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「アジアの未来」作品賞受賞『孤島の葬列』ピムパカー・トーウィラ監督インタビュー

Interview / 第28回東京国際映画祭

危険と隣合わせの撮影での葛藤の連続

――『孤島の葬列』を制作する中で、最も興味深かったことは何ですか?

トーウィラ:この映画の撮影の中で最も大変で、最もやりがいがあったのはパッターニ県での撮影です。当時、パッターニ県は武装勢力のいる危険地域とされており、私たちはこの場所に行くべきかしばらく悩みました。私の口からパッターニ県で撮影を行うつもりだとスタッフや出演者に伝えたところ、皆恐怖に陥ってしまい、私が決断を下した後も本当に行けるかどうか悩みました。私自身は、何度も現地に足を運んで調査を行ってきたので、実際にどんな場所なのか熟知していましたし、現地に撮影協力してくれる知人もいました。しかし、現地を訪れたことのない彼らはニュースで流れる恐ろしい情報や写真、映像が唯一の情報源だったので、それは怖かったと思います。この不確かな状況の中で、私たちは彼らを安心させるためにある決断をしました。もし現地で何か起きたときに誰が責任をとるのか、ということが焦点だったのですが、最終的にスタッフと俳優たちに判断を委ね、彼らは現地に行くことを自ら決断しました。

撮影現場に入ってからも、恐怖心との葛藤の連続でした。場の雰囲気が彼らの恐怖心を煽っていたのだと思います。撮影を始めるのも一苦労で、彼らは焦燥感に駆られていたので、一つの撮影が終わるとすぐに別の場所で撮影を行うといった感じで、もう全てが試練でした。また、撮影するうちに町の人々の注目を集めてしまったので、中心地からなるべく離れた場所へ撮影地を移動し、普段人が足を向けないサイブリ地区にも行ったのですが、安全を心配して警察隊や軍隊まで撮影地に駆けつけてくれました。だから、当時、あの場所で撮影できたことが私にとって一番大きかったですね。最初は誰もが無理だろうと思っていたことが結果的に成し得たのですから。実現させたいという気持ちが私たちをあの場所に連れていき、撮影を実現させました。例えば、マスジド・クルーセでの撮影もチームで臨んだからこそ叶いました。この経験は、どんな困難なことでも実現できるのだという確信につながりました。

写真1

「アジアの未来」授賞式にて、ピムパカー・トーウィラ監督(左から3番目) (c)2015 TIFF

――監督がこの作品を通して一番伝えたいこととは何でしょう?

トーウィラ:タイが抱える問題は、南部地方の情勢不安だけではありません。ほかにもバンコクの政情不安やイサーン族の問題など、この国には多くの問題が山積しています。そして、このような問題に直面したとき、私たちがしがちなのが、何かを生み出して、共生や平和、和解によって問題を解決しなければならないとでっち上げることです。しかし、これは必ずしも現実的とは言えないですし、私たちは無意識にこれが解決策なのだと受け止めてしまっているのかもしれません。

この作品で描いていることは南部で起きている問題だけでなく、あらゆる問題に当てはまることだと思います。問題が起きたら別の世界を作れば良いというものではありません。それでは何も解決しません。真に問題を解決するためには、現実的な解決方法を模索し、社会全体で問題を解決する方向にもっていかなければなりません。まるで何事もなかったように、理想的な世界を作り上げれば、問題を完全に解決できるわけがないですし、個人の幻想的な思い込みにほかなりません。しかし、実際にこういう傾向の中で、人々が本当の問題に気づいていないのが現状なのです。

南部の問題にしてみても、私たちは結局アウトサイダーなので、この問題の前では無力だと気づかされます。だから、私たちはこの映画をアウトサイダーとして作りました。私たちはこの問題の真相を完全に理解しているわけではないので、インサイダーとして、如何にしてこの問題を解決すべきか、どうやって平和的な共生を築くかということを語りません。あくまで私たちはアウトサイダーであり、現地の事情を理解し得ないことがありますし、この映画ではそのことを伝えたいと思っています。もし全ての問題を解決したいならば、こうあるべきだという理想を掲げるだけでなく、現実問題を現実的に受け止めることが必要なのです。