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経験者に聞く

60代での果敢なチャレンジで自らつかんだ新たなチャンス - インドネシア4期 島田富子さんインタビュー

インドネシア
島田 富子さん

年齢を考えると今しかないから、思い切って冒険してみようと

――“日本語パートナーズ”は募集年齢が20歳から69歳までと幅広く、多くのシニア世代が参加していますが、島田さんもその一人ですね。応募に至った経緯を聞かせてください。

島田 :私は地元の金沢で看護師として働き、50代に入ってから、医療知識を生かして何か他のことをと考えて診療情報管理士の資格を取得しました。その後しばらく病院で看護師と診療情報管理士を兼務していましたが、約10年前に東京の専門学校で診療情報管理士科の教員を務めることになって上京したんです。そこで6、7年ほど教え、60代になってぼちぼち先が見えてきたなと感じていた頃に新聞で偶然、日本語教師養成講座の受講生募集の広告を見て、講座を受け始めました。それが“日本語パートナーズ”に応募する1年半前のことです。

 

――どうしてまた、日本語教師養成講座を受講しようと思ったのですか?

島田 :日本語教師を目指そうと考えたわけではなく、世界に何か国語もある言語の一つとして日本語を見直してみたかったんです。講座自体はともかく、今につながる私の一歩はここから始まりました。というのも、日本語教師養成講座の教室に置いてあったパンフレットを見て、私は“日本語パートナーズ”を知ったんです。しかもタイミングよく、講座が終了する頃に受講生仲間から“日本語パートナーズ”の募集があることを聞いて。時期的に都合をつけやすかったインドネシア派遣に応募してみることにしたわけです。

――応募の動機は何だったのでしょうか。

島田 :これまで携わってきた分野とは違う未知の世界にチャレンジしてみたい。年齢を考えるとチャンスは今しかないから冒険してみよう。そう思ったんです。看護の世界しか知らずに生きてきた自分は果たして、“日本語パートナーズ”のようなプログラムに応募するとどう判断されるのか。それを知りたいという気持ちもありました。結果は、奇跡が起きたんでしょうか、なんと内定の連絡が来て。“日本語パートナーズ”への参加が決まった時点で、教員の職を離れる決断をしました。

――派遣国のインドネシアには、どんなイメージを持っていましたか?

島田 :イメージも何も、知識はゼロです。派遣が決まり、購入したCDで初めてインドネシア語を聞いた時に、今まで耳にしたことのない音声に「はぁ?」と目が点になるような驚きを覚えた記憶があります。それでも、“日本語パートナーズ”の派遣前研修で1か月間インドネシア語を学んで、行く前になんとか初歩的な日常会話は話せるようになって。そんな状態だったので、現地では日本を伝えることと同時に自分もインドネシア語を学び、文化や習慣にどんどん触れようと思っていましたね。

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