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Visual Documentary Project 2018 上映・トークイベント開催レポート

Report / Visual Documentary Project 2018

プンチャック・ドルに情熱を燃やす男たちを追いかけた『ザ・ファイター』

監督:M・イスカンダル・トリ・グナワン、プロデューサー:アリ・ミナント(インドネシア)

ドキュメンタリー作品『ザ・ファイター』 一場面の画像
『ザ・ファイター』2018 (C)UNICOMS Production
作品解説で語る監督とプロデューサーの写真
右:M・イスカンダル・トリ・グナワン氏
左:アリ・ミナント氏

次にインドネシアの武術プンチャック・ドルの競技に情熱を燃やす男たちを追いかけた『ザ・ファイター』が上映され、監督のM・イスカンダル・トリ・グナワン氏と、プロデューサーのアリ・ミナント氏が登壇した。「私たちは2人とも中部ジャワ出身ですが、この作品は東ジャワで撮影しています。映画の制作にあたり1年かけてインドネシア国内のリサーチを行いました。プンチャック・ドルはもともとは護身術として発展していきましたが、地方によって様々な戦いの仕方があり、それぞれの特徴、流派、文化があります。映画に登場するのはクディリという地方ですが、この地方ではリングを作りその中で戦うスタイルで、リングの中では敵であるがリングの外では友人という教えです。この地方は暴力とは無縁で、プンチャック・ドルを通して様々な社会問題を解決しています。」と語った。

山本博之准教授による解説

プンチャック・ドルという競技は、オランダ植民地時代から原型がありましたが、現在のような形で競技されるようになったのは1960年代半ばでした。1965年にインドネシアでクーデター未遂事件が起こって、その背後に共産主義者がいるとされて共産主義の関係者の大弾圧が始まり、一説には50万人~100万人が殺されたといいます。その時にクディリ地方の学校にも共産主義者が襲いに来るという連絡が入って、プンチャック・ドル創始者のマキシム先生が共産主義者を倒すために生徒を集めて戦ったそうです。ここで「倒す」というのは「殺す」という意味です。他の人たちは武器で殺したけれど自分たちは素手で殺した、と書かれた記録が残っています。その後すぐに競技団体が結成されてプンチャック・ドルという競技に発展していきます。作品の中で、プンチャック・ドルにはリングの上では敵でもリングを降りたら友達だという教えがあって、この教えを守っているためにクディリは平和なのだと言われます。しかし、プンチャック・ドルが生まれた裏側には、共産主義者に対する殺戮がぴったりと張り付いています。作品のテーマからは少し離れた関心になりますが、今もプンチャック・ドルの競技をしている学校の人たちや地域社会の人たちは、平和的な競技の成り立ちに暗い歴史があることをどのように受け止めているのだろうと思いました。

知られざるタイの軍人コスプレの世界を掘り下げる『コスプレイヤー』

監督:インシワット・ヤモンヨン(タイ)

ドキュメンタリー作品『コスプレイヤー』 一場面の画像
『コスプレイヤー』2014
作品解説で語る監督の写真
インシワット・ヤモンヨン氏
写真:佐藤 基

次にタイの軍人コスプレというサブカルチャーの世界を掘り下げる『コスプレイヤー』が上映され、監督のインシワット・ヤモンヨン氏が登壇した。軍服兵士コスプレをする人たちの始めるきっかけについて「最初に外見のカッコよさから入るのですが、その後に戦争の歴史を学び面白味を感じ、自分の学んだ歴史の一部に自分もなってみたい、というところからハマる人が多いようです。作品の中では米兵でしたが、軍服兵士のコスプレコミュニティでは色々あり、例えば日本兵やロシア兵が好きな人もいます。そういった仲間うちでは、どの軍服がかっこよくて機能性が高いかということが話題になります。」と語った。

山本博之准教授による解説

軍服兵士のコスプレをする人たちは、同じコスプレなのにコスプレ業界の中であまりよく思われていないようです。コスプレイベントに銃器を持ち込むのは禁止だと言われていましたが、それは口実にすぎず、本当は別の理由があって兵士コスプレが嫌われているようにも見えました。本当は兵士コスプレの何が嫌なのでしょうか。兵士コスプレをしている人の中には体が弱い人もいて、強いものや強い国であるアメリカに憧れる気持ちがあることはわかる気がします。ただし、彼らがしているサバイバルゲームをみていると、アメリカ兵の役の人が好き勝手に振る舞うのではなく、弱い人たちに手を差し伸べるストーリーになっています。彼らがどのようなストーリーを作るのか、どこまでがよくてどこからはだめなのかという許容範囲を考えていくと、兵士コスプレしている人たちがどのような物語に価値を置いているのかが見えてくるのではないでしょうか。

タイのラップ・カルチャーを紹介する『ラップタイ』

監督:チラカーン・サクニー、ウィチャユット・ポンポラサート(タイ)

ドキュメンタリー作品『ラップタイ』 一場面の画像
『ラップタイ』2018
作品解説で語る監督の写真
右:チラカーン・サクニー氏
左:ウィチャユット・ポンポラサート氏

最後に、ラップ・カルチャーが現代タイ社会にどのように定着し影響を与えてきたかを紹介する『ラップタイ』の監督であるチラカーン・サクニー氏とウィチャユット・ポンポラサート氏が登壇した。監督は「この作品の中でラッパーの一人が『ラップというのは走るのと同じですごく簡単な事。靴があれば走れるように、頭の中に言葉があればラップができる』と言っています。ラップは会話です。ラップは自由です。タイのラップは10年~20年ほど前からタイ社会に入り込んでいましたが有名ではなく、当時の社会では認められていませんでした。タイで近年ラッパーが有名になってきたのは、自分らしさを表現するということが認められてきたことと、率直な言葉遣いで政府や政治に対して挑んでいくところが評価されているからだと思います。ラッパーは金持ちになる必要はなく、とにかく一生懸命であればラッパーになれるんです。最後のラッパーのメッセージでは、ごみ拾いの人でも、タクシー運転手でも、精一杯何かを頑張れば何者かになれると言っています。」と語った。

山本博之准教授による解説

もともとラップは外来のものと紹介されていましたが、必ずしもそうではなく、タイにはラムタットという伝統的な男女の即興の掛け合いの歌があるそうです。地元のものや外来のものを含む様々な文化の中でタイのラップが発展しています。外来で新しいものだと思ったら地元に元々あるものと繋がっていたりとか、伝統的だと思ったら外来の要素が入っていたりとか、いろいろな境界を越えて交じりあって生まれているところがポップカルチャーの面白いところです。作品の途中でラップバトルがありますが、先ほどの『ザ・ファイター』の言葉にならって言えば、舞台の上ではラップで喧嘩するけれど舞台をおりれば友達だという関係になっています。この作品にはラップ作品がいくつも織り込まれていますが、あわせて全体が一つのラップ作品のようになっているとも感じました。この作品全体を1つのラップ作品として見たときに、表向きの言葉で語られるメッセージとは別に監督たちがこの作品に込めたメッセージはどのようなものでしょうか。