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経験者に聞く

学生時代から揺らぐことがなかった日本語教育への熱意 - マレーシア3期 坂下咲椰さんインタビュー

マレーシア
坂下 咲椰さん

日本語を教えることが好きなのか確かめたくて“日本語パートナーズ”に参加

――坂下さんは2017年2月から10月後半まで“日本語パートナーズ”として活動し、その後、日本語教師の職に就きました。現在の職場について教えてください。

坂下:2018年から、地元の静岡県にある日本語学校で教師をしています。私が教えているのはベトナム、スリランカ、ネパール、フィリピンなどの国籍を持つ学生で、年齢は19歳から20歳が中心です。

 日本語パートナーズ『経験者に聞く』のインタビューに答える坂下咲椰さんの写真1

――そもそも、日本語教師の道に進むことを決めたのはいつなのでしょうか。

坂下:日本語教師という職業があることを知って惹かれたのが高校時代です。大学では外国語コミュニケーション学科を専攻し、英語と中国語を学びました。ただ、大学の様々な国際交流プログラムでアジアからの留学生と関わり、日本語を学習する人の視点に立って考える機会が多かったため、選択で日本語教育の授業を履修していました。

大きなきっかけになったのは、大学3年次に中国の大学に1年間留学した際、日本語教育学部の授業でアシスタントとして発音や読み書きをサポートしたことです。日本語を学ぶ学生たちは常に真剣で、彼らの意欲は私にはとても刺激的でした。留学中のこのアシスタント経験を通して日本語教育に携わりたいという思いがより強くなり、日本語教師を目指そうと決めたんです。

――日本語教師を職業にするためには、主に3つある資格要件のいずれかを満たす必要がありますよね。

坂下:私が選択したのは「420時間以上の日本語教育研修を受講し、修了する」という方法です。それで大学卒業後、アパレルショップで働きながら資格取得対策のスクールに通い、日本語教師養成講座を受講しました。

――その上で“日本語パートナーズ”への参加を決めたのはなぜでしょう。

坂下:“日本語パートナーズ”のことは大学時代から知っていて、もともと関心がありました。本当は日本語教師養成講座を修了してから応募するつもりだったのが、420時間の受講まであと少しという微妙なタイミングで“日本語パートナーズ”の募集があって。自分は本当に日本語を教えることが好きなのか、この世界でやっていけるのか、それを確かめたい気持ちもあって応募を決意したんです。幸いマレーシア3期の選考に通ったため、スクールを休学して“日本語パートナーズ”に参加しました。

 日本語パートナーズ『経験者に聞く』のインタビューに答える坂下咲椰さんの写真2

――派遣先はマレーシアですが、国や文化に関する知識はありましたか?

坂下:大学時代にマレーシア人の留学生と友達になり、マレー語や文化について教えてもらうお礼に、彼女の日本語学習をサポートしていたんです。今度は私がマレーシアに行ってその国を知り、人々と交流したいと思い、派遣先にマレーシアを選びました。でも、派遣校があるセレンバン市に関しては、名前すら聞いたことがなかったです。

――その派遣校はどのような学校ですか?

坂下:セレンバンの中心から離れた、外国人がまったくいないエリアにある国民中学校です。マレーシアの中等教育は5年なので、日本の中学1年から高校2年に相当する5学年が学んでいます。日本語は1年から3年までの選択科目で、私の派遣期間中は、3学年合わせて61人が日本語を履修していました。

日本語の授業はアスマハニ先生が担当しています。30代半ばの女性で、日本への留学経験はありませんが、日本文化が大好きで、日本についてよく勉強している先生でした。

日本語パートナーズの派遣先の国民中学校のアスマハニ先生と中学3年の生徒たち
アスマハニ先生と中学3年の生徒たち

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