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世界でノマドするキュレーター、タン・フクエン×藤原ちから対談

Interview / TPAM2016

あなたのキュレーションが、常に「文脈」と合わせて観客に提示していることはとても重要だと感じています。 (藤原)

藤原:「演劇クエスト」は町を舞台にして行われるプロジェクトですが、そうしたサイト・スペシフィックなアートにまでフクエンさんの知識やネットワークが広がっていることを知って驚きました。あなたの関心領域は一体どれだけ広いもので、どこにフォーカスされているのでしょうか。例えば今回のTPAM 2016では、「タン・フクエン ディレクション」としてあなたはシンガポールのアーティストにフォーカスしました。なぜ「シンガポール」だったのですか?

フクエン:まず、今年はシンガポールが独立し、日本やその他の国々と外交関係を結んでから50年目となります。この例外的なことの多い若い国家を観察するのは、実に興味深いです。若い国家にも関わらず、奇跡的な経済発展を遂げ、そして多文化的にも調和している。国として安定しており、他の国々、特に東南アジア域内の国々からは、モデル国として目標とされています。短い歴史しか持たない小さな国が、不可能だと思われた多くの偉業を達成しました。私の言う「例外」とはそういう意味です。

ナショナル・アーツ・カウンシル シンガポールからの助成を受けたこともあり、シンガポールの様々なプロダクションを提示することで、世界の意識をシンガポールに向けるような企画を考えています。独立の年である1965年以降に生まれたシンガポールでインディペンデントな活動を行うアーティスト達を通して、シンガポールの歴史を見てみたい、そう思ったのです。

キュレーターとして、1965年以降に生まれたアーティスト達が、シンガポールから世界へと繋がるためにどのような戦略をとっているのか、理解しようと努めています。まだ答えは見つけられていませんが、作品を追うと、この小さな都市国家における複雑な市民権の問題や、より広い、国家の枠組みを超える世界と接続するために彼らが培った欲望や、コミュニケーション・ツールの数々を読み解く方法を見出せるかもしれないと考えています。

作品の写真

ダニエル・コック / ディスコダニー(シンガポール)&ルーク・ジョージ(メルボルン)『Bunny』
Photo: Bernie Ng

 

作品の写真

SoftMachine: Expedition チョイ・カファイ(シンガポール) Photo: Choy Ka Fai

藤原:「ポスト1965年」のインディペンデントなアーティストといっても、当然、世代的に幅は広いわけですよね。例えば今回のあなたのプログラムの中で、チョイ・カファイとダニエル・コックは日本でも既に何度か紹介されてきました。彼らが素晴らしいアーティストであり、日本の観客にも少なからぬインパクトを与えうるということは、既に証明されています。しかしホー・ルイ・アンはまだとても若い20代半ばのアーティストです。彼を連れてくるのはチャレンジだったのでは?

フクエン:チョイ・カファイとダニエル・コックは日本でも既に知られていて、ふたりとも1970年代生まれです。ホー・ルイ・アンは1989年生まれで、いわゆる「デジタル・ネイティブ」と美術史の世界で呼ばれている世代に属しています。この10年の間で美術の方法論は変化してきています。

Solar: A Meltdown』でホー・ルイ・アンは、パフォーマンス・レクチャーという形式を用い、学術的論考の発表のみならず、観客の前で演じながら無名であり続ける方法も実践しています。彼が一体何者であるかは不明のままなのです。まるで、得体の知れないネット市民が美術館に出かけ、答えを求めてウィキペディア内へ飛び込み、YouTubeから映像を取り込んだように。それらから得た情報を用い、歴史そして現在からのイメージや痕跡を結びつける論法を構成していきます。彼自身の主体性から成り立つ物語に、それら全てを紡いでいきながら。

彼がこのパフォーマンス・レクチャーで取り上げる議題は、ポスト・コロニアルの歴史や映画における表象の問題から、今日のグローバル資本、労働、そしてジェンダーの状況にまで及びます。ペーター・スローターダイクの影響により得た視点で、彼はこの複雑な世界をナビゲートしていきます。「エアコンの効いた(人為的温室としての)国家[1]」として知られているシンガポールに留まりながらも、直接的な体験を求めて、自らの論評を展開していくのです。これは、彼の世代の特徴であり条件でもあります。ある種の喪失感―距離があるがゆえの―を経験し、その視点から世界を把握しながら、情報に満ちた世界、そして情報としての世界の中で交渉しているのです。無限な情報の流れとしてのメディアではなく、歴史の生成装置としてのメディアそのものを客観的に捉え、「クリティカル・メディア」と向き合おうとしていると思います。

作品の写真

ホー・ルイ・アン(シンガポール)『Solar: A Meltdown』

藤原:日本人の観客は、彼がシンガポール人であるということは情報としては知らされています。しかし、「シンガポール人とは何か?」ということについては知らない。人種についても歴史についても。もしかすると、日本がシンガポールを1942年に侵略したという事実すら忘れているかもしれない。この歴史に関する知識のギャップは、日本とシンガポールに限らず、他のアジア諸国との間でも痛感することです。だからあなたのキュレーションが、ただ芸術作品を見せるだけでなく、常に文脈(コンテクスト)と合わせて観客に提示していることはとても重要だと感じています。

ところで、『Solar: A Meltdown』では、「汗をかかないエリザベス女王」がユーモラスに描かれていましたね。女王はこの作品において比喩的に「太陽」と結びつけられている。日本の観客の多くはもちろん天皇のことを想像したでしょう。太陽と天皇のメタファーといえば、アレクサンドル・ソクーロフの映画『太陽』がよく知られていますし、ホー・ルイ・アンからもあの映画は既に観たと聞きました。しかし『Solar: A Meltdown』において、あなたと彼は、直接的には日本の文脈へのアダプテーションを行わなかった。そうできたにも関わらず。それは意図的ですか?

フクエン:『Solar: A Meltdown』に内在していて土台となっているポスト・コロニアリズム的批評性についてのお話だと思いますが、これが自分達に対する批評でもあると判断するかどうかは、日本の観客の受け止め方次第です。直接的な表現は上手くいかない場合もあります。言葉にすることが難しい問題については、その周辺から言及してゆくことのほうが、対話の余地を生み出してくれる洗練された方法かもしれません。

インタビュー中の藤原氏とフクエン氏の写真

まずアイディアに惹かれ、それから、そのアイディアをどのように作品に仕上げてゆくのかを考えます。(フクエン)

藤原:ホー・ルイ・アンもそうですが、チョイ・カファイ、ダニエル・コックなど、あなたが紹介してくれたアーティストはとてもクレバーに見えます。シンガポールには賢いアーティストがゴロゴロいるのでしょうか? 私は他国、例えば韓国やフィリピンでも賢いアーティストに会いました。しかしシンガポールはまた独特だと感じるのです。

フクエン:都市国家としてのシンガポールに話が戻ります。まだ50年しか経っていないのに、このような短期間でなぜ多くを達成することができたのか? それは、日本や韓国と似ていて、教養人や有識者を育てることを重要視する社会なのです。しかし、他のアジア諸国と違い、ご存知のように、私達は資源を持っていません。水さえも。私達は都市的感覚を培いながら育ち、ものとしての世界と環境全体に対する直感を欠いています。物的資源へのアクセスも限られています。もの作りという意味において、マテリアルを用いる技術は、本質的に弱いのです。私達は、起業家、金融社会の仲介人、グローバルな港湾都市など、移り変わる空間としての役割において、経済政策で成功を収めてきました。それらは全て、手による生産ではなく、頭脳によるロジックを必要とする非物質的な労働です。

そのような状況はシンガポールにおける美術の実践やアーティスト達にも影響を与えているため、私達はコンセプチュアルなアプローチを取ることが多いのです。作品の制作と完成よりも、思考方法が重視されています。例えばチョイ・カファイはアジアの様々な地域を歩き、コンテンポラリー・ダンスについてのデータを位置づけ、純粋な情報として集めてきました。最終的にそれで何をするかは未定のままですが。シンガポールの65年以降の世代は―知性的というと少し大仰ですが―アイディアに向かう傾向にあると思います。私達は、まずアイディアに惹かれ、それから、そのアイディアをどのように作品に仕上げてゆくのかを考えます。

作品の写真

ジ・オブザバトリー(シンガポール)『Continuum』 Photo:Bernie Ng

ジ・オブザバトリーの『Continuum』は、シンガポール人にとって馴染みのある、しかし詳しくは知られていない伝統楽器ガムランを取り上げています。ジ・オブザバトリーは、ガムランの本場である近隣国、インドネシアと繋がろうと試みました。インドネシアでのレジデンシー中、師匠の下で、ガムランについてできる限りを学び、その上で異なる手法や角度からガムランに取り組んだのです。師匠と同じ技法ではなく、違うルートを模索し、彼らの音楽(ポスト・パンクやエレクトロニック・シンセ)とアナログ楽器であるガムランとの対話を作り出そうとしたのです。これは、シンガポール人が自らの好奇心とどう向き合うかを示す好例だと思います。ある意味、うまいアプロプリエーション[2]です。ある場所に出向き、できる限りその場に溶け込み、影響されながらも、完全に他者に染まることはない。まさにその同じ知識を吸収しながらも、それを変容させ、まぎれもない作家性への方法を生み出そうとするのです。

[1] AIR-CONDITIONED NATION by CHERIAN GEORGE

[2] 過去の著名な作品を、自身の作品に取り込むこと

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