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国際交流基金アジアセンターは国の枠を超えて、
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秘境の地から世界へ、ラオスの今

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

ラオスでの演劇活動について

―ラタナコーン・インシーシェンマイさん(トーさん)の率いる劇団カオニャオは、生活の場にある日用品や廃品を使いながら演じる「オブジェクト・シアター」のカンパニーですね。元来フランスで生まれた技法に、万物に魂が宿ると信じるラオス人の世界観を取り込み、ラオス流の独自の演劇空間を生み出しているようですが、どういう活動を目指しているのですか?

ラタナコーン・インシーシェンマイ(以下、トー):カオニャオは2008年に誕生しました。「人形劇とオブジェクト・シアター」を掛け合わせ、ラオスの文脈に沿った形式を生みだしてきました。マニラでの「メコン・アーツ・ラボラトリー2010」を皮切りに、これまで、カンボジア、タイ、ベトナム、シンガポール、日本、韓国、フランスなど、外国で多くの公演やコラボレーションをしています。国内では各地でワークショップを行っています。ダンスや演劇など他のパフォーミング・アーツ分野とのコラボレーションも試みています。ラオスの古典舞踊や伝統的な影絵劇も、現代の文脈に取り込んで再生させたいと思っています。

―トーさんがこの道に進んだきっかけをうかがえますか?

 ネズミのパペットを持ってインタビューに答えるトーさんの写真

写真:山本尚明

トー:父、ルートマニー・インシーシェンマイが、サーカスや喜劇に出演するパフォーミング・アーティストでした。私は学校の成績が悪かったので、進学しないで、父がやっていたサーカス・クラウンになるためのワークショップに応募してみたところ、受かったのです。でもクラウンは、観客から「頭がおかしいみたい」とか「予定調和だ」と嘲笑されていると私は感じていて、それがいやでした。だから今までとは違うこと、何か新しいことをやってやろう、と自分で決めていました。新しい笑いを生みだしたいと。実際、今は子ども達に本気で笑って楽しんでもらえる仕事ができるようになって、本当に幸せです。
しばらく父と一緒にサーカスをやっていたのですが、フランスのTurakというオブジェクト・シアターの一座と出会いました。父はフランスでオブジェクト・シアターを学び、ラオスに戻って人形劇団「カボーン・ラ―オ」を立ち上げました。ラオスにオブジェクト・シアターを初めて紹介したのは父です。私も学び、一緒に各地で公演をするようになりました。

―自分も「カオニャオ」という、ラオスの主食の「もち米」を意味する名前のカンパニーを興したのですね。

トー:オブジェクト・シアターを始めたら、なぜだか評価をいただき、フランス、ポルトガル、スイスなど海外公演をする機会が巡ってきました。世界にある色々な演劇の形に触れて、それが発想と考え方を広げてくれました。海外公演をしていたら、自分の劇団をやりたくなりました。そこでカオニャオを立ち上げたのです。
フランスの公演ではクラウンをやり続けることも多かったのですが、そのうち日本人のマイム・アーティスト、あさぬまちずこさんと出会いました。彼女のラオ語名は、ラオの国花であるプルメリアにちなんで「チャンパ(ラオ語でプルメリアの意)」というのですが、ラオス人とオブジェクト・シアターをやりたいと言ってくれました。私と彼女で「チェオボン」(チリソースの意)というユニットを結成し、『ぼくらの森には』という作品をつくって1ヶ月間の日本公演をやりました。

―同じころ、フランスの劇団とのコラボも行っていますね。

トー:はい。最初は『Broken Dream』という少女の人身売買についての作品で、タイに出稼ぎに行って家計を助けようとした15歳の少女に起きた実話をもとにしています。その後、以前から交流のあったフランスのピバ(Teatr Piba)という劇団と共同で『Metamorfoz』を製作しました。これは、衣装、照明、台詞などもしっかりした規模の大きい演劇作品ですので、普段やっているスキットのようなものとはだいぶ様子が違いました。ちゃんとした舞台を、フランス人とラオス人で共同作業する試みでした。
一方で、サワナケートなどラオスの地方部でオブジェクトを使ったワークショップをしたり、障がいのある子ども達とのワークショップも行っています。

―乾燥したヤシの実と布を使ってネズミに扮して、ごく近くにいる観客にちょっかいを出す演技。ラオスはラオ語に不自由な少数民族も多いし、有効なコミュニケーション・メディアですね。子どもに対するアピール度も高いと感じます。

  ネズミのパペットを被ってみせるトーさんの写真

写真:山本尚明

トー:通常、観客と掛け合いながら演技を即興で柔軟につくりだします。サーカス・クラウンというのは、主に身体の反射的な演技ですが、オブジェクト・シアターでは頭脳を駆使しなくてはなりません。同じ身体にふたつの主体が宿っているような感じです。頭、感情、動きを同時に使って、コミュニケーションをしなくてはなりません。身体の条件反射だけでなく、要素を組み合わせて全体を統合しながらの表現なのです。イマジネーションを鍛えられます。クラウンの演技のように「正解」「失敗」があるわけではないのです。

 

制作、マネジメントの現状

―劇団の運営について聞かせて下さい。

トー:主要なメンバーは5人で、主にマネジメント、会計、助成金の申請など、制作の仕事を担っています。現場は10人ほどです。カオニャオは民間会社として登記されています。活動のほとんどはアメリカ大使館、フランスの文化機関、日本国大使館、スイスの開発局からの支援で成り立っています。公演のほかは、演劇ワークショップを地方で開催していますが、企業から協賛を得ています。まだ歴史が浅い組織なので、外部からの支援に頼っています。

―外国の支援で運営していくことについて、どう考えていますか?

トー:いつまでも頼りたくはありません。最初は支援されていること自体が自分達の評価につながるのでいいのですが、いつかは自分達の劇場を持ち、一般のラオス人にチケットを売って、地元で持続可能な活動にしたい。いつまでも海外支援に依存したくはありません。とはいえ、ラオスの文化環境が成熟するまで少なくともあと5年はかかると思います。自律的な経営までには、長い目で見なくてはなりません。

―外国との仕事が多いようですが、言葉の問題、コミュニケーションはどうですか?

トー:2011、2012年頃、初めてフランスのピバと仕事を始めた時期、私はフランス語がまったくできませんでした。ニースに長期滞在しても、言葉がわからないので、座っているだけ。ラオスに帰国してからアンスティチュ・フランセでフランス語の勉強を始めました。今は40パーセントくらいわかるようになって、ひとまず十分です。
この世界に入って15年。ラオスの外の世界を見る機会をもらったので、その体験を持ち帰って祖国に伝えたいと考えています。ラオス全土にいる若い人達に演劇を学んでほしい。それが一番です。古典的なスタイルならラオスに訓練校はたくさんあるけれど、新しい実践を学ぶことは大事です。例えば、きちんとした舞台照明。海外のショーを見たスタッフが観察して学び、本国でまねて実践しています。かつてはNational Spoken Troupeのスタッフなどロシアやベトナムで勉強した人達もいました。でも結局、ちゃんとした電球だって手に入らないのだから、資金不足の問題は大きいです。
日本だったら、技術面でここまでやらなくては、という水準は決まっているのでしょうが、ラオスの観客はちゃんとした照明かそうでないかの判断ができない。今の私達のレベルで海外の大きな舞台でやるのは、たぶん無理です。ラオスでは、フランス文化センターや国立文化会館、美術大学などの舞台を使っていますが、照明や音響は不十分です。ですが今後、パフォーミング・アーツ界が成長を遂げて、舞台裏の技術者をやりたいという人が増えてくることに期待します。まだまだですが。国際交流基金が今後、こういう技術面をサポートしてくれるといいのですが。