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多和田葉子×プラープダー・ユン――Between Language and Culture(言葉と文化のはざまで)

Symposium / Asia Hundreds

言葉と文化的アイデンティティの間

プラープダー:アメリカに移住した時、私はもう15、16歳でしたが、今の自分が出来上がったのはその辺りの数年間だったと思います。そこで興味のある分野、尊敬するアーティスト、大好きな本や映画に出会いました。アメリカで本当の自分自身になれたんです。多和田さんも、ドイツに移住してから自分が違う人間になったように感じませんでしたか?

多和田:もちろんです。 ただ、私がドイツに渡ったのは22歳で、文学ではフランツ・カフカなどが好きだったのですが、そういった嗜好はかなり前からありました。私という人間が向こうで大きく変わることはありませんでしたが、文学や言葉との関係は変化しました。ドイツに行く前、私の主要言語は日本語でした。文化的にも言語的にも、日本人はあまり表現が豊かではなく、遠回りにものを言いがちです。私も日本語という、ある種の檻にとらわれていました。日本語は大好きですが、使える言葉が一つしかなければ、そこに自由はありません。他の何かと比較することもできませんし、思考もその檻の中だけに限定されてしまいます。そんな枠にとらわれることなく、言葉との関係性を築けることがわかったからこそ、私はドイツに向かいました。

プラープダー:そう思われた理由は? 文化の違い、あるいは言葉自体の特質でしょうか?

多和田:言葉だけです。例えば、ドイツ語なら何でもはっきり簡潔に表現することができます。それがドイツ語の好きなところですね。おそらく、自然科学の分野で使われている影響があるかもしれません。ドイツでは複雑な社会関係についても考慮する必要がなく、何かを言いたければ遠慮なく言えます 。日本語だと、たくさんのことを言ってからでないと要点にたどり着きません。

プラープダー:そうですね。ストレートには言えなくて、遠回しな表現でほのめかさなければいけないみたいな。

多和田:その通りです。単刀直入に「今は3時である」とは言えず、その代わりに「もう3時ですね」とか「3時だわ」と言います。話の核心はいつも、口にすることの向こう側にある何かなのです。この場合は「ああ、もう3時だわ、そろそろおしゃべりをやめませんか?」というニュアンスですね。

檻の中の自由

ティティラット・ティップサムリックン(以下ティティラット):多和田さんはある講演で、それぞれの言葉にはそれぞれの世界があって、私たちはある意味、自分たちが使う言葉にコントロールされているとおっしゃっていました。

多和田:ええ。言葉に社会が縛られることがあると思います。 考え方にも影響を与えますし、ある特定の言葉では、自分自身をそのコントロールからなかなか解放することができません。言葉には政治的影響、検閲も入り込んできます。国家や政府の検閲がなかったとしても、いくつかの言葉では、特定のことについて自由に表現することができません。

シンポジウムの写真 2

プラープダー:つまり、言葉が檻の中に閉じ込められる、という考え方に戻ると。

多和田:ええ。ドイツ語でも話しにくい話題はあります。例えばドイツでは、死についてあまり公然と口にすることはできません。しかし日本語だと、言葉遊びを日常的に取り入れるのはドイツ語よりも簡単です。それぞれ制約が違うんですね。私は二つの檻が欲しかったのかもしれません。完全なる自由はないにしても、二つの檻があれば、その両方を行き来できる自由が生まれます。

物語に応じた言葉の選択

プラープダー:小説を書かれる時に使う言葉は、どのようにして決めているのですか?

多和田:一つの物語を語ったり、具体的な物体の描写は日本語の方がしやすいです。短くて具体的、同時に抽象的な物語を書くならドイツ語ですね。おもしろいことに、ドイツ語だとシンプルな話をとても哲学的な内容に変え、抽象的な意味も持たせられます。例えばカフカも、彼が書く文章には常に抽象的な意味があります。

ティティラット:つまり多和田さんが書く時に使う言葉は、主人公の国籍や物語の舞台とは関係がないのですね?

多和田:まったく関係ありません。ドイツ人が主人公の本を日本語で書いたことも、その反対もあります。

プラープダー:最初に本を出された時から、両方の言葉を使い分けるつもりだったのですか?

多和田:私が決めたのではなく、自然にそうなりました。『ヨーロッパの始まるところ(Where Europe Begins)』なんかは、ドイツ語で書くことが自然に思えたのです。プラープダーさんもニューヨークにいらした頃、英語で何かを書きたくなりませんでしたか? 言葉に不安がなくなったからではなくて、いかにもアメリカ的な体験をしたからこそ、英語で書かなければならないと。

プラープダー:ええ、そうでした。でも、英語で書いたのは向こうにいる時でしたが、作家になれるとは思いませんでしたね。その時に自分が考えている何かを表現しなければいけない、そんな気持ちだけです。作家になる、それもタイ語はもちろんのこと、英語の作家になれるなんて考えたことは一度もありませんでした。だからこそ、二つの言葉を操る作家になろうという多和田さんの決断は、最初からそのつもりだったのかどうかが気になっていました。

多和田:私にとって、言葉はアーティストにとっての素材みたいなものです。木で作品を作るアーティストもいれば、紙を使う人もいる。それぞれが使いたい素材を選ぶわけです。作品に応じて言葉を選ぶこともそれと同じですね。

プラープダー:何が多和田さんをドイツにとどまらせているのでしょうか? 日本に住んでいてもドイツ語で書くことはできますし。

多和田:カフカやクライスト、シュニッツラーなど、私の大好きな作家が皆ドイツ語で作品を残していることは一つの理由ですね。つまりドイツ語は、私の文章や思考の基盤です。ドイツ語があまりローカルではないけれど、それほどマイナーな言語でないことも理由の一つですね。英語はあまりにも広く国際的に使われているので、私だけの特別な言葉みたいな、プライベートな関係性を築くことができません。でもドイツ語は特別です。敷居が高すぎることはないですし、国際的に使われている言葉でもあるけれど、誰もが話せるわけではありません。同じように、日本語も私にとっては特別な言葉です。この二つは、私だけの神聖な場所みたいなものですね。

プラープダー:長らくドイツで生活されていますが、今でも自分は外国人だと意識することはありますか?ドイツの人々は多和田さんのことをどう受け止めているのでしょう?

多和田:イエスでありノーでもあります。ベルリンはとても居心地がいいですしね。でも、ドイツ在住の日本人なので、こちらでは茶道や着物、寿司についてよく質問されます。日本にいれば、そんなことは誰にも聞かれませんけどね。常にそういったことを質問される立場なので、きちんと答えたいと思っています。ですからそんな質問に答えられるよう、日本の文化について勉強し直しました。外国にいる時のほうが、いわゆる「日本人度」が高まる感じです。