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「ベトナム進化形~ベトナム映画に何が起こっているのか?」現地レポート

Report/第26回アジアフォーカス・福岡国際映画祭
シンポジウムの様子の写真
登壇者(左から):グエン・クアン・ズン、ゴー・ティ・ビック・ハイン、ファン・ダン・ジー、ヴィクター・ヴー

第2次大戦後のベトナム映画の歴史は、南北統一以前に存在した北のベトナム民主共和国(首都:ハノイ)と、南のベトナム共和国(首都:サイゴン、現在のホーチミン)で異なる様相を呈した。当時は前者が共産主義映画の上映や国営映画を製作していたのに対し、後者は資本主義映画の上映や民間資本による商業映画を製作していた時代だ。しかし、ベトナム戦争終結後の1975年にベトナム共和国が消滅したことで、国内の状況は瞬く間に一変。統一後に建国されたベトナム社会主義共和国は、首都のハノイに映画局を置き、南の商業映画を国内から排除してしまう。これ以降、ベトナムは国営主導の映画製作を中心に展開されていくことになった。

だがその後、ベトナムはひとつの大きな転換点を迎えることになる。それは市場経済の導入と対外開放化を目的とした1986年のドイモイ(刷新)政策以降、国内が資本主義諸国の映画で溢れかえってしまったことだ。ベトナム映画の製作本数が激減したことに危機を募らせた政府は、2002年に文科省(現在の文化スポーツ観光省)が所管する形で、民間製作会社の設立を認可。このことはかつて南部で盛んだった商業映画の製作をふたたび可能にさせただけでなく、停滞していたベトナム映画界の興行形態に、新たな息吹をもたらしたのだった。

貧しさからの脱却 ―商業映画―

こうしたさなかに生まれた映画会社のひとつに、ゴー・ティ・ビック・ハインが設立したBinh Hanh Dan(BHD)がある。それ以前は妹と経営していた土産屋の少ない売り上げで生計を立てており、戦後20年を経た当時でさえも、豊かさとは程遠い生活水準だったと振り返る。この状況を何とか変えていかなければならない。幼い2人の子どもの母親でもあったハインは、経済や経営の勉強に独力で励み、1996年にBHDを設立。当時は民間による映画製作が政府から認められていなかったものの、テレビドラマの製作を中心とし、映画製作は国営会社の中に所属する形で開始する。その後BHDは、2002年の規制緩和を機に本格的な映画製作へ参入を果たし、現在は国内に47の映画館を持つ大手製作・配給会社として成長を遂げている。

ゴー・ティ・ビック・ハイン:とにかく私たちの世代は、この貧しい現状を何とか変えたいと思っていました。隣に座っている(グエン・クアン・)ズンのお父さんも作家で、私の父やその友人たちもみな作家やアーティストでしたが、当時は有名なアーティストであればあるほど、生活は苦しかったですね。それが今の映画界の状態であれば、作りたいものの目的さえ見失わなければ、生活に行き詰まることはないとわかってきました。そのための資金は必要ですが、今はそれを十分に用意することができる時代でもあるのです。
シンポジウムで語るゴー・ティ・ビック・ハイン社長の写真

『超人X.』*1(2014)を監督したグエン・クアン・ズンは、1990年代後半から2000年代の映画界について、自身の生活の変化とともに回想する。

*1 前年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭2015公式招待作品として上映された。

グエン・クアン・ズン:90年代だと、私は映画学校で映画を勉強していました。ただ当時ベトナム映画といえば国営映画しか上映されてなかったし、ベトナム戦争前にあった映画館は閉館しているか、ダンスホールに使われていたと思います。その後市場が民間に開放されたことで、2000年代には民間資本の映画が徐々に作られるようになります。たとえば2004年の『美脚の娘たち』(ヴー・ゴク・ダン)は、民間プロダクションのGalaxy Studioが南北統一後に初めて製作した商業映画です。私はこの映画に楽曲を提供しましたが、この経験はBHDで製作した私のデビュー作『Truong Ba's Soul in Butcher's Body』(2006)につながりました。こうした映画界の変化によって、私の生活もここ20年は安定していて、映画もどんどん作りやすい状況になってきていると思います。
シンポジウムで語るグエン・クアン・ズン監督の写真

ベトナム映画界の状況は、市場経済の拡大と新たな法制度の確立を背景に、ここ20年で急速な変化を遂げたのだった。そして国内のポストプロダクション(編集などの仕上げ段階、以下「ポスプロ」)にもより質の高い技術が導入され、製作される映画のジャンルは年を追うごとに増えているという。以前まではテト(旧正月)の時期に作られていた国営のコメディ映画も、現在では公開時期を問わず、さまざまなジャンルの映画が年間を通して製作されるようになったそうだ。