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世界でノマドするキュレーター、タン・フクエン×藤原ちから対談

Interview / TPAM2016

どのような希望を、肯定的な行動を、またはオプティミズムを、劇場から世界に向けて発信できるでしょうか?(フクエン)

藤原:なるほど。今回のTPAM 2016では、今お話にあったジ・オブザバトリーの『Continuum』に加えて、タラ・トランジトリーakaワン・マン・ネイションの『//gender|o|noise\\』もあなたはキュレーションされましたね。これらは音楽のライブパフォーマンスでした。トランスジェンダーのアーティストであるタラ・トランジトリーについてもお話しいただけますか?

フクエン:シンガポールの社会は、様々な差異が上手に管理され、とても安定しているように見えますが、タラ・トランジトリーは、一個人が異性愛規範といかに交渉できるか、ということを示してくれる一例だと思います。彼女の作品は、音を生産するだけではなく、彼女自身の意識をすっかりシャーマンとしての姿に具現化させることで、彼女が抱える矛盾や苦悩を解こうとします。演じるというカタルシスを通して、音波の振動の中に極限的な「自我」を出現させるのです。社会的な差異と音が交わるこのパフォーマンスを通して、彼女は「シンガポール的条件」をずらしていくのです。

作品の写真

タラ・トランジトリー aka ワン・マン・ネイション(インターナショナル)『//gender|o|noise\\』 Photo:Miriam de Saxe(2015)

藤原:あなたは日本のアーティストの作品も観ていますよね。今の日本の演劇やダンスについて、何か思うところはありますか?

フクエン:日本の現代舞台芸術を見ていると、東日本大震災のトラウマや不安定な国際情勢を受けて、若いアーティスト達が生きることの儚さ・脆さを問うというシフトが確実に起きていると思います。80年代や90年代の安定感や構造が大きく崩れ始めているように見え、未来に対する不安も強く感じます。なにか大事なことを言いたい者は、古い行動様式に対する抵抗を示しながらも、未だに未来に向けての具体的な提案をできずにいます。今は問い、推算している時です。そういう中で、演劇がオプティミズムを表現するようになることを私は願っています。現状の困難をただ受け入れるのではなく、問いの結果として、どのような希望を、肯定的な行動を、またはオプティミズムを、劇場から世界に向けて発信できるでしょうか?

藤原:今のあなたの言葉を日本の若いアーティスト達にも届けたいと思います。きっと彼らはそこに何かしらシンパシーを抱き、勇気づけられることでしょう。

ところで、もちろん劇場は魅力的な空間ですが、最近では劇場の外で上演されるサイト・スペシフィックな作品も増えています。これは世界的な傾向でしょうし、日本においてもそうです。残念ながら日本ではまだ充分に批評的言説が成熟している状況ではないですが、とはいえこの傾向は一過性のものではないでしょう。なぜ外に向かうのか? それは、人々の生活やコミュニティ、価値観や精神、都市の構造、歴史、音、不可視な水脈、偶然のハプニング…。といったものに出会いたいという人々の強い欲望が存在し、芸術がそうした様々な要素を結びつける触媒となりうるからだと思うのです。

フクエン:パブリック・パフォーマンスや、市民的行動や交流の中に舞台を作り出すことは、実は新しいことではありません。いわゆる「舞台」と呼ばれるものの形態を複数化し、建物内であれ外であれ、日常の様々な空間へと広げるべきです。本当は、今回のTPAMでも市内でのパフォーマンスを毎日実施したかったのですが、横浜ではいつ雨や雪が降るのか予測ができず、リスクが高すぎるので断念しました。なぜブラック・ボックスの中で人工光を頼りにしなければならないのか、いつも疑問に思います。舞台の枠組みの外へ、より多くの人々の流れを作れるよう、関係性を重視した活動を始めようと考えています。

藤原:今日はシンガポールの話を聞かせていただきましたが、フクエンさんにとってシンガポールは生まれ育った国ですよね。もしよろしければ、「故郷=ホーム」としてのシンガポールについて、あなたの個人的な想いを聞かせていただけないでしょうか。

というのも、今や日本にも、複数の拠点を持ったり、ノマド的に移動しながら活動するアーティストがいます。いや、実は近代以前から流浪の芸人はいましたが、また別の形で姿を現してきたのです。アーティストだけではありません。特に東日本大震災の後、やむなく故郷を離れた人もいますし、自ら移住を選んだ人もいます。私自身、東京での20年におよぶ生活に区切りをつけ、数年前に横浜に引っ越しました。環境を変えることは不可欠でした。そして横浜を気に入ってもいます。けれども、もっと大胆な移動が、今後の人生に待ち受けているような気もするのです。実際、あなたが縁を繋いでくれたフィリピンは、既に私の人生や記憶にとって大切な土地になりつつあるんですよ。

他にも様々な都市で、母国を遠く離れて暮らしている人に出会うことがあります。「誰と、どこで生きていくのか?」これは私にとって重要なテーマです。日本でもきっと多くの人がそのことを考え始めています。とりわけアーティストは移動することを宿命づけられており、様々なアイデンティティを着脱しながら、その旅を続けていくことになるでしょう。あなたもそうだと思います。しかしそれでもなお、あなたにとって「故郷=ホーム」があるとしたら…。その正体は何でしょうか?

インタビュー中の藤原氏とフクエン氏の写真

フクエン:私は、自分はシェイプシフター(形を変容させる者)だと思っています。国家、故郷、そして所属という複雑な概念に向き合うため、暫定的ですが、自ら課した状況です。国家、故郷、所属はそれぞれ異なった概念です。何かを共有できるコミュニティなど、どこに属するかは、母国とは限りません。故郷に住むことは大きなリスクを伴うかもしれないのに、そこに属し、一時的なコミュニティを作る場合もあります。あなたが故郷と呼ぶ場所は、もしかしたら生まれた国でない場合もあるでしょう。ある国に生まれたことにより引き継ぐアイデンティティを、その国の状況や言説に賛成しないという理由で、人生のある時点で否定することもあるかもしれません。私はこの3つの概念がどのように接続し、あるいは矛盾するのかを問うプロセスの中にいます。それらを横断して存在するための、複数の方法を探しているのです。

生きることを通して、私は物語を作っています。私が語ることができる物語は、誰のためのものか、そして誰とそれらをシェアできるのか。基本的に、自我が単一であるという考え方に私は抵抗していますし、同時に、国家主義の罠に対しても疑問を感じます。ルーツやアイデンティティが、互いにどのような意味を持つのか、問い続けています。一見とても不安定なものに見えるかもしれませんが、自らの立ち位置と自分自身の感覚を探し出したとき─その瞬間こそが、所属できる場所なのです。

藤原:確かな拠りどころがなく、不安定さを増す世界の中で、どうやって生きていくのか。問い続け、探し続けていくしかないけれど、今日はそのための勇気をいただいたように感じています。有難うございました。

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