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『閉じ込められた『彷徨』―パンデミックと移動と特権と―』 インタン・パラマディタ/太田りべか 訳

Essay / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(インドネシア)

閉じ込められた『彷徨』―パンデミックと移動と特権と―

小さな仕事部屋の床はもう拭き掃除を済ませ、埃も食べ物のカスもなく、衣類はすべてスーツケースに収まった。明日、朝7時に飛行機でヒースロー空港からシドニーへ飛ぶ。窓の外には青く晴れた空が広がり、その下の街には車の姿はなく、一人か二人、やや急ぎ足で歩道を歩いている。ロンドンがいつもと違って見える。いきなり静まり返り、あまりに清潔だ。アパートの中にいても、隣のスリランカ料理屋から漂ってくる刺激の強い料理の匂いに悩まされることもなくなった。料理屋は休業中なのだ。

今回の旅はこれまでとは違う。2週間前に新型コロナウイルス感染症COVID-19の世界的パンデミックが正式に発表された。ロンドンの町全体がはじめて閉鎖され、スーパーの棚は空っぽ、トイレットペーパーは希少品になって、私の航空券もいつキャンセルになるかわからない。ディストピアをテーマにしたコンピューターゲームのキャラクターになったみたいな気分だ。ミッションはただひとつ、帰ること。でも途中で何が起きても不思議ではない。

このコンピューターゲームのキャラクターは、無事家に帰り着けるのか、それともゾンビに噛まれてしまうのか?それに続くスリル満点の一連の出来事をここでお話ししたいところだ。ヒースローで朝5時からほとんど動かない列に並んだり、係員に私の法的ステータスを疑われて飛行機に乗れなくなりそうになったり、人気のない静まり返ったドーハ空港で、乗り継ぎ便目指して息を切らして走ったり、機内があまりに満員で、乗客たちが通路越しでさえほとんど肩が触れ合うほどくっつき合って座っている中で、感染するんじゃないかと怯えたり。でもその話は、また別の機会にしよう。少し時間をさかのぼって、どうやって私がここまでやって来て、萎んでしまった希望を抱えてロンドンを去ろうとしているのか振り返ってみよう。

2019年、私は赤い靴の冒険を書いた小説『Gentayangan(彷徨)』のための旅を計画していた。今となっては、この小説はまるで過ぎ去った世界の遺物も同然で、インドネシアで初版が出たのがBC(Before Covid:コロナ前)2017年、ニューヨークからジャカルタ、アムステルダムを経てシドニーに至るまでの移動暮らしの中で9年をかけて書いたものだ。第三世界の一人の女性が悪魔と交渉して冒険するための赤い靴を手に入れ、停滞した閉塞的な状況から脱け出すところから物語が始まり、読者はその先々の分かれ道で話の行き先を選べるようになっている。私にとって『彷徨』は、旅と移動することについて、グローバル世界で国境を越えて移動する人、立ちはだかる壁や塀に絶えず直面し続ける人、宙ぶらりんの状態、そしてどんな仕組みが私たちを突き動かすのかについて思いを巡らしたものだ。2020年にこの小説の英語版『The Wandering』がイギリスで出版されたとき、第三世界の女性の冒険と、越境や不均衡や権力に対する疑問をめぐるこの物語は、いきなり妥当性を失ってしまった。世界中が国境を閉ざしている中で、どうして旅に対する批評などできるだろう?

英語版『彷徨』が出版される1年前、私はイギリスの出版社ハーヴィル・セッカー/ペンギン・ランダムハウスと話し合って、この本をその名のとおり彷徨させる計画を立てた。私の勤め先であるシドニーのマッコーリー大学からも学術有給休暇を取って、この本のために2ヶ月間のツアーを行えるようにした。また、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院の研究者仲間の一人に連絡を取って、ロンドンにいる間、学院の客員研究者となれるように手はずを整えた。イギリスでの滞在許可や宿泊先や研究計画を含めて、あれこれと手間のかかる準備を済ませ、出版社が飛行機のチケットと、ロンドンとエディンバラでのいくつかのイベントの手配もしてくれて、ようやく2020年2月の終わりにロンドンに到着した。ジャカルタにいる父はあまり賛成してくれず、電話をかけてきて言った。「なんでわざわざ海外になんか行くんだ?コロナウイルスがもう中国から外に出てきたんだぞ!」父はいつもどんなことに対しても大げさなので、私は聞く耳を持たなかった。

感染者が急激に増えてきていたとはいえ、3月のはじめはまだ誰もが平静で、肉体的な接触に関しては躊躇するようになってきてはいたものの、努めて今までどおりに振る舞おうとしていた。ウォーターストーンズ書店で開かれた英語版『彷徨』をめぐる最初のイベントでは、私はイギリスのイベント主催団体ペンクラブの女性の友人とハグを交わした。あまり離れていないところに立っていた彼女の同僚は、戸惑っているように見えた。

「握手してもいいのかなあ」と彼女は言った。

結局、彼女もにっこりとして私と握手をしたけれど、社会の状況は混乱し始めていた。

数日後、私の文芸エージェントが小規模なパーティーに誘ってくれた。パーティーの主催者と握手をした後、私は相手に気づかれないようにハンドサニタイザーで手を消毒した。ウイルスを恐れてロンドン・ブックフェアが開催取り止めになったことで、がっかりしたエージェントもいたけれど、このパーティーの主催者はロンドン・ブックフェア抜きでもクライアントたちと会うと言って譲らなかった。「たとえウイルスがあっても、やっぱり人生を楽しみたい。人間を閉じ込めることはできない」と。

2020年3月11日、WHOが新型コロナウイルス感染症は世界的パンデミックに至っているという見解を正式に発表すると、もう迷いも抵抗も消え失せた。イギリスでの私のイベントはすべて中止となり、私が執筆や研究をしていた東洋アフリカ研究学院も閉鎖された。私は体調を崩し、父と同じく妄想に駆られるようになった。たくさんの人と握手をしたせいだろうか?

ここは新しい世界で、誰もがもう握手もできなくなってしまったのだろうか?(残念なことに、二つ目の妄想的疑問の答えは「イエス」だ。)

私は自主隔離をし、予定を早めてロンドンを去ることにした。あちこちに連絡もした。航空会社にも、大学関係者にも、インターナショナルSOSにも。出発2日前に航空券がキャンセルされた。ドバイ経由の国際便はもう飛んでいないという。私の担当編集者が飛行機のチケットを探すのに手を貸してくれた。真夜中まで互いに電話し合って、閉ざされた国境をなんとかこじ開けようとした。香港経由はだめ、シンガポールも入り口を閉ざしたばかり、バンコクは通過可能だけど証明書がいる。結論だけ言うと、何度かチケットがキャンセルされたあげく、なんとかシドニーに帰り着くことができた。そこで隔離され、動けなくなった。私の小説も閉じ込められてしまった。

パンデミックの数週間前、『ガーディアン』誌などいくつかのメディアが英語版『彷徨』の書評を掲載したけれど、その後はすっかり鳴りをひそめてしまった。世界中が病気と新しい生活様式と格闘中で、誰もが家の中に閉じ込められているときに、旅についての小説は場違いに見えた。

2020年を通して、英語版『彷徨』についての書評や記事があちこちに掲載されていたけれど、いつもこういう注釈つきだった。「この小説はパンデミック以前の世界を描いている」あるいは「どこへも行けずにいるときに、この小説はわれわれをファンタジーに誘ってくれる」。あちこちのインタビューで、私はどうしてコロナの時代に旅の話をするのか説明しなければならなかった。出版されたばかりの小説が、とたんに賞味期限切れになってしまったのだ。妥当な立場にないときは、いつも以上に自分について説明する必要に迫られるものだ。

今、英語版出版から1年以上が経って、『彷徨』は、外へ出て行けないときに旅のファンタジーを届ける鎮痛剤ではないことに気づいた。パンデミックの時代に、この小説の土台となっている疑問のすべて——誰がそして何が、家の壁という境を越えて動いていくことができるのかという疑問——は、今もなおつきまとってくる。

テクノロジーは、物理的に移動することができなくても、私たちを世界と繋ぐ手助けをしてくれる。ここ2年間で、私は仕事机の前を離れることなく、スコットランドとドイツと香港の文芸フェスティバルにスピーカーとして登壇した。会議に出席したかと思えば、ディスカッションに参加したり、さらにはオンライン・フェスティバルを視聴したりと、1日のうちに何度も空間を移動できる。友人のひとりは、パンデミックの時代に入ってから、むしろネットワークを広げる機会が増えたと話している。それと同時に、忙しさが増したせいで、私的空間と仕事の空間との境の壁がますます薄くなったと嘆いていた。何もかもが家庭という環境の中で行われるようになったからだ。バーチャルな旅は、飛行機に乗らなくても時差ぼけを引き起こす。

けれどもこの手の機会や苦情は、いかにも都会の中産階級的だ。難民や庇護を求める人々にとってパンデミックと国境の閉鎖は、単に家から出られないとか、以前よりも家で忙しくするようになったとかいうことではなくて、宙ぶらりんの状態が膨張し続けることを意味する。難民にとって時間は刃なのだ。人権擁護活動家で元庇護申請者だったベフルーズ・ブーチャーニは、著書『No Friend but the Mountains(山々よりほかに友はない)』の中でこう書いている。「待つことは時間の牢獄の中での拷問メカニズムだ」。法的ステータスがはっきりしないまま、難民たちはインドネシアのような通過地点にある国に閉じ込められ、そこで年を取り、子どもたちは大人になっていく。パンデミックは無駄に過ぎていく1秒1秒をいっそう苛烈に切り刻んでいく。

小説『彷徨』の中で、二人の女性がビザを持たずにアメリカ合衆国からメキシコへ渡り、国境の壁に阻まれて二度と戻れないことを思い知らされる。国境の壁はグローバル化に反するというより、それを支えている。このシステムは、一握りのエリートのコスモポリタンが越境する自由を保証し、世界の住人の多数を占める人々が好き勝手に入ってこられないように選別する。パンデミックの時代には、こういった壁は健康維持の名のもとに強化される。

パンデミックの時代の壁は、インターネット接続という形をとっても現れ、世界の辺地の人々を疎外している。パンデミック中にマカッサル国際作家フェステバル(MIWF)とフェミニスト・フェスティバル「女性の思想ショーケース」を含めたいくつかのイベントの開催に携わってから、そのことを強く意識するようになった。MIWFとその関連イベントでは、インドネシア東部の都市部以外の地域に住む作家たちは、ある程度安定したインターネット接続が得られる別の場所へわざわざ移動しなければならなかった。パプアの詩人ゴディ・ウスナアアットは、安定しているとは言い難いインターネット環境の中で創作活動を続けているという。2021年のMIWFにスピーカーとして登壇したとき、テクノロジー上の制約があったために、ゴディはZoomではなく電話を通じて話したのだった。

パンデミックの時代にも継続する人との繋がりは、それ以前から蓄積されてきた文化的、社会的元手から生み出されたものであることが多い。私が作家という立場でバーチャル・フェスティバルにスピーカーとして登壇するよう依頼を受けたのも、それまでの長い旅の中で築かれたネットワークがあったからだ。その旅の中で、記憶に残る数々の出会いがあった。ジャカルタとニューヨークでの私の作品の翻訳者との出会い、ウブッドとペナンのフェスティバルに一緒に出席した文芸エージェントとの出会い、ロンドンの出版社の人との出会い。私が手にしている特権は、これまで国を越えた文芸ネットワークにアクセスする機会がなかった作家仲間とは異なっているし、ましてや創作や取材をするためのインターネット接続がなく、手に入る書籍も限られた状況にある作家たちとは大きく違う。パンデミック以前のグローバル規模での可動性という特権が、誰がコロナの時代のバーチャルな旅を活用できるかを選別してしまうのだ。

また、可動性あるいは不可動性については、誰が、という問いに止まらず、何が、という問いにも及ぶ。どんな問題やアイディアや空想が、人の移動が制限されている中で転がっていけるのか?何が拡散し、どんなシステムがあるものを目に見えるように、耳に聞こえるようにするのか?

昨年、グローバル社会での公正さに対する私たちの希望に、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動があらためて火をつけた。パレスティナからパプアまで、至るところでグローバル社会の住人たちが資本主義と人種差別による抑圧に反対する運動を支持した。アメリカ合衆国の黒人社会との連帯の中で、各地の運動が#BlackLivesMatterというハッシュタグを使って連携を図った。各地で繰り広げられているそれぞれの運動もBLMに劣らず重要なので、#PapuanLivesMatter、#DalitLivesMatter、#AboriginalLivesMatterなどのハッシュタグが使われた。けれどもそういった動きすべての裏で、ジャカルタに住んでハッシュタグ#BlackLivesMatterを使って発信している人の多くが、今もパプアで何が起きているのかについては無関心だし、オーストラリア人の多くがアボリジニの人々の獄中での死亡率が高いことを知らずにいる。

どの物語も語られるべきであることは確かだが、私たちのもとに届く物語は地理的・政治的要因によって、その物語の出自がどこかによって左右されている。アメリカ合衆国について、私たちは従来のメディアやソーシャルネットワークを通じてたくさんのことを知っているけれど、その逆は必ずしもそうとは言えない。つまり、グローバルという概念に基づく出会いや交流は、パンデミックの時代のものも含めて、支配力の不均衡と関連させて考える必要があるのだ。西欧中心志向を離れて「インターアジア」や「トランスアジア」という進歩的発想を口にするたび、そこに浮上する国際的な関係に資本が影を落としていることに私たちは気づかされる。インドネシアの読者が国内の作家よりも日本や韓国の作家の作品に親しんでいるのに、その逆の現象は起きていないとすれば、まずとるべき一歩は、その不均衡を認めて、そんな事態を作り出した構造を認識することだ。そうして、それを打ち壊すためのさまざまな手立てを共に追求するのだ。

『彷徨』の中の移動と特権をめぐる問いは、旅を別の文脈で捉えるようになった今でも変わらず有効だ。パンデミックは人間の移動を止めたり遅らせたりしたけれど、グローバルな他の流れ——メディアやアイディアや空想や資本や——は変わらず動き続けている。誰が回転させ、誰が回転しているのか?閉じ込められてNetflixを見る以外することがないときも(またしても中産階級的フラストレーションのイメージだが)、外ではなおも動き続けているものがあって、「普通」についての幻想を確定(あるいは強制)する。パンデミックや時間や空間を超えて動き続けるこの手は、黙っていても安心感を与えてくれる。東京オリンピック開催を祝い、インドネシア国民体育週間もパプアで開催されることになっているのだから。

けれども、ときには、パンデミック時代の移動が制限された中でも、ささやかな動きが文化の主流から外れたところで、なおも繋がりを模索し続けている。2021年6月には、マカッサル国際作家フェスティバルがその繋がりをたどる試みを行った。インドネシアにももうたくさんのファンがいる村田沙耶香を招待しただけでなく、出稼ぎ労働者と難民コミュニティーの作家たちも登壇して、自分たちの作品や生き延びる力について語った。その1か月後、私は友人たちといっしょに「女性の思想ショーケース」というインドネシア諸島の女性たちの思想を考えるフェスティバルを開催した。そこでパプアとオーストラリアとパレスティナの反植民地闘争の声が共に語り合うパネル・ディスカッションを開いた。

私の小説の主人公は第三世界の女性で、たとえインフラやパスポートがなくても、あるいは悪魔からもらった魔法の靴がなくても、なんとしてでも旅を続けようとする。物語はここで終わるかもしれないけれど、さらに旅を続けて境を越えていこうとして譲らない気持ちは決して死に絶えることはない。パンデミックはより深く考える時間を、グローバル化の波とそれに私たちが同調していることによって生み出される不公平について思いを巡らせる時間を与えてくれた。同時に、境を越える新しい繋がりを発見し、一緒に小さな変化を起こしていこうとする試みは、これからも持ち続けていくべき希望だと私には思える。