと言われても、私は脚本なしでお願いしますと言いました。

小倉:「演劇練習」という企画を立ち上げるときの問題意識は、既存の演劇への反発心ですか。

:そうです。「演劇」と認められている範囲が、少し狭すぎるのではないかと感じているので、「演劇」の概念を広げたいと考えています。批評の対象になっていないこのようなものたちも全部「演劇」だということを訴えたいと思い、始めました。あと、この頃からだと思いますが、舞台で嘘をつきたくない、嘘をつかないものをどのようにすれば作ることができるかを常に考えていて、最初の『演劇練習1. 演出練習―クマ三兄弟』は、結局、演劇は全部嘘だと宣言しているような作品になりました。演劇の場を広げたいのと、嘘をつかない舞台作品をつくりたいという二つの狙い、自分の中での目標がありました。

小倉:セウォル号遺族のお母さんたちと一緒に作品を作ったのは、2015年から2019年まで5年間継続されているプロジェクトの「安山巡礼道」のことも大きかったのではないかと思います。『演劇練習2. 演技練習―パフォーミング・パーソン』に出演された人たちともこのプロジェクトで出会われたと聞いています。「安山巡礼道」が始まることになった、セウォル号事故は、日本でももちろん大きく報道されましたが、韓国の人にとっては、とても大きな社会的課題を残しています。

:国民的なトラウマがあります。先ほど坂口恭平さんのプロジェクトのひとつが2014年のセウォル号事故の影響で中止になったとお話ししました。そのフェスティバルの会場が安山でした*8 。安山という都市が、250人の高校生が亡くなった都市になってしまいました。この野外フェスティバルが中止になり、翌年の5月に再開されましたが、事故後安山という都市が変わり、ここで何かをするのならセウォル号から目を背けられないと思いました。そのときに一緒に仕事をしていたユン・ハンソルさんなどと相談し、歩くことにしました。歩くのも1時間程度ではなく、本当に辛いほど歩きましょう、私たちはその程度しかできないだろうと。そして6時間歩くプロジェクト「安山巡礼道」が生まれました。

*8 安山ストリートアートフェスティバル:2005年に始まった、ソウルから南西に位置する京畿道安山市で毎年5月に行われる野外フェスティバル。ストリートや広場を舞台とした、演劇、パフォーマンス、ダンス、音楽の他、分野にとらわれない作品の公演を通して、市民の生活や物語を伝えている。

小倉:何キロメートルくらいですか。

:12から15キロメートルです。毎年少しずつ違います。

小倉:私も昨年一緒に歩きました。日本からは「悪魔のしるし『搬入プロジェクト』」が参加していました。遺族の家族、演劇関係者、コさんが別現場で関わっている人など、いろいろな人々が来ていたのが印象的でした。2015年から毎年行われているのですか?

:はい、毎年5月です。最初の4年間は野外フェスティバルから委嘱されていましたので、その機会に合わせて行いました。それぞれの年で内容や参加する演出家は変わります。1年目は私たちは怒りしかありませんでした。この怒りをどこへぶつけるか。安山は国が一から作った計画都市と呼べるようなところで、そのことがセウォル号に繋がったのではないか、それは必然としか考えられないというテーマで作りました。そのときは遺族の方々にこのプロジェクトについて話すことはできず、近づくこともできませんでした。いきなりやって来て、親たちの気持ちがわかりますよみたいなことになるのが嫌で、まずは自分たちで考えて、自分たちで創ろうということになりました。以降、朴槿恵政権でいろいろあって韓国の政治や社会の状況の変化もあり、時間が経って、私たちの記憶も薄まりつつあります。そのようなことを全部反映して、毎年、テーマが変わってきています。テーマによっては、歩くルートも変わります。3年目くらいからは応援メッセージを下さるなど遺族の方々との関係が生まれてきました。5年目になり、ついに遺族団体のサポートや何人かの遺族の参加がありました。そのような関係性があったからこそ、先ほどお話しした『演劇練習2. 演技練習―パフォーミング・パーソン』を実現することができたのだと思います。いきなり知らない人が行って、このようなプロジェクトを行いますので参加してくださいとは言えません。「安山巡礼道」から繋がって、ここまで来ました。

小倉:私が参加した昨年は、ツアーパフォーマンスとは言えない、とにかく歩くことが主になったものでした。

:1年目は、私がキュレーションして、多くのアーティストが集まりました。演劇からはユン・ハンソルさん(グリーンピグ)、キム・ミンジョンさん(ムーブメント・ダンダン)など、劇団が2つもありました。振付家兼演出家のキム・ミンジョンさんは、集団で歩くフォーム、俳優の配置などデフォルトを作ってくれました。あとは美術作家も3グループ、文学者もいました。最初は規模が大きく、5、6時間歩きつつ、常に何かが行われている感じでしたが、年々参加アーティストが減り、歩くことに集中していきました。いくら何を行ったとしても、プロジェクトの核心は、皆で一緒に長く辛く歩きましょうということですので、それでいいのだと思います。

小倉:みんなで一緒に歩いているのですが、そのなかに何か少し気になる人が何人かいました。私は韓国語がわからないので、休憩中などにどんな会話をされているのかも分からなかったのですが…。歩きながら、彼女たちが遺族の方々だと分かってきました。私とは違うもっと強い気持ち、何かを感じました。

:私たちが狙ったのは、一緒に歩きながら共同体になりお互いを見つめ合う、同じ景色をそれぞれの目で見ているけれどもそれぞれ全然違う感覚で受け入れる、そのようなことを考えていました。集団で歩くということは、この作品の捨てることができないポイントだと思っています。

安山巡礼道の写真1
安山巡礼道(2015)
(C)Sang Hyuk Park, The Collective for Camino de Ansan
安山巡礼道の写真2
安山巡礼道(2019)
(C)Sang Hyuk Park, The Collective for Camino de Ansan